A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

タコ(山崎春美)にまつわる回想

2011年03月26日 01時43分54秒 | 懐かしき想い出
1980年代前半山崎春美が率いたプロジェクト、タコの2作のアルバムが紙ジャケ再発された。ピナコテカ・レコードの1stのアナログLPと1990年代半ばに北村昌士氏のSSEレーベルからブートレッグ発売された「タコ大全」を持っているのだが、今回は山崎春美さんとEP-4の佐藤薫さんの監修で新マスタリング/特別解説付というので購入。Disk Union特典の収納ボックスが付いてきた。

1982年に一浪の末大学に入学した私(歳がばれるね)の先輩にプログレ/サブカル雑誌「Marquee Moon」(現在の「Marquee」)に寄稿していた榎本リュウイチさんという人がおり、彼の紹介で吉祥寺ぎゃていにバイトの職を得た。榎本氏は大学の自治会だか企画団体に属しており、その年の学園祭でいくつかの企画を計画した。

ひとつはギズム、ガーゼ、エクスキュート、アレルギー等のハードコア・パンクのオールナイト・ギグ。例によって教室の窓ガラスは全部割られ、消火器がぶちまかれて機材が泡だらけになった。私が貸したギター・アンプも錆びて使えなくなってしまった。弁償しろ!と憤ったが怖くて言い出せなかった。

もうひとつが吉祥寺マイナー関連のアーティストによるライヴである。十時劇場に出演していた人たちが7,8人出演したが、記憶が曖昧で、白石民夫さんがリズム・ボックスにのせてサックスのマウスピースを取り替えながらキーキーとフリークトーンを出していたのは覚えているが、他に誰が出演したのか定かではない。多分篠田昌已さん、石渡明廣さん、佐藤隆史さん、風巻隆さん、工藤冬里さん辺りだと思う。灰野さんがいなかったことは確かだ。ライヴの後に連続企業爆破事件で知られる東アジア反日武装戦線の情宣ビデオを観せられ鼻白んだ覚えがあるから、何か政治的背景のあるイベントだったのかもしれない。そこに恐らく山崎春美さんも出演していた筈である。タコとしての出演ではなくソロかセッションだった。

私はそのイベントの始まる前の昼間に、Nullの二人=岸野君(g)と岡野さん(vln)、即興道場で知り合った高校生のトランペッターと共にサックスで1時間ほどセッションした。私の両親以外に観客は居なかった。

また田中泯さんの「舞塾」が大学講堂前の広場で局部を隠しただけの白塗りの裸でパフォーマンスを行い(これも榎本さんの企画だったか?)今思うと不思議な学園祭だった。

以降私はぎゃていでカウンターのバイトおよびOther Roomとしてライヴ活動を続けたが、同年秋の山崎春美さんの自殺未遂ライヴにショックを受け、少しずつこの世界から足が遠のいて行った。タコのライヴは観たことはないが、春美さんの痙攣パフォーマンスはぎゃてい時代に何度も観ているし、彼はぎゃていの企画ミーティングにも参加していたと記憶している。因みに当時は春美さんに関わらず痙攣パフォーマンスが何故か流行っていた。

タコのLPが発売されたのは自殺未遂ライヴの前だったか後だったか覚えていない。いずれにしろ発売当時に新品で買ったのではなく、暫くしてから大学生協のバーゲンで購入した。坂本龍一が天皇の玉音放送を真似る「な・い・しょ・の・エンペラーマジック」や歌詞がシュールな「人捨て節」「嘔吐中枢は世界の源」などは、アングラ音楽に興味のない友人に聴かせても面白がられたものだ。

今回の再発は丁寧なジャケットの再現と興味深い解説(香山リカさんや野々村文宏氏、佐藤薫さん等が執筆)は素晴らしいが、肝心の音がマスターではなく盤起こしなのがチョット寂しい。

その昔
タコというバンドが
あったとさ

丁度今、大里俊晴さんの著作集「マイナー音楽のために」を読んでいる途中だからタイミングが良い。


コメント (2)
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