シカゴ生まれでプロのサックス奏者を父に持つチコ・フリーマンがジャズに興味を持ち、地元の音楽教育組織AACM(Association for the Advancement of Creative Musicians/創造的音楽家の進歩のための組織)に参加するのは必然だった。ピアニストのムハール・リチャード・エイブライムスを中心に1965年に設立されたAACMには、ヘンリー・スレッギル、アンソニー・ブラクストン、ワダダ・レオ・スミス、ジャック・ディジョネット、更にアート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーが属しており、NYで起った「ジャズの十月革命」の精神を継承し、新たなるジャズの創造のために切磋琢磨していた。チコもその最中で改革精神に揉まれ、激しい魂の叫びを吐き出すように血みどろの練習に励んでいた。1977年、シカゴで培った革新精神を胸にビッグアップル・ニューヨーク・シティへ向かった。しかし数多くのクラブやバーが犇めくNYではジャズはもっぱら食事のBGMに過ぎない。得意の火を噴くソロなどもっての他。基本的にソロは最長で12小節しか許されない。バンドリーダーの爺ドラマーのチンタラフォービートに合わせて冗長なスタンダードを夜な夜な欠伸をしながら繰り返す日々。嗚呼、爆発したい。暴発したい。革命を起こしたい。
。。。と思って過ごすうちに、すっかり棘が抜けて丸くなっちゃったんだな、きっと。白を基調としたスタイリッシュなジャケットでクールな表情でポーズをつけるチコの目は、何も見えない虚ろな光が棲みついている。音楽自体はジャケット程悪くない。しかし、シカゴ時代の紙ヤスリのギザギザは、ここでは完全に摩耗して役に立たなくなっている。盟友のセシル・マクビーは、何時しか愛想を尽かせてファッションブランドに同化してしまった。どうかしてるよ。
●Warriors(1978)
●Chico Freeman - Tradition In Transition(1982)
●Chico Freeman Featuring Bobby McFerrin – Tangents(1984)
ヒカシューのギタリスト・三田超人(みた フリーマン)に倣ってチコ超人と呼びたい天才は実は失意の人だったのではないだろうか。
●The Leaders – Mudfoot(1986)
兎とは
違う気持ちで
歪んでいる