A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

シクスティーズ(60代)女子の逆襲~リンダ・パーハクス/ドット・ウィギン/キャシー・ヤング/小林啓子

2014年02月26日 01時54分07秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド』(1967)に収録されたポール・マッカートニー作「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」は、恋人に向かって「64歳になっても僕を必要としてくれるかい?」と問いかけるラヴソング。ジョージ・マーティンによるオールドジャズ風アレンジがノスタルジアを掻き立てるこの曲は、中間部以外はポールが10代後半の時に作ったと言われている。レコーディングは1966年12月アビーロード・スタジオ。ポールの父親ジェームズが1966年に64歳になったことでポールはこの曲を再び引っ張り出してきた。ポール自身は2006年6月18日に64歳の誕生日を迎えたが、皮肉にもその直前に再婚相手のヘザー・ミルズとの離婚を発表した。そのポールを励ます意味も込めて、彼の子供たちが集まってこの曲を録音し、誕生祝いとしてプレゼントしたという。



ポールをはじめリンゴ・スターやローリング・ストーンズのメンバーのうち3人は70代になっても音楽活動を続けているわけだが、1966年当時の彼らはジジイになってまでロックを続けているとは夢にも思わなかったに違いない。「年喰う前に死んじまいたい」と歌ったロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼンドも60代後半。音楽表現にに年齢制限がないことは、ミュージシャンご長寿番付を見れば明らかである。文字通りの「死ぬまでロックンローラー」も続出するだろう。ポールが歌った64歳はまだまだ若手と言えるかもしれない。

そんな時節に、60代個性派女子(性)が期を同じくして元気な姿を届けてくれた。いずれも40年以上昔の輝きに勝るとも劣らぬいぶし銀の曙光を放つシクスティーズ(注:年齢)女子、略してシク女を、ご長寿ロッカー希望の星のローリング・ストーンズ来日公演直前特集としてご紹介したい。

リンダ・パーハクス Linda Perhacs


60年代後半、かの地LAで突如沸き起こった自然志向/ヒッピー・ムーヴメントの熱に浮かされた名も無い歯科衛生士、リンダ・パーハクス女史が、1970年に発表した唯一のアルバム『パラレログラムス(Parallelograms)』。彼女の患者として出会ったレナード・ローゼンマン(映画「エデンの東」「理由なき反抗」などを手掛けた映画音楽家)という人物が彼女の歌声に惚れ込みプロデューサーを買って出て制作したという。幽玄の楽園感を湛えた深い朝靄の如きエコーの中で揺蕩うゆめまぼろしのヴィヴラート・ヴォーカルが淡く仄暗い奇跡を起こした音響空間は、長らくサイケ史上に名だたるカルト・アルバムとしての地位を欲しいままにしていた。



リリース当時は大きな話題になることもなく、地道に歯科衛生士の仕事を続けたリンダは、20世紀の終焉と共にフリーフォーク・ムーヴメントの中で発掘され、活動再開し、2014年初頭2ndアルバム『ソウル・オブ・オール・ナチュラル・シングス』を完成させた。44年の年月は儚げな美少女を、皺と年輪の刻み込まれた壮観な顔つきに変身させたが、一聴すれば納得、深く謎に満ちたあの声の響きと、暗がりに仄かに広がる弱い光のようなメロディ・ラインは健在すぎるほどに健在。






ドット・ウィギン Dorothy "Dot" Wiggin


アメリカ合衆国ニューハンプシャー州フリーモント出身のウィギン三姉妹によって結成された女性ロック・グループ、シャッグス(The Shaggs)は、長年アウトサイダー・ミュージックの象徴として語り継がれてきた。フランク・ザッパをして「ビートルズよりも重要なバンド」と言わしめた1969年のデビュー・アルバム『Philosophy of the World(世界の哲学)』は、誰にも真似のできない正真正銘のオリジナリティを獲得した、世界最高且つ最悪のロック作品として名高い。父親のプロデュースで本作をひっそりリリースした後行方をくらまし、謎の存在だったウィギン姉妹をNRBQのテリー・アダムスが突き止め1979年再発、続いて後期音源からなる2ndアルバム『The Shaggs Own Thing 』をリリース。パンクブームによるルーツミュージック再評価においてセンセーションを与えた。

▼左がドット・ウィギン


90年代末に一度再結成ライヴが開催されたものの以来目立った活動もなく父親や姉と死別するが、昨年シャッグス・トリビュート・コンサートを企画した地元のインディー・ミュージシャンと共に次女のドロシー・"ドット"・ウィギンがバンドを結成。2013年夏に完全新録音によるソロ・デビュー・アルバム『レディ・ゲット・ゴー!』をリリース。音程の不安定さと相変わらずの素朴さは昔のままだが、時代がシャッグスに追いついた(退行した?)ために、まさに時代の最先端といえる世界を提示した。ジャド・フェア(ハーフ・ジャパニーズ)によるジャケットも秀逸。






●キャシー・ヤング Cathy Young


カナダ出身、1969年発表のデビュー・アルバム『A Spoonful of Cathy Young(邦題:ニュー・フォークのスター/キャシー・ヤングの世界)』はジャケットだけで大名盤に決定!もちろん内容も「うたう呪術師」と紹介される通りのブルージーなアシッド・フォーク。特に冒頭の6分超えの「スプーンフル」のディープな世界に魂を持っていかれる。



1973年にAOR寄りの2nd『トラヴェル・ステインド』でカナダのグラミー賞として有名なジュノ・アワードの最優秀新人賞に輝く。その後音楽面では立った活躍はないが、地元カナダで舞台・テレビ女優として活動し、クラブ歌手として香港のシェラトン・ホテルやバンコクのオリエンタル・ホテルなどで公演も行っていたという。2003年に30年ぶりの3rdアルバム『Days Like These』をリリース、瑞々しいカントリーポップを聴かせた。その後のCDリリースは確認出来ないが、本人のMy Spaceページには『Young Rare & Live』や『Archives』というアルバム名が書いてある。前作から既に10年以上経ってしまったが、2010年の音楽活動40周年ライヴ動画では見事に往年のニュー・フォークのスター健在なので是非とも60代の新作を期待したい。






小林啓子 Keiko Kobayashi(1946年12月10日 - )


1969年にデビューし「日本のジョーン・バエズ」と呼ばれ学生中心に人気を博したフォーク・シンガー。1970年に「比叡おろし」「恋人中心世界」がヒット、ラジオ深夜放送とNHK TV「スタジオ101」のレギュラーとして活躍。前3者のようにサイケやアシッドを謳ったわけではないが、2回もカヴァーしたジャックスの「からっぽの世界」の1971年のデビュー・アルバム『あげます』収録ヴァージョンは、過剰なテープエコーとアンチタイムな歌が昭和元禄極彩色時代を反映している。




70年代後半にシーンから遠ざかるが、25年後の2002年に活動再開し、2006年に30年ぶりのオリジナル・アルバム『始まりでもなく終わりでもなく』をリリース。そして昨年ロンドン録音を含む7年ぶりのフルアルバム『Broadway Market』をリリース。実は筆者が彼女のことを知ったのは意外にもBO NINGEN繋がりだった。何とベース&ヴォーカルのTaigen Kawabeのご母堂なのである。BO NINGENのライヴ会場でお会いした啓子さんはとてもスタイリッシュでカッコいい大人の女性だった。当時「スタジオ101」ではミニスカダンスも披露しアイドル的人気を誇ったというセクシーな魅力は歳と共に増加していることは間違いない。



▼真言宗僧侶・天野こうゆうと共に、歌とお­話で仏教説話を説くライヴイベント「うたかたり」




還暦を
過ぎて歌おう
シクスティーズ



[2/26 08:35追記]
★コチラのシク女も新作キボンヌ⇒エマニエルを超えるフェロモン・シンガー~アンヌ・アンデルセン

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