秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

古代史のミステリー①

2008-10-15 | 古代史のミステリー
だんじりの上のほうに八幡宮と書かれています。
天神さんや天満宮は菅原道真を祀る学問の神様として、ほとんどの方はご承知と思いますが、
八幡宮って何? でしょう。

少林寺拳法で修行してますから金剛禅は信じてます。
奈良県三輪の大神神社はみ~さんの神さんだと聞いているし、ここの空気が好きなので、年に1,2回はご挨拶にいきます。

でも、たいていの日本人同様、
きっちりとした宗教教育を受けてきたわけではないし、特に深く信仰しているものもない。

どこかの神社に行っても、ただご挨拶しているだけで、由緒をじっくりみたこともなかった。
祭神が何かも以前まで全く関心がなかった。

ところがここ数年気になることが連鎖的につぎつぎ沸き起こり、
上古の日本史にミステリーのごとく興味を持つようになりました。

きっかけは2年前の秋、幣立神宮を訪れたことから始まりました。
美容院でその神宮のことを教えてもらい、宮崎で暮らすようになった旧知の友人を訪ねて一緒にお参りしました。

 幣立神宮の記事は → こちらから

境内に立てられた看板の由緒には
「当神宮は民族の起こりであったが、
応神帝のとき勃発した内乱のために自ら隠れ宮となった尊い歴史がある。
ところが人類の危機が迫ったので、再び世界の世直しの神として出現し給う」

それ以来、神宮と神社、大社の違いや、
5世紀前後の第15代応神天皇のことを時々調べていました。

今年の夏は、たまたま出雲大社が平成大遷宮で特別拝観してきました。

 出雲大社の記事は → こちらから

拝観のしおりには
「大国主大神は国づくりされた国土を天照大神に奉還され、
その御功績をお称えになられた天照大神が特に諸神に御造営を命じられたお住まいの宮殿が、最古様式の神社建築である御本殿です」

そして本殿は大国主大神が西向きに鎮座し、お参りしたものが拝む先には、
本殿裏にスサノオノミコトをまつった小さな祠があるのです。
不思議でした。

天照大神とスサノオ
イマイチその関係が理解しがたく、不可解だったのです。
どうも腑に落ちない。

 

先日、実家の氏神様菅生神社に行ったとき、
合祀されている余部神社の縁起にこう書かれていました。
祭神 スサノオノミコト
祭神 ホンダワケノミコト(八幡大菩薩を祭る)
由緒 応神天皇のこと
   その左右に 左 ヒメノオオカミ
         右 オオタラシヒメノミコト
          (神功皇后 応神天皇の生母)

今住んでいる所の氏神様は大枝神社、
そこの由来記によると、創建年代不詳なるも現存する石造物等より類推して300年と判断さると。
祭神はやはり応神天皇ホンダワケノミコトです。

「皇紀852年頃より熊襲九州に拠りて朝命に服さず
仲哀天神征伐の軍を進め給いしが戦半ばにして崩し給う。
尚熊襲の後には、新羅のある事明らかなるに及び、・・・」

と書かれた由緒は、江戸時代に認識されていた応神天皇です。

どちらも応神天皇を祀っていたので、これはもっと真剣に調べてみようという気になりました。

言葉を変えて検索するごとに、新しい説を発見し、なんで今まで知らなかったんだろうと、どうして不可解な日本神話を頭から信じてきたんだろうという気になりました。

次回から知りえた説をご紹介していきます。
なっといっても日本人のルーツですからね。

久しぶりに文化教養コース

2008-10-13 | 日々是好日
今日は秋晴れの上天気。
京都市美術館「芸術都市パリの100年展」の入場券をもらったので、久しぶりに京都へ行ってきました。

東山ふもとの平安神宮参道脇に京都市美術館があります。

三条京阪から初めて地下鉄東西線に乗って一駅、東山で降りて白川沿いを10分ほど歩きました。

パリの100年展はただの切符でよかったわぁ。
正規の1300円を支払って入場してたら憤慨していたかも。

美術館をでて数分歩くと、平安神宮の応天門(神門)に着きました。

平安神宮はいつかの遠足で来て以来のような気がした。
その後もいつだったか訪れたこともあったような気がするけれど・・・

ということは赤い大きな鳥居や社殿は映像として残っても、個人的な記憶には残らない神社でした。

応天門からずっと先に神殿が見えます。
遠いなぁ・・・
右近の橘、左近の桜を遠くから確認してそのまま引き返しました。


 

参道右側に京都市美術館、左側に京都国立近代美術館があります。
ここでは「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」ウィリアム・モリスから民芸まで

せっかく京都岡崎まで来たので、入ってみることにしました。

手仕事の良さを見直し、自然や伝統から美を再発見し、シンプルなライフスタイルを提案する「アーツ&クラフツ」の精神や、「用の美」は仕事柄勉強になりました。

帰路、白川沿いで遅いランチを食べて、東山の駅着くほんの少し手前で、美味しそうなお饅頭やさんが目に留まりました。

 

祇園饅頭の工場直売、作っているすぐ横でできたたてを分けてくれます。
文政2年(1819)創業、店舗は南座の横にあります。

どれでも一つ140円、
栗饅頭と、椿饅頭と、下の画像の「しんこ」を2種買いました。
ういろうのような食感で、茶色いほうはほのかなニッキ味です。

 

江戸期から京で親しまれていた「しんこ」は米の粉・真粉で作られる素朴で純粋な京菓子だそうです。
かつては、太鼓を打って
♪しんこ しんこ おふくの子♪と歌いながら天秤棒で担いで売り歩く「しんこ売り」が人気者だったと貼紙に書かれていました。

大枝獅子講

2008-10-11 | 日々是好日
2列に並びなさいといっても聞かないし、
大事な説明されている時に限って、ふざけて太鼓たたいたり笛吹いたりやかましいこと。

神主さんが祈祷で撒かれた小さな色紙を拾い集めるのは一生懸命。
たぶん1時間もたたないうちに、集めた色紙はゴミになってるのかな。

今日は氏神様の大枝神社・獅子講でした。

 

夏から横笛の練習してたので、午後1時から4時半ぐらいまで町会を練り歩いてきました。

 

やればできるもんで、数時間ずっと吹きながら歩いたので、足も疲れたけど肩もこりました。

 

調子に乗って、今度はフルートに挑戦しようと思ってます。 

金融危機

2008-10-09 | 旅はつれづれ
今世界の金融危機とどまることをしらずエライことになっていますね。
経済ニュース見てても難しすぎる。

ファンドにサブプライムローンが組み込まれていたなんて。
食品同様、これは腐ってるとかおかしいとか、昔のようにシンプルに見かけで判断できなくなっています。

解約があいついだファンド会社は株を売ってお金調達するから、株はダダ下がりで売ることもままならず・・・
投資信託購入をすすめた銀行からお詫びの手紙で、
アリコジャパンからはご安心下さいの手紙が届きました。

為替相場も円高です。
トヨタは円高1円で400億円の損とか昨日のニュースで聞きました。

ただし個人的には海外旅行安くなるのがうれしいけれど。
外国旅行に為替相場は大きな影響がありますから。

2003年にイタリア行った時は、まだイタリアがユーロを導入して間もない頃だったので、1ユーロが126円ぐらいでした。
まだまだドルでの支払いも通用しました。

翌年シチリアや南イタリア回った時で140円前後。
さらに次の年2005年、モロッコではアフリカ大陸なのに、ドルの受け取りは嫌がられてユーロ決済を望まれました。

その後2007年にスペイン行ったときはすでに160円台に。
チョコレート1枚が2ユーロだっとすると320円です。
お土産に板チョコもらった人がまさか300円以上もしたとは思ってもらえないだろうなと、お土産に悩んだものです。

さらにユーロ高で1ユーロが170円を超えてきた。
そのためフランス製やイタリア製品も値上がりが続いていて、シャネル財布などもかつて6、7万円台のが10万円以上してました。


先週金曜日にユーロが140円台に、
これは買ったほうがいいかなと思ってましたが、超忙しかったので買えなかった。

そしたら昨日まだ下がって139円台にまでなってたようです。
まだ円高進むのかしら?
昔と違って、市場が過敏に反応してフレが大きいので決断は難しいし、モタモタしているものはついていけませんね。

それぞれの歴史

2008-10-08 | 日々是好日
実家の土地に埋められた水路があったと、明治時代の地図には載っているらしい。
昭和初期にその土地を購入した頃、すでに成人だったもので今も生きている人はいない。

その水路分地代を払うかどうかで面倒なことになっているので、とりあえず印鑑証明がいると言われました。

そんなアホな、なんで今さら、というのが実感ですが、
最近の法律で決まったらしい。
くだらん法改正せんといて欲しかったよ。

それで先日の日曜に実家へ行ったついでに、
氏神様の菅生(すごう)神社が何百年かぶりに社殿を建て直したので見に行こうということになりました。

境内に入って真っ先に目に付いたのが最初の画像の石碑です。
「菅生の開帳に 平尾の山で ごまのぼたもち せんど食た」

なんとおおらかな歌なんでしょう。
作者不詳のようで、ネットで調べてみましたがわかりませんでした。

 

菅生神社の裏手東のほうに残った土塀です。
いかにも年代を経ています。

菅生神社は、文献の初出は759年
「河内国丹比郡 菅生神社」と記載され大社に列しているぐらい歴史のある神社です
1331年二度の兵火に遭って社殿等を焼失し記録がないため創立年代は不詳です。
鎭座地の移動は上古より一度もなかつたと推定できるそうです。

南海高野線・北野田駅から東へ車で5分ほど行ったところにあります。

仁徳天皇が難波京からこの地に丹北大道を造営せられ、飛鳥時代には、難波宮と飛鳥京を結ぶ日本最古の宮道「飛鳥道」に北端を接します。

大和朝廷の時代から、和泉(堺)と大和を結ぶ交通の要衝でした。

古代のこの地は池沼が多い湿地帯で、一面に菅(すげ)が生い茂っていたため菅生の地名が生まれたようです。

河内国には天児屋根命を祖とする中臣氏が多数居住していて、
その一族が菅生の地に本拠を構えてから菅生氏と名乗り、豪族としてこの地を支配。
天平18年、菅生朝臣の姓を賜わり検非使遺や神琴師になって朝廷に重用されました。

その菅生朝臣が、祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を氏神として祀ったのが菅生神社の創始です。

ところが源平合戦の時、菅生朝臣一族は平家方に加勢したため敗北しこの地を追われ、四国や中国地方の山奥に逃避して落農となった。

室町時代には残存の一族によって神社の復興に努め、
その頃天満天神の祭祀が全国的な風潮となったのに乗じ、菅原道真を主祭神とする神社に変貌。

江戸時代には「菅生天満宮」と呼ばれるようになり、天神の方が主祭神とされるようになったと書かれていました。

子供の頃、氏神様とは思っていても、天満宮とは認識していなかった。

 

境内には、稻荷社・少名日子名神社・八幡大神社・大歳神社・嚴島神社・余部神社があります。
そのうちの余部神社は、もっと身近な氏神様です。

そこの由緒をみて驚きました。
それから毎晩ずっと調べてました。
やっとわかったこと、すっきりしたこと、また今度書きます。

流氷DRAFT

2008-10-07 | 日々是好日
ビール好きをよく知ってる娘と彼氏からの北海道土産です。

流氷DRAFTはオホーツクブルー
こんなにきれいな色どうして出すんだろうと調べてみました。

地元の素材にこだわる当社の工場長の思いが作り上げた自慢の一品だそうで、
網走ビールは → こちらから

最古の植物といわれるスピルリナを使用し、
幾度となく試行錯誤を繰り返し、クリアで鮮やかな海の色を再現することに成功したと書かれています。

飲みやすく美味しかったし、何よりも珍しいブルーな色に魅せられました。

昭和レトロな洋食屋

2008-10-06 | ケータイ・スマホから
1980年から守口で暮らしていますが、その頃から変わらないメニュー。
Aランチは、ハンバーグとエビフライとクリームコロッケと、ゆでたもやしのカレー味とキャベツ千切りが盛りあわされています。
750円というお値段も変わってないと思う。

右手が洋食屋「グリル・サカエ」
たぶん創業40年ぐらい?
 

左手がかつて淀川がここまで来ていた頃の名残の船着場に降りる階段です。

ノリタケ・リンネコレクション

2008-10-05 | ブランド
今から250年以上も前にスウェーデンのカール・リンネ博士が、
いろいろな花の開閉時刻を観察し、
午前6時から正午までに咲く花と、正午から午後6時までに閉じる花を1時間ごとに配置し、
「花時計」として発表したのが「リンネの花時計」

  

「花々が告げる時刻のメッセージ」をモチーフにしたノリタケの「リンネコレクション」は、1997年に発表以来10周年を迎えたロングセラー商品です。

画像の置き時計は10/8(水)終了の1円スタートオークションに出品しています。

一見欧物のイメージなのもなるほどとうなずけます。

中国の陶磁器と同様に、日本の伊万里焼も江戸時代に大量にヨーロッパへ輸出されましたが、
当時のヨーロッパの人々にとって憧れの高級品でした。

ようやく磁器の制作技術を会得したヨーロッパの各窯が、
独自の趣味とオリエンタル嗜好のデザインをミックスし素晴らしい陶磁器産業を発達させました

明治になってヨーロッパから「欧州IMARI」が里帰りしてきます。
1909年(明治42)にはヨーロッパの製品に比べて遜色のない生地が焼けるようになり、ディナーウェアが発達、
今度はそれを再び輸出する。
人や物が世界中を行き来し、いろんな文化が触発し融合していく例の一つです。

 

これは1976年ノリタケで作られたトヨタが創立40周年記念品。
ノリタケもトヨタも、愛知県に本拠地を置く日本の製造業の冠たる会社です。

1904年日本陶器合名会社として創業された「ノリタケ」
創業地である愛知県愛知郡鷹場村大字則武(現・名古屋市中村区則武)が由来です。

前身の日本陶器は日本で初めて高級洋食器を生産し、
日本の洋食器産業の礎を築いてきました。

明治から戦前にかけて欧米に大量に輸出された初期の製品には
ハンドメイド絵付けが美しく、細工の繊細さ、凝ったデザインのものが多々あり注目されています。

アールヌーボォーやアールデコ様式を取り入れた美術価値の高いものも、「オールド・ノリタケ」と呼ばれ骨董として人気があります。

戦後日本に駐留したアメリカ軍の将兵が帰国する時のお土産として、1953年まで販売されたノリタケ製品は「プレミア・ノリタケ」

日本陶器と海軍の結びつきは早く、海軍艦船内で使用する洋食器を1911年(明治44)頃から納入。
軍艦では洋食が多く、海外への表敬訪問などの際は必ずレセプション・パーティーが催されるために需要があったそうです。

トヨタのAB型フェートンモデル(昭和11)もほとんどが軍に納車されたそうです。
あれから半世紀以上過ぎて、今なお世界で仕事できる企業ってすごいですね。

プラダ・ナイロンバッグを見比べてみると・・・

2008-10-02 | ブランド

贋物が多いということはそれだけ人気があるということ、
そして作りやすいのもあるでしょう。

次々とトレンドを生み出し、常にモードシーンのトップを走り続ける
PRADA
必要最低限のシンプルなデザインは、今の時代感覚にとてもマッチします。

実用的で軽く、それでいてスタイリッシュなナイロンバッグは魅力的です。

プラダ創業者の孫娘ミウッチャ・プラダが
軍用テント素材の特殊ナイロンで、リュックやバッグをリメイクしたことから始まりました。

1978年に発表後、20年ほど過ぎた1996年に逆三角形のロゴプレートがつけられました。
スッチーやモデルの間で評判を呼び、瞬く間に世界中で大ブレークとなりました。

 

しかしプラダの製作現場はもう一つ管理が厳しくないとかで、世界各国の王室御用達にはならないとか。
製造工場によって規格が異なったり、工場関係者からロゴプレートが流出したりもあったと聞きます。

そうしてプラダナイロンバッグのコピー品が氾濫することにもなりました。
だいたいこの頃からギャランティーカードも付属するようになりました。

それ以前の商品はプラダ製品についての説明リーフレットがついていました。

 

なかじっかギャランティーカード(Gカード)ができると、逆にそれさえ付いていればいいと思う人もいて簡単に偽造されます。
今はアウトレットも普及し、アウトレット商品はギャランティーカードに店名印や記載がありません。

一時はブランズオフなどの中古ブランド販売雑誌も、プラダを掲載するのをやめていた時期もありましたが、
今は店名印や購入月日のあるものはよしとする風潮になっています。

 

トップ画像の黒ナイロンバッグ、サイズは全く一緒。
内側の構造も同じです。
ともにGカード付きです。
品番B6242 素材TTESSUTO CITY 色NERO

左側のは購入店名と月日が記載されています。
右手には記載がありません。

ひょっとしたらアウトレットかもしれないけれど、
商品を見比べてみると微妙に異なります。

 

ファスナー引き手の形が異なるし、
ロゴプレートによる年代差もあるのかどうか不明ですが異なっています。

 

一概にコピー品とは言い切れないけれど、
絶対間違いないともいえない。

左のほうの商品は近いうちに1円スタート出品しますが、
右手は販売しません。


ストップ・ザ・喘息

2008-10-01 | パワーヨガ
季節の変わりは気管支の状態がよくない人も多いと思います。
寝床に入ったら咳がでたりして、
明け方咳き込むとその日一日がつらいものです。

そしてさらに喘息、気管支が狭くなりヒューヒューなる人はもっと苦しい。
ひどくなれば呼吸困難で死につながることもありますから。

そんな時、まだひどくない時点でですが、
パワーヨガでならった呼吸をすると治まります。

パワーヨガは常に呼吸を意識して体を動かすので、インストラクターの先生は常に注意されます。

普段、肺にある空気をすべて吐ききることなく、そのうえにまた少し吸っての繰り返しの浅い呼吸が多いものです。
時には肺の底にある空気もすべて吐き出し、そして肺の上まで充分に空気を入れるという深い呼吸が大事だといわれます。

ラジオ体操の深呼吸でもそうですが、
腕を大きく上に上げて息を吸うと鎖骨あたりにまで空気が入りやすいのを感じることができると思います。

喘息の前症状だと感じたら、
この深い呼吸を行うと、私の場合はそのあと喘息のひどい状態には進むことなく治まってくれます。


呼吸はヨガだけでなく武道だって修行の根幹となるものです。
すべての戦い、普段の暮らしでもとても大事なことです。

なぜかというと、
心臓や胃腸、肝臓などすべての臓器は自分でコントロールできません。
心臓を少しの間止めることを自分で意識してできませんが、深呼吸したり、時には少しの間なら息を止めることができます。
ただ肺だけが、意識して動かすこともできる臓器なのです。

人間が生きていくための臓器の働きは、脳の中心部分がつかさどっていて、手足や感覚器官など意識して動かせるところは大脳皮質と繋がっています。

この肺・呼吸機能は両方にまたがっているんだそうです。
そのため無意識と有意識とが可能となります。

ここがポイントです。

呼吸を制することで、無意識=潜在意識への働きかけになるのです。

自分の呼吸は自分でコントロールできる、
もともと備わっているのを忘れているので思い出せばいいのです。

これを知ったときから、喘息の薬を飲み続けなくてもすむようになりました。
緊張して浅い呼吸になっているとき、深く吐いてから思いっきり新しい空気を肺に充分吸い込むと落ち着きます。