秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

天保小判

2007-05-09 | シチの目

質屋には記念コインや切手、小判などもよく持ち込まれます。
1964年の東京オリンピック銀貨など、コインショップへ持っていっても、
1200円ぐらいでしか買い取ってくれません。
平成天皇のご成婚記念100円銀貨なども、銀行でそのまま100円です。

お宝のような気分で引き出しに貯まっていた昭和時代の銀貨や切手、
テレフォンカード、以前すべて売りに行きましたが、がっかりしました。

今回持ち込まれたのは、江戸時代の天保小判です。
昭和30年(1955年)大丸大阪店貴金属売場で購入された鑑定書付でした。
まず日本貨幣カタログで調べます。
 
ネットでみたら20万円前後で取引されているようです。
大吉というものは100万円を超えてたりします。
微妙に種類があって、どこが違うのかさっぱり??
はていくらで買い取ったらいいものか悩みますわ。

マニアで流通するお値段は別として、
めちゃくちゃ興味深いことがわかりました。

 ………・・・・・………
幕末の1859-60年の一年間で、米英の商人により日本から海外に流失した小判は約50万両と言われています。

1858年日米修好通商条約を締結後、
1859年6月横浜・長崎・函館の三港が開港すると、野心に燃えた外国人が来日し貿易が始まった。
アメリカのある青年が大商人の父から1万枚の洋銀を借り、生糸やお茶を輸入し
日米間の貿易を行うため、洋銀を日本の通貨と換えることにした。

当時の公定レートは「天保一分銀3枚=洋銀1枚」
1000枚分の洋銀を天保一分銀3000枚と交換しようとすると、
両替商は天保一分銀の持ち合わせがなかったので、「4分=1両」の割合で天保小判750枚(750両)と交換したいと申し出た。
アメリカ青年は喜びをかみ殺し冷静に取引を続け天保小判を持ち帰った。

日本では銀と金の交換比率が5対1、世界標準の銀と金の交換比率は15対1。
なんと3倍も異なる比率だった。

秘密裏に全洋銀を7500枚の天保小判に換え、
上海に行きイギリス商人と交渉し小判を2万7000枚の洋銀と交換。
横浜に戻り、またも両替に走り回り再び上海へ。
四度目に横浜へ来たときは、洋銀は15万枚に膨らんだ。

やがて日本人が天保小判の価値に気づいたころ、
彼は黄金の国ジパングから戦利品の10万両の天保小判を祖国アメリカへ持ち帰った。

天保小判の金の含有量は、品位は57%、6.4gもの黄金が小判には含まれていた。
1860年(安政7年)2月、幕府は「直増通用令」を公布し、天保小判の対銀レートが3倍に引き上げ、 
さらに同年(万延元年)4月、金の含有量が3分の1に減らされた万延小判が発行された。
やっと日本の金銀交換比率が、国際標準に一致した。


グリーンツーリズム

2007-05-08 | 旅はつれづれ

夜もふけて、ぐでんぐでんになって、能登の語り部となったじろべさん。

山ごやじろべの案内チラシで、何ができるかというところには、

 山菜収穫体験・畑の草取りや土寄せ、収穫等の農業体験
 下草刈、枝打ち、木起こし等の林業体験能登の民謡民話語り・
 囲炉裏で焼いた魚、山菜料理郷土料理の試飲・市内観光案内

じろべさんが2002年に自家出版されたエッセイ集に、
中山間地型のグリーンツーリズムという一文が載せられていた。
許可を得ましたので、そのままを転載させていただきます。

  ………・・・・・………
都市住民で、たまに農村へ、それも工場の煙の見えない所か、ビルの天辺の見えない山間地で、農家に泊り、農作業の手伝いをしてみたいと思う人はいるのかな。

こんな人達を受け入れて、農家は副収入を得られるのだろうか。
相当、行政がテコ入れしてやらないと、ホスト役を受ける農家はないのではないか。

もし山間地のグリーンツーリズムが立ち上がったとすれば、こんな一場面がみられるのではなかろうか。

「お客さん、朝だよ。今日もよく晴れているよ」
「ほんとだ。朝日が眩しいな。うぐいすって年がら年中鳴いているのかね」

「お客さん、放し飼いのにわとりが梅の木の下にたまごを産んでいるから集めてちょうだい。それからきゅうりとトマト、こまつなを自分で食べられるだけ収穫してきて。
そうそう、畑の端にあるブルーベリーもね」
「すごーい。とりたての野菜を食べるの初めて。産みたてのたまごおいしいだろうな」

「お客さん、朝ごはんが終わったら、わしらは杉の木の下草刈りに行くが、よかったら一緒に行くかい。嫌なら、向こうの林にハンモックが吊るしてあるから、寝そべって本でも読んでいたらどうかね」

体験農家とゲストの朝の会話だ。
これくらいの世話なら、たいていの農家はできないことはない。

「あのー、今何時。いやーん。まだ7時じゃなーい。ゆっくり休みたいのよ。起こさないで。朝のメニューなーに。私、生たまごだめなの。たまご焼きにしてね。
おじさん、風呂沸いている。風呂に入ったら朝市案内してね。お母さんからアジの干物買って来るように頼まれたの。輪島ってお魚美味しいんでしょう。
今夜はお刺身と焼き魚をお願いよ。お金はあるの。心配しないで」

こんなゲストならお断りだ。でも来てみるまで分からない。
果たして、中山間地にグリーンツーリズムが定着するのだろうか。

   ………・・・・・………
じろべさんは長年、グリーンツーリズムの夢をあたため実践されていたんですね。

 定年退職された年、地元新聞で紹介されていました。
有名人の似顔絵をとても上手に描かれています。
手作りの額で表装してガレージの壁にびっしりと並んでいました。


山ごや じろべ 春の献立

2007-05-08 | 旅・関東&中部&北陸地方

夕食は、まず山菜のオードブルから始まりました。
たけのこの木の芽和え、山うど、あさつき、わらび、
さざえのつぼ焼き、ぶりとくるまだい、甘エビのさしみ。

輪島塗り螺鈿の立派な座敷机がきらびやかで、
デジカメもどこにピントを合わせていいかわからなくなったようで、
撮影したものは皆ピンボケでした。

おまけにビールを一杯飲んで、次々料理が出てくると、
すっかり撮影するの忘れてしまいました。

このあと、山菜天ぷらは、うど、よもぎ、せんな、たけのこ。
はちめの囲炉裏焼きは山椒味噌が添えられて。
たけのこの煮物、かじめとあぶらげの煮物と続きます。

お酒はビールのあとは、地酒(千枚田と能登○○・・名前忘れた)
そして去年から作り始められた能登ワインの赤と白。

最後の〆にたけのこご飯とわらびとたけのこの味噌汁。
お腹いっぱいになりました。

翌朝は輪島塗りの立派な足つき膳に揃った黒漆椀が見事でした。
にもかかわらずまたも食材に気を奪われて撮影忘れた~

輪島沖とれカレイの干物、うどの粕漬け、味噌汁、ごはん。
囲炉裏のホタテ貝皿で、だし汁に山菜をさっと煮たものも乙な味でした。

じろべさんは灰の中で焼いたたけのこの皮をむいてます。
初めてチャレンジしてみたとのことです。


時国家つながり

2007-05-07 | 旅・関東&中部&北陸地方

店のスタッフのEちゃんのルーツは奥能登の時国家なんだそうです。
父方の祖母が丙午(ひのえうま)生まれ だったため養子に出され、
彼女は京都で生まれ時国家とは縁遠く育ちました。

いつか訪ねたいとかねがね話していたので、
機会があれば車で連れて行ってあげると約束していました。
たまたまじろべさんとお知り合いになれて、急遽奥能登への旅決行となりました。

時国家は1634年上と下の2家に分かれました。
どちらも重要文化財に指定される木造民家と名勝庭園です。

上時国家のパンフレットによれば、
今から800年前、平清盛の義弟平大納言時忠は平家一族の実質上の統領で、
源平合戦で平家滅亡後、時忠は特別の計らいで能登に配流、
その子時国は近隣を統治し、時国村を成した。

江戸時代には2家に別れ、天領の大庄屋を務めたのが上時国家。
加賀前田藩領下にあったのが下時国家のようです。

Eちゃんは下時国家にルーツがありましたが、
じろべさんも同じく下時国家の末裔だそうです。
不思議なご縁で導かれたのでしょうか。

←上時国家

              下時国家↓

            


24節季・立夏

2007-05-07 | 24節気72候

昨日5/6は立夏でした。
立春・立秋・立冬ほど、立夏は一般日本人には意識されてないようですね。
山野に新緑が目立ち、風もさわやかになり、夏の気配が漂い始めます。
あちこちで田植えも始まります。

最初の画像は能登半島付け根部分左側の千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ。
まだ足を海水につけるのはちょっと冷たいですね。


輪島から曽々木海岸へ向かう途中の千枚田は、海岸すぐで有名だそうです。

 

なぜかキリシマツツジが能登半島で咲いています。
北前船で運ばれたのかルーツは不明だそうです。

能登からの帰路5/6は雨でした。
北陸道からの車窓です。
なぜか竹が黄色いのが気になりました。

青々とすっくと伸びているのが竹だと思っていたのに、
稲穂のように先が垂れて、色は黄緑から黄色になっていました。
新緑の山々がみどりにけぶっているのに、黄色くなっているところは竹です。

竹は種類によるが60~100年に1度花を咲かせ結実し枯れる
不思議な生態を持っているといわれ、
花をつけるの不吉という伝承があります。

近年中国四川省のパンダ生育地の竹が一斉に花をつけ、
枯れ始めているので困っているそうです。

日本の竹も花をつけ始めているのでしょうか?
竹の花を見たことないし、遠景なのでよくわかりませんが、
竹の先が重そうに垂れているのは何か理由がありそうでしょう?

明日香をサイクリングで回ったときも竹が黄色くなっていて、
不思議だなぁと思っていました。


能登地震の爪あと

2007-05-06 | 旅・関東&中部&北陸地方

奥能登重要文化財・時国家の奇縁について書く前に、
能登地震の5/5現在の被害状況から。

能登有料道路は途中で何箇所か道路が破損しましたが、
迅速な復旧で、4/27には全線開通していました。

最初の画像は、輪島から曽々木海岸へ向かう途中の道路標識。
無残にも折れ曲がっていました。

海岸の道路沿いの道はあちこちで土砂くずれで、片側通行になっています。
壊れた家は取り壊され、すでに空き地になっていました。

南惣美術館の壁も落ちたようで、青いシートで覆われていました。

じろべさんの屋敷前の石灯篭は上蓋が落ちていました。

他には、蔵の壁が一部落ち、ガラスのコップが3つの破損、
墓石が時計回りで45度動いた程度ですんだそうです。

以前阪神大震災のあと3ヵ月後に神戸を訪れたときは、
まだまだ被害のあとが生々しかったけど、
輪島市は全般に復旧が早いのに驚きました。


我逢人

2007-05-06 | 旅・関東&中部&北陸地方

今夕能登半島・輪島より戻りました。
じろべさん手掘りのたけのこ、きゃらぶき、うどなとたくさんいただいて、
新鮮なうちにとやっと処理完了しました。

 うどを鎌で刈り取るじろべさん
採りたてのうどがこんなに美味とはしりませんでした。
うどの天ぷらは今まで食したことがありましたが、
うすくスライスした生は初めての体験です。
甘くすればまるでマンゴーのような香りがします。

我逢人(がほうじん)とは道元禅師が正法眼蔵行持で述べられた言葉で、
人と人との出逢いの尊さを3文字であらわされています。
心と心の出逢い、物と物との出逢い、出逢いこそ命であると。

じろべさんご夫妻とは、1月のスペイン・ポルトガルの旅で出会いました。
ツアーで8日間まわっているうちの、ある日のランチ時、
テーブル席を隣り合わす機会がありました。

どちらからお見えですか?
など差しさわりない程度でお話しているうちに、
輪島に山小屋があり気が向いたときだけ友人などを招くと話されました。

能登半島行きたかったんですよ~
社交辞令からかわかりませんが、名刺を下さいました。
関空で別れる間際にも、是非どうぞと声を掛けてくださいました。

現地で撮った画像を送るとすぐにお返事くださいました。
このブログでの記事をご覧いただき、
じろべさんの旅の記録も拝見しました。

こうしてじろべさんの山小屋訪問が具体的に進み始めたのです。
ゴールデンウィークの最終土日で1泊とまで決まった段階で、
3/25能登地震
予想以上に道路の復興も早く、今回の訪問となりました。


  


飛鳥は世界遺産になりえるか

2007-05-04 | 世情雑感

飛鳥寺裏西に蘇我入鹿首塚がありますが、
ここはふ~んって見るだけで、回りに広がるレンゲ畑で熱心に撮影する人たち。

右手に甘樫の丘、左手奥に飛鳥京跡があります。
 

石舞台古墳は入場料250円かかります。
中学1年の遠足で行ったとき、40年ほど前ですが、
田畑や丘を歩いて、ただただ石舞台がぽつねんとあっただけなんだけど、
高松塚やキトラ古墳などの発見で、飛鳥は様変わりしました。


考古学者ではないので、一般人は5分もすれば見飽きます。
エジプトのピラミッドのような興奮はありません。
駐車場近辺の広場で家族連れが遊んでいました。

 

では有名な高松塚古墳はというと、
 
駐車場から右脇の自転車道で、アップダウンを5~10分ほど走ると到着。
もちろん入り口を撮影するだけです。
さらに文武天皇陵が奥にあります。
歩いていく人はハイキングだと思ってください。

今回の1日の行程、歩数計は2万歩ぐらい。
自転車なので、歩数計がどの程度反応してるか微妙ですが。


左手の小高いところが天武・持統天皇陵

のどかな「日本の悠久の歴史ロマン・飛鳥路」
ハイキングやサイクリングコースとしては心が和みましたが、
各スポットへの道をもう少し歩きやすく走りやすく整備してもらわないとね。

実際の遺跡は、世界遺産としてはあまり質素でコンパクトで、
エッ、これだけ?って感じなんだから、
レンガやタイルそのものに迫力ない場合は、
つなぎ目をしっかりきれいに仕上げないとね。


免取・免停・懲役代行?

2007-05-04 | 日々是好日

309号線を南へ下り、堺市美原区から富田林へ入る手前に立つ看板です。
以前通ったとき、車中からなので、
免取・免停・懲役代行」だけを読み取り驚きました。
こんな代行ありえへん、どうするんやろうと気になってました。

この先においしくて安いうなぎやさんがあります。

4/30に行ったときは運転してもらっていたので、
じっくり看板見ることができたし撮影もできました。

すごい看板やでぇと子供に言ったら、
「飲酒運転したら免停とかなるから、運転代行しますという看板や」
と言われ納得。
確かに免取・免停・懲役その前に代行、と書かれていました。

うなぎやさんは、美原大地幼稚園のすぐ近くですが、
さらに竹やぶを入って行った所にあって、
初めて行く人はきっと不安になると思います。

うなぎ料理 JYUKI重

なんでこんなところで、柳川風うなぎセイロ蒸しがあるのか疑問ですが、
お手ごろ価格で、お近くの人は是非どうぞ。

 


飛鳥でサイクリング

2007-05-03 | 少林寺拳法

穏やかな五月晴れのなか、奈良県飛鳥は大勢の人出で春の飛鳥を満喫されていました。
今日は少林寺拳法・守口三郷拳士会の春の行楽イベントです。

去年2/11毎日放送のラジオウォークで10kmほど歩いたのですが、
自転車なら楽勝!
石舞台・高松塚・飛鳥寺などたくさん回ることができました。

飛鳥寺西に広がるレンゲ畑の間の道は、日本のふるさと原風景。
レンゲソウ、最近見かけなくなりましたね。



新緑に春の花が咲きそろい、ワラを焼く匂いも郷愁感をさそいます。
飛鳥を世界遺産に登録しようと努力されてるようです。


Nさんは人生で初めての自転車試乗なので、
三輪車で悪戦苦闘されてましたがうれしそうな顔。
きっと新しい発見があったことでしょうが、しばらくは筋肉痛でしょうね。


春の風をきって、おっちゃんたちの顔もついついほころびました。


神宗 の塩昆布煮汁

2007-05-01 | スピードクッキング
大阪は江戸時代天下の台所といわれ、米はじめ北海道の昆布が集荷しました。
そのせいで昆布やさんがたくさんあります。

4、5年前から神宗(かんそうと読みます)の昆布が大人気です。
創業は1781年(天明元年)だそうですが、
本店を本町久太郎町そして淀屋橋に移転、百貨店で販売されるようになってから
爆発的に一般庶民に広がりだしたようように思います。
今や阪神デパートでは行列できてゲットするのが大変だといわれています。

神宗の商品の中に塩昆布煮汁があります。
ここの塩昆布は、塩ふきではなく醤油で煮つめた佃煮タイプです。
この昆布を作るときにできる煮汁がパックされたものです。

さらさら醤油ではなく、いろんななエキスが煮詰まってどろっとしています。
この煮汁を、煮物の仕上げに使うとテリがでておいしくまとまります。


画像のごぼうとレンコンのきんぴら。
どちらも水にはなしてあくをとり、ごま油とサラダ油ミックスで炒めます。

そして料理の基本は「さしすせそ」
まずは「さ」 私は喜界島のきび砂糖を使っていますので、砂糖少々。
砂糖は塩や醤油を入れる前に使わないと味が中にしみ込みません。
最初の段階で入れると量が少しで甘みが材料の中に入り柔らかくなります。

つづいて「し」塩ははぶいて、「す」酢
きんぴらに酢をいれるとさっぱりすることをマンデーさんに教えてもらったので、
私は5種の酢が混合されたパイロゲンを少々。

最後に「せ」は醤油。
だしが面倒なので、マルキン和風だしの醤油をたらし炒り煮。
といっても水は入れていないので、ホンの短時間。
水分が飛んで火を切ってから蓋をすれば加熱が進みます。

蓋をとって、最後の秘訣、「神宗 の塩昆布煮汁」をたらすと、
味がまとまり深みがでます。
色も濃くなってきんぴららしくなります。
トッピングはお好みで一味なり七味なりを振りかけます。