今年の漢字は「災」で2004年と一緒。
確かにあの年も台風被害で大枝神社の鳥居にヒビが入ったのでした。
世相をあらわす漢字一文字、あまりいい意味のは少ないですね。
一般的に辛い嫌なことの方が印象に残るのでしょうか。
それからすると、流行語は「そだねー」で平和というか。
私感では「ボーッと行きてんじゃねーよ!」がよかったな。
今日12/14は赤穂浪士討ち入りの日
コメントやりとりで「吉良」が出てきたので、この機会に。
今春4月中旬に愛知県で地震あって、震源が吉良でした。
めねふねさんのブログ記事「二刀流」
この時に、吉良上野介(きら こうずけのすけ)の国が三河にあったことを知りました。
そして、生駒聖天さんの箸袋「御歯木」が気になって調べてて、吉良さんが登場したのです。
コメントで記載した内容は
将軍綱吉は熱心に歯を磨いたが、ブラッシングに用いる「塩」にこだわりを示した。将軍家御用達の歯磨き粉としての塩は、その当時までは、三河の国の吉良藩が納めていた。あの赤穂浪士に討ち入りされて首を打たれてしまった吉良上野介の吉良藩。
この将軍家御用達の吉良の塩に新しい強敵が現れ、吉良の塩の将軍ご愛用という地位を脅かし始めたのが赤穂の塩だった。
歯磨き用の塩として人気が出て、将軍に自慢のお塩を献上。ハミガキにこだわりを持つ将軍綱吉公は、この塩がたいそうお気に召して「お上御用達」というお墨付きまで出してしまう。
それがあの有名な「松の廊下の刃傷沙汰」に発展して、…
もとは歯磨き粉、歯というのは、こんな大事件をはき起こす火種にさえなる
信濃の長谷寺住職さんのお話より
前の東京五輪1964(昭和39)年のNHK大河ドラマは「赤穂浪士」でした。
たいていの人は、赤穂浪士四十七士の敵役である吉良上野介は悪いと思ってるでしょう、私も^^
この歯磨きの塩のエピソードから吉良さんに俄然興味持ちました。
吉良の人物像や討ち入りの知られざる真実に迫る5冊の本について紹介されたホンシェルジュ。
最初の部分をざっくり箇条書きにすると
吉良家は足利家の分家を開祖とした三河国の名門
江戸幕府において儀式を掌る高家の筆頭だった
時の将軍・徳川綱吉も家柄と教養の高さを特に買っていた
吉良の妻は米沢藩主・上杉綱勝の妹で上杉家は吉良家の財政を肩代わりしていた
千家流の茶道を学び熱中していて高額な茶器は、吉良家と上杉家の財政悪化の根源だったかも
続きは吉良上野介にまつわる8の逸話!彼は本当に「悪役」なのか?
我々がかつて知っていた忠臣蔵は決して絶対の真実ではないということが明らかになってきています。吉良と浅野の間に何が起こったのか、吉良はどうして葬られなくてはならなかったのか、その真実が明らかにされるまで今日も物語は尽きないと最後にまとめられています。
いろんなものが明るみに出てきてる昨今、吉良さんもしかり。
しっかり目を開いてないとフェイクニュースにも騙され誘導されますからね。
Kazumoto Iguchi's blog 2 より借用。
「ボーッと行きてんじゃねーよ!」
義経&頼朝との関係にちょっと似てるかしら?
本当のことは分かりませんね。
昨日川崎に行く途中、泉岳寺駅を通りました。
あ~もう討ち入りの日か、すっかり忘れていたけれど、1年経つの早いなあとつくづく思いましたよ。
討ち入りの件は、裏がありそうなので結論も出ないでしょうし相当長く研究出来る話題ですね。
そう大昔に吉良邸近くのお店に行った時のお店の方は、吉良さまでしたから慕われているのでしょうね。ホームだからだけなのか?ゆっくり考えます。あれ?そうそう世田谷行ったんですけど吉田松陰(杉の一族?)の日。千代田区から世田谷へ。そこには薬師さんに会いに行って、むかし探していた多聞天にも会いましたよ。吉良さん出てきたのも偶然じゃないかも。どうしてもつきまとう話題ですね。まだ14日、じっくり考えます。多聞天、浅野さん?
あと幡豆郡って昔調べたなあ。文字だけでも気になる地ですが、それが吉良という地名なんですね。ゆっくり調べます。
この前大名の屋敷の移動にも気になったんですけど元は川渡る手前だったんですよね。徳川てみんな東に動かしている感じあるんですよね。火事の影響とか復興とかでも説明出来るんですけど、どうもそれだけじゃない気がしてます。
何しろ定説に疑問から入るのは、結果研究したら正解に行くと思えば否定から入る方が安心ですよね。成り行きに任せていきます。1322
流行語大賞も、世間の大部分の人が納得する最大公約数的な好感度の高い「そだね~」に落ち着きましたね。今までの大賞の中では「いつやるか、今でしょ!」という林先生の言葉が印象深いです。
今年の漢字も、これからは「災」多い世の中になっていくのでしょうか?
吉良上野介が領民にとって良い領主だったという説は、ずっと前から知っていました。が、吉良と赤穂の塩争いは、おざささんのこのブログで初めて知り、勉強になりました。やはり松の廊下の刃傷や浪士の敵討ちには、政治的問題が底にある根深いものだったのですね。
映画やドラマの吉良上野介は悪役の憎々しい俳優が演じたから、よけいその悪印象が残っていますね。竹野内豊さんとか佐々木蔵之介さんが演じないと…そうなったらフアンが「やめてくれ~」って騒ぎますね。
山手の方にあるのはt外様大名屋敷なんでしょうか。
吉良家が三河ということは、徳川家以前の松平家時代に一戦を交えてたのですね。
学校で習う歴史は断片的で、今頃になって知ることたくさんあって驚きます。
それにしても赤穂浪士、いまどきの若者は??
年末の風物詩と思う世代はどんどん老いていってますから、そのうち忘れられかもしれませんね。
近畿から信州へスキーに行くとき、昔は高速道ができてなかったので、塩尻まで来たらやれやれと思ったものでした。
その塩尻が塩の道由来の地名だったとは、今頃になって知りました。
あちらでリンク貼りましたが、
https://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_7/e/d306f8efdbc54811d83d5663cb6ab36f
とても詳しくて興味深かったです。
この記事は消えることないと思いますので、そのうちお時間あるときにでもご覧ください。
身近な方が逝ってしまわれると寂しくなりますね。
去年は体調不良で年賀状書けなかったので、今年は用意したもののプリンタ故障、あらら~でした。
もう書くのやめようかと思ったぐらい、でも平成最後の終活年賀状は出しといたほうがいいと、気を取り直し…
ここ数年たくさんの終活年賀状を頂戴しています。
自分の人生も最終ステージですが、あちこちで過渡期だと意識されてる方が多いことに気づきます。
ターニングポイントどころか最後の始末をつけようとされてる。
日本は今、2020東京五輪だの、2025大阪万博だの、あの昭和の右肩上がりの時代をもう一回夢見てるのは、トップだけで庶民はそうではないだろうと思います。
私のように、私事でぽしゃってるシニアに比べて、えらい違いです。私だったら、今年の大賞は「スーパーボランティア」だと考えなおしましたが、尾畠さんは、辞退なさったのですね。
両国や我が住まいのある本所(錦糸町)は隅田川の向こう側(川向う)で、今は下町と呼ばれるエリアです。江戸時代の明暦の大火のあと整備された、いわば新興住宅街ってとこですね。
その当時の吉良邸はもう残っていませんが、狭い記念公園が造られています。
すぐ近くには北斎に関する案内もあります。何でも北斎のおじいさん(?)が吉良家の家臣で、討ち入りの時に戦って亡くなったとか。
ハッタリの強い北斎の言うことなので、どこまで真実がわかりませんが(^o^;)
吉良さんは縁を感じる部分が父系ではありそうなので喜んでくれてたら嬉しいです。で逆のとばっちりも気配出てくるはずなのでちょっと怖い部分もありで明日が不安です。
でもちょっと分かっちゃたかもです。松の廊下の事件では川手前、そしてその後川向こうへ。そして忠臣蔵は川を渡って逃げるんですよね。実際渡ったという橋には出会った事あるんで討ち入りは今の場所。でどこにいたか?この前聞いたような気がしますがどこだったかな?調べたくなりました。それでね、浅野さんの関係の場所がどこか?ってのでも見えてくるものありますし、この前別件で行ってからなんか気配変わったのもありますし。勝手に妄想しています。
今日は聖天の日でしめ縄の儀式の時間には奈良生駒へ思いをなんて思っていましたけどとんでもなく大変でした。大根とは存分格闘していましたけど。
東京の聖天と吉良さんのスポットもちょっと繋げてみます。江戸が面白くなりますね。門仲と生駒も絡んでますし。
今八ッ場ダムも二転三転していたんで怪しいと思ってましたけど何か出てきたみたいですよ。ダムってなんか作る理由が別件でもありそうで深読みしちゃいますよ。
なんか性格がひねくれてきたようみたいですね。
記事のメッセージありがとうございました。
7494、目印の御前立ちは少しわかってきましたので裏実態を探す事になりそうですよ。4549
もう長年その立派な生き様示されてたのに、今年になってやっと陽の目というかクローズアップし皆の知るところとなりましたね。
ホントに今年はいろんなことが顕現明らかになり、星の巡りなんでしょうか。
お迎え来るまでは生きんとしゃぁないですから、未だ見ぬ未来におびえず、来し方を悔いず、今にズームアップして。
なんでも塞翁が馬と思えば、がっかりなこともそのうち転じますでしょ、きっと。