![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/fa/fd9c7d9b0d1c8195979753e5cce1fc28.jpg)
中宮寺は、法隆寺や四天王寺などとともに聖徳太子によって建立された七つのお寺の一つで尼寺だそうです。
境内全体に女性的なイメージが漂っています。
山吹の花が咲きみだれ、おりしも山吹茶会が開かれていて着物姿の女性にたくさん出会いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/66/8b9229f92020e9591aa4fcde9e17e880.jpg)
621年聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の発願によると伝えられています。
太子がいた斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置にあります。
本堂は高松宮妃の発願で1968年(昭和43年)に建立した和風の現代建築、前には池が広がります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/9b/d38ddb18d3d3db626e8fb04890a63253.jpg)
あの有名な半跏思惟像は、くすのきの寄木技法による作例としては最古で飛鳥美術の最高傑作です。
エジプトのスフィンクス レオナルドダヴィンチのモナリザと並んで世界三大微笑像のひとつに数えられるそうで、古典的微笑(アルカイックスマイル)には見入ってしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/76/bad1b5ae626b4290b2aaacd7c6ba810e.jpg)
中宮寺では如意輪観音ということになっていますが、
最初は弥勒菩薩像として作られたようで、ネット検索でも「中宮寺 弥勒菩薩」でヒットします。
学術上、弥勒の明示を避け「菩薩半跏像」と呼ぶそうです。
境内全体に女性的なイメージが漂っています。
山吹の花が咲きみだれ、おりしも山吹茶会が開かれていて着物姿の女性にたくさん出会いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/66/8b9229f92020e9591aa4fcde9e17e880.jpg)
621年聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の発願によると伝えられています。
太子がいた斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置にあります。
本堂は高松宮妃の発願で1968年(昭和43年)に建立した和風の現代建築、前には池が広がります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/9b/d38ddb18d3d3db626e8fb04890a63253.jpg)
あの有名な半跏思惟像は、くすのきの寄木技法による作例としては最古で飛鳥美術の最高傑作です。
エジプトのスフィンクス レオナルドダヴィンチのモナリザと並んで世界三大微笑像のひとつに数えられるそうで、古典的微笑(アルカイックスマイル)には見入ってしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/76/bad1b5ae626b4290b2aaacd7c6ba810e.jpg)
中宮寺では如意輪観音ということになっていますが、
最初は弥勒菩薩像として作られたようで、ネット検索でも「中宮寺 弥勒菩薩」でヒットします。
学術上、弥勒の明示を避け「菩薩半跏像」と呼ぶそうです。
どの辺りにあるのかも含め自分の脳内で定着してくれなくて困ります。
元三大師やホオズキで記憶うっすらです、ごめんなさい。
深大寺の「深」をじんと読むのは、なんか理由あるのかな。
ピント外れなとこ気になって…
膝は私も長年負荷かけぬよういたわってますが、痛みは左右入れ替わりますね。
特別にどちらかの足を怪我した後遺症でなければ、経年と老化による劣化なので左右なんでしょねえ。
死ぬまで歩けるよう大事にいたわってください。
あと橘についても御礼参りから気が付いたら橘巡りになってたんですよね。
蘇我と物部の両方の共通項探しみたいですけど、かすみちゃんがやたら最近気になる石川なのに急に意識し始めてます。
大枝や大宮(森)と石川ってのもなんか気になって来ましたよ。今逆の膝がまた痛くなってなんかあまりいい時期には感じないのですが、まもなく節分いい風が吹き返せるといいなあ。それまでひっそり様子をみておきますね。
「だいだい」は中世以降の呼称で、
それ以前は「阿部橘・阿倍橘(アベタチバナ・アヘタチバナ)」と呼ばれていた。
だいだいは橙と漢字変換しますね。
橙と橘
橙とは、
インドで発現し東進して中国に伝わった。わが国に導入されたのは古く、田道間守公が持ち帰ったのは本種であるとの田中長三郎博士の説がある。
万葉集には「あべたちばな」として歌われている。橙として名前が初めてあらわれたのは深江輔仁の「本草和名」である。
わが国では1樹に2シーズンの新旧の果実がなっていることから代々といわれ、子孫繁栄を意味し正月の飾りに利用されている。
酸が強く生食には向かないが食酢に広く利用されている。
同じ橙が西に行きサワーオレンジとして、マーマレードの原料として有名で、世界のかんきつ主要台木となった。
拙ブログでよく読まれる記事
https://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/c6a6479748572ac2bb4aa04c9e83efa0
ここで登場するヴィンテージマーマレードの由来はスペインのビターオレンジ。
今お気に入りのハーブティは、スパニッシュオレンジ。
橙つながりかも。
きっとご縁があるのでしょう。
大枝神社の神紋も橘紋です。
調布、深大寺も行けずでした、三月までは色々ありましたので行っておけば良かったです。父と縁ある所なので何かの供養したかったんですけどそれもまだ出来てないし。志村けんさんのイメージもあるんで最近映像観て都内ですので行ける時に行きたいと思っています。
あと今気付いたご指摘があったんですけど、尼寺でアナホで戸籍で猪と虎と青もあるのも思い出ました。文殊も何か入れてますね(笑)そうそう、今亀にもハマっていて亀岡にあるお寺の事は気付いてませんでしたよ。
やっと時期が来たんでしょうかね?どうも風のイメージも亀岡って都あったっけ?調べてみます。
あと岩石貰って来た記憶もあり、山梨で岩塩出ないのか?無理無理で探してたのも思い出しましたよ。日本出土じゃないけど持っていた一族はいるかとも。
大きなお寺だと食事としてのお塩ってこの時期から奈良でも尼寺でも認識してなかったかな?とも。ブラタモでも東西でって話も出ていましたよね。
そうそう山吹もやたらハマってます。お母さんが関東の方って思う方いないかな?カサも関わってくるかな?
今日傘も必要ですよね。若宮八幡もすっかり記憶なくなってましたけど若宮じゃん。傘の英語名の歌が好きでドラマ観てるんですけど、ドラマで妹が隠れたのが品川の大好きな神社の八幡の辺り。山吹と若宮と法隆寺、ワクワクしますよ。猪か赤が探してみます。柿もオレンジでもいいかな?山部赤人って法隆寺と関係ないのかな?
寅さんって文殊かな?なんて思っちゃいましたよ。帝釈天と阿修羅とか梵天あたりも色々と妄想しちゃいます。
川を渡る矢切の渡しって所があり、そっち行くと国府台って場所は松戸でそこから南に行くと市川真間とかあって、昔ハマって遺跡とか貝塚とかお寺とか良く行きました。
市川もいっとき行ってたけどパソコン壊れて行けなくなったり、懐かしい地です。うちの関係者も縁がある地ですけど何かありそうなんですよ。
矢切の渡しを渡った方は縄文で柴又から南は旧石器で赤と青が川を挟んであるように思います。調布あたりの多摩川にも似てるかな?
因みに孔王の名字だったんですかね?なら聖徳太子の関係者が寅さん?うふふ面白いですよね。
やっぱりここも犬と猪関係しそうです。
戸籍と一緒の展示で武蔵坊弁慶の関わる?金泥法華経と義家の納めた摩利支天像も展示してました。どうもどちらも聖徳太子とも関わりそうなアイテムですよね。若宮八幡宮ってのがあったようです。すくなくも鎌倉前、義家の頃お世話になっていたならかなり気になりますよね。
白鳳仏が深大寺あるのも不思議ではないんではないかな?2704、いま関東ハマってます。
あなほべも、穴穂部なら知ってたけど、孔王部は初見でした。
養老5年(721)の記録ですって、養老はいろいろ教えてくれますね。
孔王部をググってて、柴又八幡神社古墳で出土した寅さん埴輪見ました。
関東は全く不案内で、葛飾柴又も映画でしか知らなかったしけど、古代と繋がってますね。
9994
東京に母の系統がいるなら面白いですよね。
で場所も実はとってもすごい所なんですよね。当時は行ってたのかな?少し縁あります。
593の聖徳太子ですからそこから100年くらいだと3世代後に来たとも思えますね。で丹後に行ったというのと時代的にどうなのか?そこも気になりますね。東京探していた場所とは違うんですけど子孫は関係してきてます。
で一番大事なのは、鎌倉(源氏エピソード)から関東は歴史に載るようになるんですけどどうも奈良時代少なくても養老の時は戸籍もあるくらいえですから住民がいるんですよね。
旧石器からの気配もあるのでむしろこっちから奈良にっていう視点まだ残しつつ実証探したいですね。
穴八幡はコメントからびっくりしたんですけど一か所行ったついでに行ってみたんですよね。古墳っぽいですね。孔王ですから当時の音を漢字で表現すると王が付くんですよね。王も気になっている文字です。
今後どうなりますか?
個人的には聖徳太子はいなくてもいい気もしますけど母はいないとなあと。で今思ってるのが聖徳太子自体が八幡じゃないかな?多聞天か毘沙門天か聖天。八幡は、母と息子のイメージなんですけどね。わけわかんなくなってきました。
ただ、大嶋とか島って方はずっと追ってるのでそこが聖徳太子の母と関係があるならちょっと嬉しいです。なんせ凄いママみたいですからね。
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この度のりひとさんのコメントで初めてホームページ開いて見ました。
釈迦如来像は、創建期から深大寺の歴史を見守ってきた本像で、新たに国宝指定をうけた機縁で、平成30年3月31日(土)まで特別拝観を実施中。
白鳳仏拝観は、平成30年3月31日まで特別拝観につき無料だそうですよ。
この機会にぜひ‼️
釈迦如来らしいですけど、人間が作った概念でお釈迦さまよりも早くいたら凄いです。
で頭の上の鏡餅みたいな頭がとても私気になってますし、好きなんですよね。神奈川の方でもあるような?奈良と調布が絡んでくるのが白鳳時代まえに絡んでいると面白くなりますね。
白鳳時代って魅力ありますね。2913
検索によるスポットもこれもまたなんらかのメッセージだと思います。
今アメリカはフロリダに上陸寸前のハリケーン、放送局によってイルマだったり、アーマだったりします。
英語読みとかスペイン語読みとかで違うのかもしれませんが、同じ日本でなぜ歩調合わせようとしないのか気になるところです。
なんと認証番号9099
歴史のみたかったんですけど今週は忙しく全く観れてません。ただテレビはつけてたのでアルカティックスマイルの所はみましたね。アーモンドアイも話には出てましたけど。何事もあるきっかけで興味持ってくれる方が増えるとそれぞれの意見も発想も出てくるので今後のこの仏像の研究も楽しみですね〜。
寄木っていうのは箱根とかで知っていたのですけどドイツに日本独特のお土産として持参したのですがあっちでも結構あるようですね。モザイクは石でも多いので材料の違いでしょうし、材質の違いによる保存環境にも寄るでしょうね。後世なのかもしれませんがどこかの国にもあんなのないのかなあ?未知の所で出てくると凄いですね。
奈良の人気のなさも番組でやってましたけど白鳳あたりは日本人好みのように思いますので研究進むといいなあと思ってます。7495
Wikiにはこうかかれてます。
「聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后が退座(たいざ)したのに因み間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀に無く、由来には他にも諸説がある。
死者を大陸に向けて埋葬する風習が長らく残っていた。」
いっとき興味もって調べたことありますが、八尾の穴太(あのう)もフィールド調査行けてません。
亀岡の穴太寺(あなおじ)は西国33箇所で参詣し、このブログでも記録残しています。
歴史書に記録なくとも地名は歴史を物語ると思います。
ただ古代の奈良のお寺で尼寺に関わる方は明らかに大阪とも接点がある船を使った方々なのでそれも気になりますね。
仏像の好みってのも時代によりますけど良い時代ですね。仏師さんに女性はいなかったのかなあ?
穴穂っていうのも今かなり気になっています。
確か冬至のお守りは穴八幡さんでしたっけ?
東京にも聖徳太子の関わりそうな地域結構あるんですよ。谷や海がある場所なのでこっちまできていないかと。むしろお母さんがこっちと縁持っていたら凄いですね。八幡神社のお隣に聖徳太子のお社があった所がありそこの出会ってから妄想が凄くて。多聞天には聖徳太子が結構縁がありそうなのでそれで東京の穴穂の母の気配探してみます。
尼寺の発想なかったのですが、法隆寺が万が一そうならば工房セットのお寺も尼寺の可能性が出てきます。吉野とかも。当時は国家でなく一族のお寺だったはずなので技術も含め洗練された最先端の技術だったはず、そこから適当な権威付けだけの物作りになったのでしょう。尼は怖かったのでしょうね。4289
海外だけでなく、国内もいろんなところ行かれてますね。
仁徳天皇陵も周りを歩かれたそうだし、近くに住んでるもの以上ですわ。
この菩薩はほんとにやさしいお顔ですね。
1300年も前にこんなに素晴らしい造形物をつくれるなんて想像以上に洗練されてたんでしょうね。
弥勒菩薩として長年認識してましたが、如意輪観音だったとは不思議。
私が最初に魅せられた仏像です。
両親の仏壇の上にこの「如意輪観音」(←理由はないんですが、私はいつもそう呼んでいます)の写真がおかれています。2001年に東京都美術館で開催された「聖徳太子展」記念のパスネットのカバーなんですけどね。
法隆寺にも行って拝観してきましたが、暗くてお顔がよく見えませんでした。