狛犬阿吽像は文化2年、光格天皇時代。
平成から令和への譲位の前に、生前退位と話題になった119代天皇ですね。
文政8年
元禄の小灯篭、正徳の石鳥居と記載ありますが、どこにあるのかわからなかった。
祭神は、応神天皇。
もし江戸時代以前に創建されてたとしたらどういう経緯なんだろう。
近隣神社の守居神社はスサノオ、高瀬神社は天御中主でかなり古い。
市内の神社で佐太神社はじめ菅原道眞を祀る天神さんが多いなか、八幡宮は珍しい。
二本の楠も樹齢は記されていない。
どちらも去年の台風で多くの枝が折れ一回り樹形が小さくなり心配してました。
1/26夕方5:10の冬枯れの楠
春が来て新緑が蘇りうれしい。
幹の太さみると、数百年は経ってるような。
東照宮後ろの榎も江戸時代からのように思えます。
本能寺の変が起こった時、堺に滞在していた家康は佃島の漁師の案内で淀川を遡ったようです。
その後陸路で木津から伊賀へ。
淀川から上陸した地はきっと守口で、この大枝で暗くなるまで身を潜めてたに違いない。
匿ってもらったお礼に、江戸幕府になってからお礼として金一封とか。
家康亡き後は東照大権現として祀られたのではないかと。
境内隅で観察して妄想膨らませてたら
カラスがずーっと見張ってた。
カラス見張ってるんですよ。
江戸初期って東京でも大事でして、そのあと多分変化するんです。なので大阪気になりますね。
で大江神社の祭神さん、応神天皇なんですね!
それもあたらめて聞くと納得しちゃう。
応神天皇って時代違うと思っているんでまさか反正さん?まさかね?そうすると神功皇后ってあの姫さん?
悪いカラスなのか?導きのカラスなのか?ちょっと賭けてみようと思います。どうなるかな?
このとき見張ってたカラスもでかかった。
カラスは賢いといいますから、私の視察状況が訝しげに見えて、偵察来てたんでしょう。
大枝神社の神紋は八幡宮らしく巴紋、そしてもう一つ橘紋もあります。
去年秋祭りの前に記事にしましたが、この二つの紋は石清水八幡宮と同じでした。
境内にある由来記には記載ありませんが、石清水から勧請したのかもしれません。