10月に湯村温泉で買った山椒の実佃煮、
九斗山(くとやま)が目に留まり瓶メインで撮影したもの。
mariさんのブログに美味しそうなおでんのこと書かれてました。
プロ直伝で、揚げ袋の中身が興味深かった。
コメント返しで、
「関西にはない具材はちくわぶがありますね。
東京は牛すじはないです。
私の家のおでんは汁が透明で、醤油は薄口醤油で、色は濃くありません。
ulalaさん、作ったら見せてくださいね。」
東京は牛すじはないです。
私の家のおでんは汁が透明で、醤油は薄口醤油で、色は濃くありません。
ulalaさん、作ったら見せてくださいね。」
ということですが、小鍋でちょっとしか作らない昨今。
大阪のおでんの思い出を記しておきます。
子供の頃、関西ではおでんのことを関東煮(かんとだき) と呼んでた。
なんでも平らに成った平成、「おでん」に全国均一化されたのかも。
幼いころは、定番の鯨のコロも好きではなった。
たぶんジャガイモ・ゴボテン・厚揚げなど好んで食べてたのでしょう。
平成時代に家族で暮らしてるときは大鍋でおでん作りました。
牛すじは下処理がめんどうなので、たこ入れました。
固くならないよう大根やこんにゃくなど煮あがってから。
タンパク質入れてから沸騰させたら濁るので弱火で仕上げます。
今は小鍋で作っても二日はもちます。
市販の液体うどん出し汁で作ることが多いです。
こういった鍋用の簡易つゆも煮物に使えて便利な世の中になりました。
13(日)は、おでん風根菜煮もの。
鍋キューブの鶏だしうま塩は塩分強いので水多めにして。
具材は、鶏モモ肉・だいこん・にんじん・ごぼう・ねぎ。
すべて薄く切ってるので短時間で煮えます。
味が足りないときは、柚子味噌つけたり。
今回は食べるときに山椒の実佃煮をトッピングしました。
ふだん残り物二日目は小松菜を足すこと多い。
けれど昨日は、セロリの葉っぱがあまりにきれいだったので捨てずに使った。
再加熱して、食べるときに天盛りに柚子の皮で風味足した。
七味、山椒、柚子、生姜、ネギ等々の薬味で、薄味を調節できます。
山椒の実佃煮の便裏側シールに、賞味期限2021/1/31
それに気付いてあわてて開封したのだった。
鶏独特の臭みが小粒でピリリと辛い山椒で消えて、山椒の風味もよかった。
昨朝、わざわざ明記してる九斗山、なにがあるんだろう、
「くとやま」と入力したら「九戸山族」が真っ先にでてきた。
調査続行すると、「岩手県九戸郡九戸村の山 」
そこでは「くとやま」ではなく「くのへ」と読むようだ。
青森の八戸(はちのへ)に続く九戸(くのへ)なんですね。
かつての陸奥国にあった 糠部郡(ぬかのぶぐん)の地名が今なお残っています。
一戸二戸 と九戸が岩手県で、三戸 から八戸 まで下北半島の付け根の青森県。でも「四戸」は江戸初期に無くなり現在は存在しない。
ここでわからんようになって、とめさんのブログ見に行ったら
12月12日の16時18分。
岩手県九戸郡野田村の十府ヶ浦沖を震源とするM5.6の地震が発生。
岩手県九戸郡野田村の十府ヶ浦沖を震源とするM5.6の地震が発生。
九戸がでてきてシンクロに驚いた。
★今朝のリアルタイムアクセスで、一週間を振り返れば
12/12 2325UUで 79位
12/13 2373UU 77位
過去あり得ない気持ち悪い数字なので記録残しておきます。
先週の土日も、もっとすごかった。
12/5 3031UU 46位
12/6 3004UU 44位
書き手本人には何がヒットしてるのかわかりません。
マルシェル出品商品への興味だけで?
長年アクセスいただいてる方からご覧になれば、感じるところおありでしょうか?
このままブログ書き続けて大丈夫なんだろうか?
昨日は、世界的にGoogleのサーバーダウンして、世界で活躍する中国共産党員195万人のデータが消えたんだって。
いろいろ怖いご時世ですから。
何も知らないただのおばちゃんだって巻き込まれることあるやも。
今日おでんにしようかとちくわぶも買って用意しておきました。大根は半分まだあるし、そうゆずも頂き物で手に入ってます。
今年は久々に青系なのか?星祭りばかりに頭がいってしまってましたがやはり冬至にはゆずや大根やかぼちゃも。例のお守りは今年は頂いていないのです、年末年始のご挨拶も早めにやっておいたので後は昔から身体に良い物を頂き、命を頂ける事に感謝して身体に入れてゆっくり過ごします。
牛すじはたしかにセブンイレブンで知りました。ちくわぶはものすごく好きなので全国各地の違いでも何か発見しそうで楽しみですね。牛すじもあったら入れてみようと思います。
知識って本当に人から頂くのが一番嬉しいです。
少なくてもどちらかしか知らない事が倍増したりコラボしたり化学反応したりもするのでしょう。知ることで日頃の生活に更なる旨味が増えるわけですし、ちくわぶあった事にも感謝も増しますね。たくわんのパンとかいぶりがっことか同じ素材でも違う製法や利用の仕方で生活の楽しみを増す事にちょっとやってみたいです。べったらも乗換で買う事できましたけど、偶然出会ったりするのも楽しみにもなります。
コロナで制限されているように感じますけど、違う楽しみをインドアでするのもいいかもしれませんね。料理にはみんなこだわるようになってきているとか聞きますけど、素材だけでなく方法も少し変えてみるのも。
ささやかな楽しみを同じ作るんなら楽しもうと思いました。義務でやらなきゃいけない事も楽しめば少し楽になるかな?年末年始にずっと家族が家にいるという事は世の母たちは相当ストレスフルでしょう。
いい気持ちの切り替え教えて頂きました。
ありがとうございます。
黒はんぺんとか色々と見つけたら買ってしまいそうですからほどほどにですけどね。
食物神への感謝は自然に増すといい方向にも行きそうには思いますね。地域の生産物もその地域の方が味わってからですよね、ちくわぶの歴史調べたくもなりますね。
でも関西では入れないです、たことないし、売ってるかなぁ?
その地で暮らしてたら当然と思ってるものも、ローカルフードって結構あるもんですね。
今はTVでも取り上げられること増えました。
でも見ただけ聞いただけではなかなか取り入れ実践は難しいもの。
試して感じて味わってやっとが多いかもしれませんね。
性分もあるでしょうが、私はチャレンジするほう、気に入ったら継続します。
これからの水瓶座風の時代って、様々な情報が同列にあって、取捨選択は個々の判断に委ねられる。
それだけに自己研鑽というか、みる目養っておく必要あるのではないかな。
日本も西欧を追っかけるってあっちに憧れ持っていたり自由な実力社会のアメリカに憧れたりしますけど、行ってみて思うのがやはり日本って凄いって戻っちゃう。
目を鍛える意味で色々と違う世界を体験して結局は自分に合った物を選び出す事が今の時期なのでは?と。
目もそろそろコンタクトしようかなぁ?見えない方が人間の感情も違う情報得ようと感度は良くなるとも思います。で見えないって言うと相手の態度もガラっと変わります、変わらなきゃ頼ろうとも思わないのでこちらも態度変えられます。まさか見えないって思ってないからの対応ならばこちらも仕方ないって思うけどそれでも丁寧にしてくれる方は敏感で常識や先入観も変えられる流動性も感じますよ。過酷な時は、まさにそこ流動性です。
一旦違う物を体験しそこからまた元に戻ろうと思うか?もしくは経験を通じて元じゃなく少し経験を活かすようにまた今後もっと何かあっても対応出来る伸び代(本田さんの言う)か遊びか余力を加味して何かを選び出すか?一番早く対応出来るのも今が一番いいんですよね。
神社に行けば必ず手水舎があり、建物や道によっては溝があったり。また敷居や門の所では踏まないで跨いだり神事に入る前に禊ぎしたりって多分日本だけですよね。お水も滞れば不浄、動きを絶えず尊重するのも人間と一緒でどんな綺麗な物でも傷んでくる。だから期間を定期的に決めて祓いをしたりってなんか出来すぎてますよね。
赤福さんのお店では椅子まで全部上に上げて床は毎日お水を外に流して掃除してました。
過去の経験者の知恵が入っている可能性はあります。
あたりまえ過ぎて見えない物を遠くに憧れず目の前の物をじっくり見る期間にしたいですよね。
で結論としてどうなって問題ない方法を早く作ってしまった方がその先楽に生きられる。目を鍛えて今度は独自で行動する事もいいように思います。
うらら様は本当に凄いです。膝が痛いなんて言ってもいられないとそれをまず体重落として専門の方に助言をいただき筋肉をつけ負担が緩和される事をしていきたいです。他の誰かがやってくれるわけでもなく、やってくれた所で判断して出来る事でもなくならば自分で考え課題解決していくのみです。他の方が気になる人もいて批判が行きがちですけど、そんな時間はもったいないしカッコ悪いって思って批判ではなく応援出来る方が増えてくるといいですね。
秩序を護る方の役割がちゃんとなるか?今後の日本の見極めになりそうですよね。秀吉なら見せしめもアリでしょうけど、人間としてもダメだから今後は誰もしないって形になるのか?あいつがオッケーならまた繰り返すのか?人間の進化もそれぞれのペースで起こってこないと秩序って維持出来ない。どうなりますか?見えない目でじっくりみて行こうと思います。
まずは周りを見てその中で真似(子供の中では悪みたいですけど、いい事は真似しないと広がらないので)てもいいので体験して流動性ある動きでその時その時を反省しながら生き続けたいですね。うららさまは本当凄いと思います。
歩く時、動く時、膝って大事なんだなとつくづく思いますね。
膝痛めたら、歩く移動が制限されて活動範囲狭くなり、心も塞がります。
もう20年前の話です。
1999年夏、琵琶湖西岸の比良山登山が中級レベル以上超ハードでした。
長い下りで泣く泣く降りて膝を痛めました。
それ以来、正座はできないしゃがめない、膝に水はたまるで整形外科にどれだけ通ったことか。
今も完治したわけではありません。
脚の筋肉衰えてるだけでなく、膝の皿骨を支える筋も伸びたり弱ったりしてるようです。
きっとこれはもう元には戻らないでしょう。
死ぬまで歩けれるよう大事に付き合っていかねばならうぬと思ってます。
日常生活以上の動きするときは、市販のバンテリンサポーター装着します。
使い過ぎて腫れたら、テーピングと湿布でそのうち腫れが引いてます。
木方さんも自分なりの工夫しながらよく観察して、膝と大事に付き合ってください。
観察は大事だと思います。
人は人、自分は自分、同じとこもあれば違うとこもあって当然ですから。