今まで何度か頭脳警察のことはブログに書いてきたが、先日10年前にリリースされたまま廃盤の7CD+1DVD BOX「頭脳警察 LIVE DOCUMENT 1972-1975」を中古で手に入れ久々にPANTAさんの歌を聴き狂っているので改めて取り上げたいと思う。といっても頭脳警察に関してはPANTAさん本人の著作も出ているし様々な雑誌やサイトで書かれてきたので今更私が説明する必要もあるまい。ここには個人的な頭脳警察の思い出を綴ることにしよう。
私がポップス/ロックを聴き始めたのは1976年頃だから頭脳警察はすでに解散していた。その頃テレビやラジオで流れる日本のロックらしきものは甲斐バンドやダウンタウン・ブギウギ・バンドやアリスみたいな歌謡曲的なものばかりだったのでもっぱら洋楽を聴きまくった。テレビでアマチュア・ロック・バンドが毎週登場する勝ち抜きバンド大会のような番組をやっていた。それを観て自分でもバンドをやりたくなり、最初はクラシック・ギターで「GUTS」という雑誌を見てフォークソングの練習を始めた。エレキ・ギターが欲しかったが親の世代は「エレキ=不良」のイメージが強かったのでなかなか買ってくれとは言えなかった。フォーク雑誌では飽き足らず「プレイヤー」「ロッキンf」といったロック・ギター雑誌を読むようになる。そこには竹田和夫さん(クリエイション)、春日博文さん(カルメン・マキ&OZ)、ジョージ吾妻さん(LAFF)、吾妻光良さん(ジョージ吾妻さんの弟/後にスウィンギン・バッパーズ)など日本人ミュージシャンが原稿を書いていて、日本にも歌謡曲じゃないロックが存在していることを知った。そんな記事やレビューにPANTAさんの名前もしばしば登場し、頭脳警察も存在だけは知っていた。
1977年位から大貫憲章さんや渋谷陽一さんがラジオ番組でパンクを紹介するようになる。音楽雑誌でパンクが特集され、日本でも東京ロッカーズを始めとしてパンク・バンドが活動を始める。その時に日本のパンクのルーツとして語られたのがジャックス、頭脳警察、サンハウス、村八分、外道等だった。早速外道の1stアルバムを買ってみた。確かに他の日本のロックよりもハードで過激だったが、"3分間+ギター・ソロなし=パンク"の潔さに惚れていた私には古臭いハードロックに聴こえイマイチだった。ジャックスは「からっぽの世界」を聴いてパンク云々以前に怨念の籠った歌に震撼した。頭脳警察の「ふざけるんじゃねえよ」が一番パンクっぽく大いに気に入った。
高円寺のレンタル・レコード店「パラレルハウス」で借りた頭脳警察とジャックスを録音したカセットを何度も聴き返した。頭脳警察は「誕生」というアルバムで、特に「あなた方の心の中に黒く色どられていない処があったらすぐ電話をして下さい」という前衛的な展開の曲は丁度公開され流行っていた映画「ブレードランナー」の原作のフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をネタにした歌詞が新鮮だった。その頃PANTAさんはHALを率いて活動していたが、やはり頭脳警察の方が断然カッコ良かった。
1989年に1971年三里塚闘争のドキュメント「幻野」のロック・ダイジェストLP「幻野EVIDENCE」がリリースされ、「世界革命戦争宣言」「銃をとれ」「セクトブギウギ」という政治的な演奏とともに学生運動で緊迫した観客の野次や妨害演奏が明瞭に収録されていて衝撃を感じた。
PANTAさんを初めて観たのは1990年代半ば新宿ロフトでアナーキーをバックに頭脳警察のレパートリーを歌ったライヴである。「ふざけるんじゃねえよ」「銃をとれ」「さよなら世界夫人よ」といった代表曲に加えアナーキーのリクエストで「前衛劇団<モータープール>」という最高にアヴァンギャルドなナンバーも演奏し、PANTAさんが「30年経ってこんなおバカな曲を演るとは思わなかった」とMCしていたのを覚えている。
その後も何度か再結成頭脳警察を観に行った。すべて新宿ロフトだった。2009年の映画「ドキュメント頭脳警察」は観ていない。
YouTubeに1990年同志社大学での政治集会での頭脳警察の演奏映像が上がっている。90年代に入っても政治運動をしている学生がいるのに驚いたが、PANTAさんの70年代と変わらぬ硬派な演奏が印象的である。
先に上げたBOX SETは70年代全盛期のライヴ記録だが、演奏以上に面白いのが観客の反応である。酷い野次が乱れ飛んだり観客が騒ぎ過ぎて演奏が中断してしまったりして、当時の日本の若者文化の絶好のドキュメントになっている。闘争の時代を生き抜いてきたPANTAさんとトシさんの今後の活動も楽しみである。
頭脳警察を
頼れば
心は満ちる
同じロック伝説にしてもPANTAさんと水谷さんを巡る状況の違いは天国と地獄の差がある。願わくばラリーズ音源の正当な管理者が出てきてくれないものだろうか。