秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

春の散髪

2014-04-08 | ケータイ・スマホから
ギズモは冬毛が恐ろしいことになってます。
もう少し気温定まったらカットいかないと。



ベランダで紫のグラデーションの小花が美しい。
なんという名前なんでしょう?




お向かいさんの植込みもえらいことなってました。


昨日剪定されて


切り取られ処分される椿もらいました。



常若の聖地、伊勢の蘇民将来

2014-04-06 | 古代史のミステリー
1300年にわたり継続してきた、20年に一度の式年遷宮
日本人は常に新しい社殿にお伊勢参りして常若の力をいただいてきました。

この伊勢の町に蘇民将来という民間信仰が綿々と受け継がれています。


画像の注連飾りは、伊勢市古市参宮街道資料館の玄関に掲げられてありました。
「蘇民将来子孫家門」と墨書きされた板が中央にあり、左にダイダイがついた注連飾りです。

伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが目にとまります。
商店だけでなく、お屋敷から普通の家屋の大小問わずです。
まず掲げていない家を探すほうが難しいぐらい浸透してました。



たいていの一般家庭は「笑門」、時に商店などは「千客萬来」などと墨書きした門符です。

元は「蘇民将来子孫家門」と墨書きされたようです。
「蘇民将来子孫家門」を縮めると「将門」では平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。






この画像はNさんが9月に歩いた伊勢ウォークの奥津の宿で撮影されたものです。
そんな山中でもこの注連飾りは飾られているのですね。
そして、伊勢志摩地方では、お正月だけでなく年中外さずに掲げるのだそうです。


「蘇民将来(そみんしょうらい)」の護符
災厄避けの神としての信仰は平安時代にまでさかのぼり、
各地でスサノオとのつながりで伝承され信仰対象となってきたそうです。
大阪ではお正月ですら注連縄を玄関に掲げる家は激減しています。


伊勢にこの風習が根強く残るのは、やはり式年遷宮による常若の聖地だからかもしれない。

しかし、神宮にはスサノオは祀られてないのですよね。



蘇民将来と茅の輪くぐり


あるとき旅に出たスサノオノミコト(牛頭天王とも武塔神とも呼ばれる)がある村で宿を請うた。
富裕な弟の巨旦将来はことわったが、貧しい兄の蘇民将来は家にとめ歓待した。
スサノオノミコトは翌日一宿の恩返しとして、茅の輪のお守りを与えた。
「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に付けたる者は難を逃れるであろう」と言い残した。
後日疫病がはやったとき蘇民将来やその子孫はこの疾病を免れ、巨旦将来の子孫は全滅したという伝説が残っています。





蘇民将来の起源は、イスラエルの過越祭か
というサイト、ふ~ん なるほど… ありかも
どうなんだろう~

興味おありの方は→こちら

道頓堀今井のお弁当

2014-04-05 | 日々是好日
さすが老舗のお弁当、自分では買えません。
竹の皮でできた箱は捨てがたく、いつか使うかもと洗いました。


娘の作品展行ってきました。



graf studio は中之島の堂島川に面した所にありました。
向いが大阪市立科学館のバス駐車場です。















カフェが併設されてて、そこでおしゃべりしてたらあっというまに2時間経ってた。
リーガロイヤルホテルまで徒歩10分。
一緒に行ってくださったMさんにお弁当買ってもらったのでした^^
お弁当美味しかった~
作品までお買い上げいただきありがとうございました。


AOI MATSUKURA exhibition →3月28日の紹介記事はこちら

featuring designers 松倉葵(AOM/NEVE)
開催期間 / 2014年4月5日(土)- 4月13日(日)
在廊日 / 5日(土)・12日(土)・13日(日)
場所 / graf studio(大阪府大阪市北区中之島4-1-9)


伊勢参宮街道、内宮から宇治山田駅まで歩く

2014-04-04 | 伊勢参宮本街道
江戸時代、庶民にとって一生に一度の夢であったという伊勢神宮へ詣でる「お蔭参り」
伊勢参りの様子がデザインされた伊勢市のマンホールです。
カラー版も見ましたが撮影忘れたので伊勢市のマンホールより画像いただいてきました。


カラー蓋は内宮周辺や外宮前の一部に設置されているようです。
右側の人は「おかげまいり」と書かれた幟を背負っているのがよくわかります。

3月30日の伊勢参りレポート最終回です。
江戸時代までのメインルートであった参宮街道の古市を歩いた記録です。
外宮参拝後内宮までこの道を歩く予定でしたが、天気が思わしくなかったので往路はバスを利用し
帰路、宇治山田駅までこの伊勢参宮街道を歩きました。

内宮着いた時からすでに雨は上がり晴れてきました。
参宮後、内宮前で栄える大賑わいのおはらい町で




10分も歩けば終わるおはらい町も人、人、人で、途中おやつ休憩などして

猿田彦神社へ

この神社過ぎて、すぐを右に曲がり坂を登ります。


午前中の雨風で濡れた傘を乾かしながら歩きました。



資料館のあるあたりは、かつての旅館などが残っていたりします。
料理屋や精進おとしのための遊郭などで栄えた歓楽街だったそうですが
大火や戦災でほとんど失われています。

古市は、馬の背のように分水嶺に街道があって
その両脇に家々が建ち並ぶ独特の街並みです。
ちょっと吉野にも似た感じです。




15:15頃宇治山田駅到着。
1時間程度で歩けますので、チャンスがあれば是非歩いてみてください。

30発の特急の切符が取れたのでそれに乗りビールで乾杯!
記憶に残る伊勢参り、いいプチ旅行になりました。


京丹後でイルカ500頭の群れ

2014-04-02 | ケータイ・スマホから
昨晩ブログ書いてる時TVニュースを撮影しました。
滅多に見られない珍しい現象らしいです。

深海魚もイルカも鳥もうごいているのだから
覚悟を決めて心身準備怠らず、日々ご用心、 Do the best !


追記
この記事を投稿したのが今朝 4-02 08:11
それからしばらくしてチリ沖で地震あったようです。
日本時間2日午前8時46分ごろ、マグニチュード8.2の地震が発生

米海洋大気局(NOAA)が発表した地震発生後津波が到着する場合の時間は



まさか日本海のいるかが地球の反対側の地磁気乱れを感じたとは思えないけど。



ふく風は身にすがすがし風の宮 御世も御国もいや守りませ

2014-04-01 | 伊勢参宮本街道
明治天皇皇女で元神宮祭主の北白川房子様の御歌です。

内宮の別宮の一つに、風日祈宮(かざひのみのみや)があります。
先の記事の最後の画像、神楽殿を南に風日祈宮御橋を渡ります。






雨があがり陽があたり蒸発する湯気がゆらゆら立ち上り幻想的でした。

昔は、風神社と呼ばれたらしいです。
級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長戸辺命(しなとべのみこと)が祀られています。

先週、奈良の龍田大社お参りして、まだ記事に出来てませんが、
この風の神様が気になっていたのです。

稲は風媒花で、受精は風次第。
いい風吹いてくれないと稲は実りません。
悪い風が吹くと稲は倒れます。

本来は農耕に適した風雨をもたらす神で、風と雨の順調をお祈りします。

1281年(弘安4年)元寇襲来の時、朝廷より二条為氏大納言が勅使として神宮に派遣され祈られた。
すると両社社殿が鳴動して赤い雲が立ち上り西のほうに駆け抜けて、
西の海に神風を起こして元寇を全滅させた。

この国を守ったご神威により、それ以降、国難に際して国家の平安を護る神様に。

別宮に昇格となり、幕末には黒船を追い払う攘夷祈願も行なわれたそうです。

風宮は困難に立ち向かう意思が欲しい時や、現状打破を願っている時に参拝すると道が開けるといわれてます。





左手の白い幕に覆われている場所に、新しいお宮の遷宮が今年とりおこなわれます。

お伊勢さんの別宮は、内宮外宮あわせて14社あり、両正宮を支えるとりわけ重要なお宮です。
式年遷宮はまだ終わってなくて、今年は別宮の遷宮の年です。



内宮の正宮に参宮したあと、人の流れは荒祭宮へ
天照大神の荒御魂(あらみたま)を祀り、御正宮と同じ年に遷宮が行なわれるもっとも格式の高い別宮です。



皆さんいろんなパワーを戴いておられました。

外宮gekuは左側通行で、内宮naikuは右側通行だった

2014-04-01 | 伊勢参宮本街道
お伊勢さんの正式名称は「神宮」Jinguu じんぐう。
天照大神を祀る皇大神宮は、内宮 ないくう
豊受大神を祀る豊受大神宮は、外宮 げくう
濁らずにくうと読むんですよ、と同行のNさんに教えてもらった。

神宮はじんぐう、別宮はべつぐうと読むのにね。
へぇ~ なんでやろうと調べたけれどわからんかった。

もう一人の同行者Aさんが気付いたことは、
通行札が、外宮は左側通行なのに、内宮は右側通行だった。
これまた不思議。



外宮の月夜見宮では雨風強くかなり濡れてしまったけれど
神路通りを10分ほど歩いて、外宮の北御門鳥居へ

ここで度会橋から歩いて来られるNさんを待つ。
伊勢市に到着してから1時間後が待ち合わせでした。
待ってる間も吹きなぐりの雨は容赦なく、服はぼとぼと、
防水ではないタウンリュックの中に入れたものまで濡れていた。


古いほうのお宮は特別参拝の人しか中に入れません。




カメラのレンズに雨のしずくがついて、どの画像も凄まじかった様子が見てとれると思います。
ココから先は撮影禁止です。

正午頃、正宮にお参りできました。
外玉垣南御門には、白い御幌(みとばり)が垂れ下がり中は見えません。

雨の中、傘を持ちながらお賽銭を出して手を合わせるのは至難の業でした。
モタモタしてたらちょうどその時、なぜか急に風が中から吹いてきて、
その白い御幌が巻き上がり中の御正殿が完全に見えました。

まるで豊受大神(とようけのおおかみ)がよく来たねと声をかけてくださったような…

わぁ~カメラにこのシーンおさめたい!!
しかし撮影厳禁です。
心のシャッター切って、記憶に焼き付けました。
この間5秒程度、あっという間の出来事でした。
しかしまるで映画のスローモーションのように感じました。
感激覚めやらぬ思いで同行者にその御幌があいたことを話すと、どちらも知らないと。
あれ~私の見たシーンはなんだったんだろう…

外宮には別宮が4つあります。
一つは先にお参りした月夜見宮です。
残り3つが正宮に対峙するようにあるのですが、雨風強くお参りを断念しました。
荒御魂(あらみたま)をお祀りする別宮の多賀宮(たがのみや)は、
山の頂にあるので階段を百段ほど上らないといけないのです。
それゆえかつては高宮(たかのみや)と呼ばれていました。


帰りは表参道を戻り、火除橋を渡り振りかえると


左側通行なんやね、と確認。
このときはまだ内宮が右側通行とは知らなかった。

外宮でてすぐのお店で昼食。

濡れた洋服がだいぶ乾いたものの、まだ生乾き。
雨足弱くなるもいつまた雨風つよくなるやもしれんので、内宮へはバスで行くことにしました。

内宮までバス代410円、高っ!!!


雨はあがり、これなら歩いたらよかったね。


まぁ~なんとこちら内宮は、右側通行。
なんでやろう~



参宮終えると、神楽殿ごしの青空が清清しかった。


4/2 4:40pm 追記
内宮の右、外宮の左側通行の意味わかりました!

内宮の参道に沿って右側に五十鈴川、外宮の参道の左側に宮川の支流。
その清流で禊をすれば自然に川沿いに歩くことになります。
極めて神聖な正宮に、少しでも遠い位置から俗界の人間が禊(手水)を終えた後徐々に近づく様に考慮されたもの。
天候の加減で川辺では禊が困難な時もあり、現在は手水舎が用意されています。
神域に入る前の手水舎が、内宮は右側(五十鈴川)に、外宮は左側(宮川の名残の池)にあります。