秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

速玉さんで拾ったけったいな石

2014-07-12 | おでかけ・近畿


熊野速玉大社の境内で石に呼びとめられた気がした。
手にとると、十と◯ がまるで描かれたごとくの模様だった。
珍しいので持ち帰りました。






追記 7/13
拾った石は十 ◯ だと思い込んでたけど、
その後で撮影した速玉さんの熊野稲荷社脇に立ってた、和歌山観光キャンペーン旗
和み、和らぐ、和歌山からはじまる旅

十は禾へんにもみえますね。
禾 ◯

世界遺産 花の窟(はなのいわや)

2014-07-11 | おでかけ・近畿
三重県熊野市有馬町にある花窟神社も世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつです。

和歌山県新宮市で神倉神社と熊野速玉大社に参拝して、
熊野灘の七里浜沿いに国道42号線を30分ぐらい走ります。
熊野市は三重県で、その国道沿いに花窟神社があります。
大阪からだとちょっと遠くて、熊野三度目にしてやっと参拝できました。








本殿はなくて、大きな巌がご神体です。

神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が
火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。




イザナミノミコトの御陵に面して、カグツチノミコトの磐があります。
空を見上げれば網がぶら下がっているのが見えますが写真には写りにくい。



とてもカメラに収まりきれない大きさです。





毎年2月と10月に御網掛け神事というのが行われているそうです。
詳しくは→こちら

花の窟は、日本書記の神代第一で国産みの舞台として登場します。
熊野三山に先立つ古代からの聖地イザナミノミコトの墓陵として、
朝廷より花の窟に錦の御幡をつかわしたことが書かれています。


紀の国や 花窟にひく縄の
ながき世絶えぬ 里の神わざ  本居宣長



  ↑ この画像は検索でもらってきました
神事では参列者皆で力を合わせ七里御浜までこの綱をひっぱり磐に掛けるのだそうです。



トマト甘くするには水を断つ?

2014-07-11 | ケータイ・スマホから


去年もベランダのプランターでミニトマト育ててました。
何粒かはちゃんと赤くなり食べてみたら超マズ~ (≧∇≦)

聞くところによると、トマトに水は禁物なんだそう。
しかしわずかな土のプランターで生きていけるんだろうか…。
かなり葉っぱがしおれてて、なんかかわいそうな感じ。

いつどこで遭遇するやら大雨被害

2014-07-10 | ケータイ・スマホから
朝のワイドショーの画面を撮影したものです。
台風と離れた思わぬ地域で大雨被害でていて心よりお見舞い申し上げます。

台風8号、今は足摺岬の近くを通過中のようです。
ただいま大阪は雨やんでますが、これから降るのでしょうか。

先の画像は、昨日の雨の降り方を時間経過で写していましたが、
紀伊半島の熊野辺りは真っ赤な状態が続いていました。
わずか1日前にはその地に居たので助かりました。

月曜日、家を出るときは長い傘も持っていきましたが使うことはなかった。


往路のバス、奈良県五條市あたりでバス車窓より撮影しました。
飛行機が日輪を横切ってなんか壮観な眺めでした。


スマホ撮影画像の方が趣あるかも。



十津川から玉置神社への道はさらに狭くなります。

道幅狭いとこへ行くので中型バスだとは最初から聞いてました。
実際は25人乗りの小型バス2台で、合計44名の参加でした。
こんなマニアックなツアーなのにエライ人気ですね。

玉置神社の駐車場にて、バス2台を撮影






川湯温泉は、熊野本宮大社のすぐ近くにあります。
川原で露天風呂は入れるので有名です。


夕食後、お風呂に行くと、半月が見えました。
少し離れた所に赤い火星と白いスピカらしき星が輝いていました。

7/10 夕方、台風8号は潮岬に再上陸し、川湯温泉は川の増水で避難勧告が出たらしい。



神倉神社★熊野の根本聖地である神倉山

2014-07-09 | おでかけ・近畿
今回のツアーのおすすめポイント3つは
【神倉神社】60mの絶壁の上に鎮座。
  ご神体「ゴトビキ岩」は、熊野権現が最初に降臨したと伝わる巨岩。

【玉置神社】霊峰・玉置山に鎮座し、境内には巨杉が立ち並びます。

【花の窟神社】イザナミノミコトの墓所と記され、日本最古の神社といわれます。

いつも書いてますけど、世界遺産めぐりのひとつが神社仏閣墓参りに教会。

紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に認定されて丸10年の周年事業が7/7に行われていました。

そのなかでもマニアックな神社ばっかりめぐる旅でした。
いつか行きたいと思われてる方もおられると思いますので、ちょっと詳しくレポートしておきます。

この旅から新しいコンパクトデジカメを使いました。
超簡単ながらもどんな風に写っているのか楽しみでした。

ここからの画像は、CASIO EXILIM EX-Z770 
プレミアムオートの3Mで軽め設定で撮影したものを、
さらにブログアップのためサイズ560x420と軽くしてあります。


帰るときに撮影した画像なので、救急車や消防車が写っています。
山の左に黄色い○で印した地点がご神体「ゴトビキ岩」です。
肉眼ではズームしなくてもちゃんと見えてました。





権現山(神倉山)とは神が権(かり)に現れる山という意味



両部鳥居で、神仏混淆の神社に多く見られるそうです。
ここからは登るのに精一杯で写真撮影どころではありません。

やっと最後の鳥居に到着。






そして帰りはもっと怖い。





Wikiページによりますと
神倉神社(かみくらじんじゃ、かんのくらじんじゃ)は和歌山県新宮市の神社。
熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。


み熊野ネット より部分的に引用させてもらいます。

自然石を組み合わせて積み重ねた急峻な石段は「鎌倉積み」といいます。
建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したものと伝わる鎌倉時代の貴重な遺物です。
石段は538段ありますが、急なところは上り口から中の地蔵までの200段まで、後は緩やかになります。

ご神体のゴトビキとは熊野地方での方言でヒキガエルのこと。
最も大きな巨岩の形がヒキガエルに似ているところから付けられたそうです。
ゴトビキ岩の下からは弥生時代の銅鐸の破片が発掘されていて
おそらく縄文時代の昔から、崇拝されていた場所であったと考えられるようです。

毎年2月6日夜に行われる神倉神社の例大祭「お燈祭(おとうまつり)」は、
勇壮な火祭として知られ、和歌山県の無形民族文化財に指定されています。
白装束の男たちがあの急勾配の石段を火のついた松明を持って駈け降る荒々しい男の祭です。
この日だけは神倉山は女人禁制になります。

熊野は山岳宗教の中心地のひとつでありながら、女人禁制をとらず女性の参詣を積極的に受け入れました
当時、不浄とされていた女性の生理でさえも、熊野権現はいっこうに気にしないのだ、とさえ言われていました。

蟻の熊野詣と言われるほど賑わったのに、室町時代になると院や貴族の参詣もなくなり熊野三山は経済的に苦境に。

そこで、より多くの参詣者を集め、より多くの人々からの喜捨を集めるために、熊野信仰をより広めることが必要となりました。

戦国時代の頃に熊野信仰の拡大のために大きな役割を果たしたのが、熊野比丘尼と呼ばれた僧形の女性芸能者たちです。
彼女たちは熊野三山に属し、熊野信仰を広めながら各地を勧進(社殿の修理などのために寄附を集めること)して歩きました。
彼女たちは、熊野牛王宝印(烏牛王ともいう)を売り、『観心十界曼荼羅(地獄極楽図とも熊野の絵ともいう)』や『那智参詣曼荼羅』などを絵解きし、熊野の聖なる土地としてのイメージを人々の心に浸透させていきました。



なるほど~ 
こうして熊野牛王宝印が誓約を書く証紙として日本各地に広がっていったのですね。

2014-04-20 熊野もうで餅と熊野牛王

ゴトビキ岩で思いもよらぬことが

2014-07-08 | ケータイ・スマホから
台風8号の目、スゴイですね。
七夕の朝、進路情報を気にしながらマニアックな参拝ツアーに出かけました。
行き先は普段から雨の多い紀南ゆえ、長傘にカッパも用意して。
ひょっとしたら雨が上がる可能性もあり、折畳傘にウォーキングステッキも入れました。

天川村の天河弁財天、十津川の玉置神社、川湯温泉で宿泊して
熊野本宮大社、神倉神社、熊野速玉大社、花の巌神社 と神社ばっかり。

知り合いに声かけたけどどなたもウンと言ってもらえなかったのでツアーに一人参加しました。
自分で車運転して行くにはかなりやばいとこだったからツアー見つけた時はヤッタ~  (^○^)V


二日目衝撃的な事件に遭遇したので、その神倉神社から





先週金曜夜、関西ええとこという番組で、この神倉神社がたまたま放映されてました。
538段のメッチャ急な石段がものすごく怖いそうです。

夜中雨が降ったので、石段は濡れていました。
滑るのでこれ以上気をつけれないぐらい緊張して上りました。



ゴトビキ岩の大きさはものすごく巨大でした。
ココに熊野大神が降臨したそうです。
上から見下ろした新宮の街並みは絶景でした。




火祭りではこの階段参道を氏子青年が駆け下りるのですって。

急な石段を降りるのはもっと怖かったです。
やっとあと数段で鳥居というところで、撮影してる人がいたので端によりました。
そしたらテキメン張り詰めた神経が緩んで、広めで平べったい岩で足が滑りました。


やばいと思ったところに鳥居の柱が受け止めてくれて抱きつきました。
で難無きをえて、神様のご加護に感謝しました。


ところが、私は無事おりてホッとしたのもつかの間、落ちた!という声が聞こえました。
下にいた添乗員さんはすぐに上がって行かれました。
間も無く消防のレスキュー隊、救急車、パトカーがやってきて …


足を滑らした男性が数段滑り落ち、下にいた女性に玉突きとなり一緒に転がり落ちて、
下の女性は何回か回転し階段脇の溝下でとまったものの、ということらしいです。
付近でその現場に遭遇した方々は足がすくんで下まで降りるのはさぞかし怖かったことでしょう。

私たちがバスに乗ってから怪我された二人は病院に搬送されました。
おかげさまで命に別条はなかったそうですが検査を受けるため入院されました。
神様のご加護で大事に至らずありがとうございます。
後々後遺症などでませんように。


昔モロッコからの帰りの飛行機がフランクフルト乗り換えで起こった事故を思い出しました。
早朝タラップから降りる時に足を滑らし滑走路に落ちてしまった人がいました。
あの時も救急車で搬送されて同行の奥さん共々一緒に帰国できませんでした。
事故は思いも寄らない時におこり人ごとではありません。


ジャストサイズの大枝地車&二日目は雨の中曳行

2014-07-05 | ケータイ・スマホから
毎7月には夏祭り、10月は秋祭り。
関わってる人にとっては、その年ごとに悲喜こもごもあるでしょうが、
はたからみれば毎年同じ。

なら載せなければいいんだけれど、公開日記といえども備忘録でもあるのであしからず。

で、いつもと違う視点、切り口変えて。

氏地を曳行するにあたり、1時間半ぐらいで休憩が設けられます。
並走してる軽トラにはお茶やジュースが積み込まれています。





子供たちはこの時とばかりにジュース選びます。
大人はやっぱり麦茶で水分補給して、終わってからのビールが美味しく飲めるようにしてます。


祭り二日目 7/6 は午後3時半からの曳行予定でしたが、雨模様で1時スタート。





地車は屋根にビニールカッパが装着されました。
人間はいつもと同じ格好で傘もカッパもなく、雨をものともせず。
やっぱりお天気かどうかで疲労度かなり違いました。



神話のルーツ壱岐の島

2014-07-04 | 旅・九州
6月9日に行った壱岐の島、わずか5~6時間の滞在でしたが、目に留まった景色の数々記録に残しておきます。



唐津からフェリーで印通寺港に着いて、真っ先に向かったのが原の辻遺跡


原の辻一支国王都復元公園を少しだけ散策した記録は
原の辻遺跡の鳥居の原型

続いて、島の右端八幡半島の左京鼻から玄界灘を望む





はらほげ地蔵は潮の満ち引きで海中に水没したり現れたりするので
お地蔵様のおなかをくりぬいた所にお供えするんだそうです。

41名の団体ですから、限られた見学時間でシャッターチャンスは待ってられません。

島の西側からは東シナ海が望めます。






龍神さんが祀られた鳥居の右側ずっと先に対馬。
60kmぐらい離れているそうで天気によって見えるときがあります。




猿岩はこの角度から見ると猿の横顔ですが、反対側からは全くわかりません。
一般的に何とかに見える岩とかいう名所はあまり好みではありません。

トルコのカッパドキアへ行った時も、いろいろ名づけられた岩の前ごとに写真撮影スポットになってました。
そのたびに観光バスが停車しますが、最後のほうは下車もしなかったことを同行のツレとよく語り草にします。


古事記で日本大八島の一つとして登場する壱岐は
「天比登都柱」天の一つ柱と名づけられています。
日本の国づくり神話のルーツ、壱岐の島。
最後に向かったのが月読神社でした。




小さな社殿右横にさらに上に登る階段があり、磐座が祀られてました。

この月読で賜った鈴のストラップはすでに記事にしました。
今宵満月、壱岐の月夜神社で賜った水鈴のおと

駆け足でそれも団体でざっと巡った壱岐の島でした。
機会があれば、サイクリングもいいでしょうね。


最後に、博多へ渡るフェリーからみた玄界灘の夕焼けです。


ASKA保釈の日に薬物乱用防止教室

2014-07-03 | 保護観察
いのちのまつり
この絵本は小学校3年生の「道徳の副読本」に掲載されたそうです。そんなこともつゆしらず…。中学校の薬物乱用防止教室で、「いのちのまつり」の朗読の仕事が割り振られました。皆の...


↑ この記事は1年前を振り返ってみるという、gooブログの企画です。
登録アドレスに届いたメールをクリックすると、このフォームが立ち上がります。



今年の今日、7/3は、守口市第四中学校で、6時間目に中1対象に講習してきました。

あなたたちの将来にわたり、健康と安全を心から願い、ロータリークラブと保護司会と更生保護女性会のメンバーが集いました。
というところからスタートしました。

教室で学んだことは、肝心なことはさておき、どうでもいい脇道に外れた話に限って覚えていたりする。
という自分の体験から、いろんな話をぶちこんでおきました。
何か一つでも印象残ってたらうれしいのですが。

私はこの講師のチャンスをいただいたおかげで、パワーポイントが使えるようになりました。
タバコについてはJTとかのサイトからデータや画像頂戴しスライドとさせてもらったり。
必要とあらば、いくつになっても身につくもんですね。

Hさんにスマホ撮影画像いただきました.

日本最古で最大の白檀一木造の観音菩薩像

2014-07-02 | ケータイ・スマホから
一番古いのって法隆寺かと思ってた。
堺市博物館でみた観音菩薩立像です。
手は違う木だったようでなくなっていました。

百舌鳥の地に伝わった日本最古・最大の白檀仏だそうです。
元々は円通寺に祀られていましたがいつから寺に伝来したのかは不明。
円通寺がどこにあるのか地図検索したら、百舌鳥八幡宮のすぐ近くでした。


白檀は日本に生息せず、飛鳥時代の日本で彫り出された一木造りの像は樟だそうです。

本像制作の時期や場所についても諸説あるようですが、6~7世紀頃の作らしい。


重文指定年月日:19900629

1990年6月29日 ということは私が見学した同じ6/29の25年
白檀とわかったのが遅かったのですね。

詳しくは→ 文化遺産オンライン