学生時代に奈良ドリームランドで開催されたバトンコンテストに出場しテイク5という曲で踊った。
あのとき、近鉄奈良駅からバスで行った記憶はあるけど、地図で確認したことなかった。
この春、くるみの木一条店でお昼食べてから
西大寺の秋篠寺へ行くか、
奈良坂の奈良豆比古神社の大楠見に行くか。
相談の結果、興福院あたりから佐保山目指して歩いて、とりあえず奈良豆比古神社まで行けば帰路バスあるかもと決まった。
興福院、屋根の形とかからきっと尼寺ちゃう?
大当たりでしたけど、
なぜか こんぶいん と読むことも知らないぐらい何も知らなかった。
この日は中に入れなくて、そのままぐるっと周りの歴史道を歩く。
ところがこのあたりから勾配がきつくなり、現代の高級住宅街のようで大きなお屋敷が並んでいた。
それらが途切れたら、
へぇ~、奈良ドリームランドの跡地
めっちゃ驚いた、こんなとこにあったのね。
次の日、文楽誘ってくれた友人に、昨日一番印象残ったのはドリームランド跡地かもと話した。
というのは、彼女とは学生時代に一緒にテイク5踊った仲だったのです。
あそこ廃園なってから火葬場にする予定が反対でボツになったらしいと教えてくれた。
それで調べました!
廃園なったことは知ってたけど、詳しいいきさつは全く知らなかったから。
奈良ドリームランドは1961(昭和36)年に開園。
広さ約30ヘクタール(甲子園球場8個分)
昭和40年代の最盛期の入場者は年間約160万人に達したが、時代の流れの中で来場者が伸び悩み、2006(平成18)年8月末閉園。
所有する奈良市の管理運営会社「ドリームランド」が固定資産税を滞納したため、市が最初に土地を差し押さえたのは2009(H21)年。
遊具や建物は今も放置され廃虚と化していた。
2012(H24)年3月に、老朽化が進む市東山霊苑火葬場を移転させる方針を表明したが、地元住民らが約74,000人分の反対署名を提出するなどしたため、計画頓挫。
固定資産税の滞納額は約6億5千万円に上り、2013(H25)年4月に再び差し押さえ、2014年11月11日公売も買い手つかず。
跡地には約30の遊具のほか、立体駐車場など75の建物が放置されたままで、数億円とみられる撤去費用は落札者負担。
跡地は市街化調整区域や風致地区に指定されているため、建設できるのは医療施設や社会福祉施設、学校、スポーツ施設などに限られる。
広大な土地は権利関係も複雑で、跡地の一部は、国重要無形民俗文化財指定の「翁舞(おきなまい)」が伝わる奈良豆比古(づひこ)神社が所有。
同神社は賃料のほとんどが未払いになっているとして、同社に土地返還などを求める訴訟を奈良地裁に起こし、明け渡し完了まで年480万円の支払いを命じる判決が確定している。
2015年11月10日、税金滞納による差し押さえ物件として奈良市による2度目の再公売。
ビル賃貸業「SKハウジング」(大阪市北区)が最低入札価格(7億3千万円)で落札し、17日全額支払い正式に売却が決定した。
それから冬が過ぎ、春が巡り、またその廃墟で桜が咲いていたのでした。
ここの現状と比べて、日本の建築法制が、日本全体の建築や街づくりのあり方の一貫性のなさを感じますね。
朝iPad でお返事書いてたらなぜかフリーズしたので先に洗濯物干してきました。
思い出しながら書きます。
奈良ドリームランドがこの場所にあること、閉園後の情報は上書きしてなかったのでビックリしました。
さらに北に行くと、元正天皇、元明天皇の古墳もあります。
どうやら藤原不比等の墓もあのあたりらしい。
次に書こうとしてる黒髪山といい、奈良時代の西方浄土だったとしたら、火葬場の発想は延長線上にあると思えました。
しかしそこに行くまで高級住宅街でしたから、もしできたら地価にも影響することでしょう。
話はずれますが、太陽パネルの設置が風景壊したり、反射熱で近隣住宅に影響したり、これも最近問題噴出してるようですね。