A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【来日直前インタビュー】リチャード・ストレンジ(ドクターズ・オブ・マッドネス)

2016年08月29日 00時54分49秒 | 素晴らしき変態音楽


ドクターズは常にリアルライフ(現実の生活)を歌って来た。精神錯乱、政府の統制、革命、反抗などをね。
〜リチャード・ストレンジ(ドクターズ・オブ・マッドネス)

来日直前インタビュー
RIchard Strange of Doctors Of Madness
2016.8.25 メールにて/質問作成:剛田武 Takeshi Goda

1. 前回(2003,2004年)の日本ツアーで最も印象に残っていることは何ですか?

僕にとっては、日本ツアーの実現に至る経緯のすべてが心に残っているよ。当時、ドクターズ・オブ・マッドネスの他のメンバーとは何年も会っていなかった。1978年に解散して以来バンドとして演奏したことはなかったからね。そこへキャプテン・トリップ・レコードがドクターズのラスト・ライヴの音源をリリース出来ないか、とコンタクトしてきて、契約を結んだ。すると続けて日本ツアーは出来ないかと聞いてきた。僕は、他のメンバーとは連絡が取れないけど、友人のマルチ楽器奏者デヴィッド・コールターと一緒にアコースティック編成で日本ツアーをしたい、と伝えたんだ。

デヴィッドと僕がツアーのためのリハーサルを始めたところへ、東京に僕らの曲を全部知っているバンドを見つけた、という連絡が届いたんだ。それがシスター・ポールだった。僕は嬉しくて、きっと素敵な冒険になるに違いないと思い、挑戦を受け入れることに決めて、デヴィッドとふたりで日本へ旅してシスター・ポールに会った。彼らは素晴らしかったよ!僕が書いた曲をすべて知っていて、曲にピッタリのエナジーとダイナミズムで演奏してくれた。最初の2003年のツアーの翌年2回目のツアーが続いた。全てのショーがとてもい楽かったし、オーディエンスはとても親切だった。

2. ドクターズ・オブ・マッドネス以外の活動歴を教えてください。

1978年にドクターズが解散して以降、僕はエキサイティングで挑戦し甲斐のあるプロジェクトにたくさん関わってきた。ワンマン・ショーは『The Live Rise of Richard Strange』 (1980 ZE Records/PVC Records)と『The Phenomenal Rise of Richard Strange』 (1981 Virgin Records)という2枚のアルバムになった。ロンドンのソーホーで『キャバレー・フューチュラ(Cabaret Futura)』というミックス・メディア・ショーのクラブをオープンし、1981年から83年にかけて、最初期のデペッシュ・モード、ソフト・セル、ザ・ポーグス等が出演した。プロデューサーとして、Way Of The West、トム・ロビンソン、The Nightingalesのレコードを制作した。

それから俳優になり(今でも俳優だよ!)、『モナリザ』(86)、『バットマン』(89)、『ロビン・フッド』(91)、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)、『ミスター・ロンリー』(07)、『ハリー・ポッター・シリーズ』(01~)などの映画に出演した。役者として1989年に来日し、東京・銀座セゾン劇場や札幌でウィリアム・シェークスピアの『ハムレット』の舞台公演に出演した。

リチャード・ストレンジ&ジ・エンジン・ルームというバンドで2枚のアルバム『Going Gone』(1986 Another Side/Interphon)と『The Rest Is Silence』(1989 Ausfahrt)をリリースし、シングル「Damascus」がヨーロッパとイスラエルでヒットした。
ドイツの"ワールド・ミュージック"バンドのインターナショナル・ノイズ・オーケストラの2枚アルバム『Listen To The Earthbeat』(1987 Ausfahrt)、『The Dark And Bright Side Of The Globe』(1989 World Music)にゲスト参加した。

2001年に自叙伝『Strange- Punks and Drunks and Flicks and Kicks』を著し、音楽、演劇、映画、イベント企画、実演、作曲といった多種多様な芸術形態で活動するアーティストとしての自分の人生を書き綴った。

歌手としては、最近はアメリカの有名なプロデューサー/アレンジャーのハル・ウィルナーがオーガナイズした一連のコンサートに参加している。特に有名なのはジャーヴィス・コッカーのメルトダウン・フェスティバルの一部としてロイヤル・フェスティバル・ホールで開催されたウォルト・ディズニーの曲を歌うプログラム『Stay Awake!』。このショーは、ニューヨークでも、グレース・ジョーンズ、ニック・ケイヴ、スティーヴ・ブシェミ、ピート・ドハーティ(The Libertines、Babyshambles)、シェイン・マガウアン(The Pogues)、ジャーヴィス・コッカー、ベス・オートン等が出演して公演が行われた。

また、2008年7月にロンドン・バービカン・シアターで開催されたウィルナーの『Rogues Gallery~海賊の歌の夕べ』にティム・リボンズ、シェイン・マガウアン、マーサ・ウェインライト、スザンヌ・ヴェガと一緒に出演した。ハル・ウィルナーがプロデュースした同名アルバム『Rogues Gallery』(2006)にもジョリー・ホランドとデュエットした『Grey Funnell Line』で参加した。

2006年にドクターズのストーナー(b)と再会し、ザ・アドヴァーツのTVスミスも一緒に数回コンサートを行った。TVスミスとは1978年にアルバム用の曲を共作した間柄だ。

One Chord Wonders - TV Smith, Richard 'Kid' Strange & Stoner


コンテンポラリー・ダンス・カンパニー「プロテイン・ダンス」のために楽曲制作を行っている。2010年、30年ぶりにミックス・メディアの草分け「キャバレー・フューチュラ」を再開した。2011年にグラスゴーでの「ニュー・テリトリーズ・インターナショナル・フェスティバル・オブ・リヴィング・アート」でキュレーターを務めた。

一方で月に一度ソーホーの聖バルナバス教会で主催している『A Mighty Big If(とてもでっかい”もしも”)』というくだけた雰囲気のトークショーは、ロンドンの芸術文化ガイドで人気イベントとして定評がある。最近のゲストは、映画監督のマイク・フィッギス、作曲家のマイケル・ナイマン、演劇の巨匠ロバート・ウィルソン、プロデューサー/作曲家のナイル・ロジャーズ、ゲイリー・ケンプ、マーク・アーモンド、ピーター・キャパルディ、ブライアン・コックス、そして芸術家のコーネリア・パーカー、リチャード・ウィルソン、ギャヴィン・タークなど、それぞれの分野の巨匠たち。

2012年にハリウッド映画『ダーク・ハーツ 紅く濡れた裸婦(Dark Hearts)』のエンディング・テーマ曲を委嘱され、「Blood Brother」を提供した。映画は2012年カンヌ国際映画祭で上映された。

Dark Hearts The Richard Strange song "Blood Brother" plays through the closing credits of this film.


僕が新進気鋭の芸術家ハルーン・ミルザ(Haroon Mirza)とコラボレーションして制作したアート作品「A Sleek Dry Yell」は、2012年に国立現代美術協会(Contemporary Art Society)が購入し、現在イギリス各地のアート・ギャラリーで巡回展が行われている。

Haroon Mirza-Richard Strange A SLEEK DRY YELL Hamburg Perf.m4v


教育・学問の世界への参加が増えていて、ロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・ミュージック・パフォーマンス(ICMP)で学士課程の学生に創造的音楽演奏を教えていて、国立音楽教育プログラム「ミュージック・フォー・ユース」の教師もしている。国外では昨年「香港デザイン協会(HKDI)」の給費派遣研究員に昇進した。そこでは講義をと共同制作プロジェクトを担当している。僕はまた国内に350人しかいない「高等教育アカデミー」の博士研究員でもある。

2013年にフランク・ザッパの『200モーテルズ』のイギリス初演にナレーターとバリトン歌手で出演した。超満員のロイヤル・フェスティバル・ホールで公演し、あらゆるメディアで賞賛された。バービカンで開催されたハル・ウィルナーによるフェリーニ映画の作曲家ニーノ・ロータへのトリビュート公演『アマコルド』に、マーク・アーモンド、ニティン・ソーニー、ケイト・セント・ジョンと共に出演した。

作曲家のギャビン・ブライヤーズとのコラボレーション・プロジェクト『Language Is A Virus From Outer Space(言語は外宇宙からのウイルスである)』はウィリアム・バロウズの人生と作品に基づいたカンタータだ。バロウズ生誕100年にあたる2014年10月11日にロンドンのクイーン・エリザベス・ホールでの世界初演は、ソールドアウトでスタンディングオベーションを受けた。僕自身が想起し、キュレートし、共作し、監督したこのショーは、長年のドクターズ・ファンであるデフ・レパードのジョー・エリオット、ギャヴィン・ターク、サラ・ジェーン・モリス、ルパート・トムソン、ジェレミー・リード、ハルーン・ミルザ、アンニ・ホーガン、デヴィッド・コールター、セブ・ロッシュフォード、そしてドクターズ・オブ・マッドネスが出演した。イベントを記録した長編フィルムを現在編集中で、今年中にリリースしたいと思っている。

Doctors of Madness reunion with Joe Elliott


3. アーバン・ブリッツと再会したきっかけは?彼はドクターズ解散後どうしていたのでしょうか?

先述したウィリアム・バロウズのイベントのために、ドクターズの他の3人のメンバーに一夜限りの再結成を持ちかけることにしたんだ。70年代初期にバンドを結成した時に僕らはウィリアム・バロウズから膨大な影響を受けたからね。嬉しいことに3人とも熱心に協力してくれて、一回限りのショーの為にリハーサルと演奏をしてくれた。3人の女性コーラス・シンガーを決めるのに侃々諤々の論議をして、リリバッド・ディアスリ−、サラ・ジェーン・モーリス、イジー・ワーナーに決まった。ライヴでは8曲演奏した。「Doctors of Madness」, 「Billy Watch Out」,「Suicide City」 (ジョー・エリオットがステージに登場して僕とデュエットした)、「Mitzi's Cure」、「Sons Of Survival」, 「Triple Vision」そして「Marie and Joe』。

アーバン・ブリッツはドクターズ解散後、建築業界でエンジニアとして技術面の仕事をしていた。

with Joe Elliott at the William Burroughs show


4. 1975年にドクターズを始めた頃、40年後もドクターズとしてライヴをしていることを想像しましたか?

他の多くのミュージシャンと同じように、ドクターズを結成した頃は、2年より先のことは何も期待していなかった。誰もロックミュージックがどこへ行くのか知らなかったし、自分の一生のキャリアに成り得るのか判らなかった。1975年にセックス・ピストルズが僕らのサポートをしたときに、僕は何か新しいことが起こっていることを感じたんだ。後に「パンクロック」として知られるようになる音楽の要素の多くは、実際はドクターズが発明したものだった。だけど僕らは、ピストルズ、クラッシュ、ジャム、バズコックス、ダムド、アドヴァーツや彼らを取り巻くキッズに比べて年上の世代だったんだ。そんなバンドの多くは僕らのファンや友達だったんだけどね。僕はダムドのデイヴ・ヴァニアンの結婚式の介添人だったし、アドヴァーツのTVスミスとは一緒に曲を作った。ジャムは何度もドクターズのサポートをしたし、ジョイ・ディヴィジョン、スキッズ、シンプル・マインズもそうだった。

振り返ってみれば、ドクターズが彼らのように商業的に成功しなかったことは、幸運だったと思う。だってロックンロールだけしか経験できなかったら、こんなに面白く、やり甲斐があり、楽しめる人生を送ることは出来なかっただろうからね。

5. あなたの音楽が日本のファンにアピールするのはなぜだと思いますか?

僕はいつも“現実の”生活をテーマに書いてきた。精神錯乱、政府の統制、革命、反抗など、決して時代遅れになることがないテーマばかりだ。それが“リアルライフ(現実の生活)”なんだ。日本の音楽ファンは知的だし、自分の生きる状況にフィットするバンドを探してきた。そうやって僕らを発見したんだ。

6. 前回の日本ツアーの後にあなたのヒーローのルー・リードとデヴィッド・ボウイが亡くなりました。あなたの気持ちを聞かせてください。

とても悲しいよ。ルー・リードを失ったことは大きな損失に違いないけど、僕は彼はもはや最高の作品は作れなかっただろうと思う。僕にとってはヴェルヴェット・アンダーグラウンドが今までで最も重要なバンドであり、僕(とドクターズ・オブ・マッドネス)に与えた影響は膨大だった。

デヴィッド・ボウイはパフォーマーとしては僕にとってはより重要だった。『スペース・オデッティ』以来のファンだった。彼が亡くなったのと同じ1月11日に僕の兄が亡くなった。僕には途方もなく悲しい日だった。それに続いてレミー、プリンス、ジョージ・マーティン。音楽の巨人が3人も逝ってしまった。

7. 今現在最も気になるミュージシャンやアーティストは?

PJハーヴェイの新作が好きだ。フランスのグループ、クリスティーヌ&ザ・クイーンズもよく聴いている。彼らはとても興味深い。特に音楽、演劇、コンテンポラリー・ダンス、パフォーマンス・アートの要素を取り入れたステージングが面白い。僕がコラボしている音響彫刻家のハルーン・ミルザも、お気に入りの新しい芸術家の一人だね。

PJ Harvey - The Wheel


Christine and The Queens - Christine (Clip Officiel)


8. 日本でライヴ以外に楽しみにしていることはありますか。

日本での滞在はいつも楽しいよ。今回初めて妻も同行する予定なんだ。短い期間で残念だけど、東京と京都は西欧の旅行者にとって、とても新鮮で刺激的な場所なんだ。他のアーティストに会いたいと思うし、アート・シーンで何が起こっているか知りたいと思っている。新しいバンドを聴くのも楽しみだ。そしてもちろん、古い友人のシスター・ポールと一緒にプレイすること。

9. 今回のライヴの見どころは?

本当の楽しみ、新たなエナジー、音楽への完全な献身。最近ロンドンで、アーバン・ブリッツと僕にシスター・ポールを加えて演奏した時のステージのエナジーは、自分が常にライヴを愛している理由を思い出させてくれた。僕の曲はライヴで一番輝くんだ!

Sister Paul with Doctors Of Madness at The Paradise #1


10. 最後にBrexit(イギリスのEU脱退)についてのコメントをください。

イギリスの選挙民の投票の結果がEU脱退に決まったことを聞いたときはすごく困惑した。僕はイギリスだけでなく「世界の市民」であり、これまでスペイン、フランス、イタリア、ドイツ、そしてスカンジナヴィアや旧共産圏のポーランドやハンガリーで受けた影響や思想を愛している。僕は他の国との意見交換やコラボレーションや共同体感覚を望んでいるから、イギリス国民が孤立を選択し、21世紀には役に立たない大英帝国を夢見ていることにガッカリした。ドクターズはフランス、ドイツ、オランダ、ベルギーで人気があるし、今こそ国と国の境界を減らす必要があると感じている。増やすのではなくてね。

ありがとうございました。



英国の
狂気の医師団
やってくる



“ゴッドファーザー オブ パンク” from London!!
Doctors of Madness Japan Tour 2016

日程
9/3(土)新代田FEVER (イベント出演)
9/5(月)渋谷ラストワルツ
9/7(水)京都西院ウーララ
9/8(木)京都西院ウーララ
9/11(日)新宿JAM

チケット予約、お問い合わせ
sisterpaul@jcom.home.ne.jp
https://www.facebook.com/sisterpaul
https://twitter.com/MACKii1234



★9/3(土) 新代田FEVER "ROCK市ROCK座"
フリマ15:00~、ライブ16:00~
前売り3,000円 当日3,300円
※イベント出演。プロモーションでショートライブを行います。

★9/5(月) 渋谷ラストワルツ
18:30オープン/19:00スタート
前売り¥3500/当日¥3800 (+1drink)
*チケットご予約の方全員に缶バッジプレゼント
<共演>
Cuddly ToyZ
キンキーサロン
DJ: Tsuneglam Sam & Keiji Ronson

★9/7(水) 京都西院ウーララ
18:15オープン/18:45スタート
前売り¥3500/当日¥3800 (+1drink)
*チケットご予約の方全員に缶バッジプレゼント
<共演>
カチコチ虫
HONEY MAKER
リキッドスクリーン
DJ: マーチン(夜想)

★9/8(木) 京都西院ウーララ
18:30オープン/19:00スタート
前売り¥3500/当日¥3800 (+1drink)
*チケットご予約の方全員に缶バッジプレゼント
<共演>
Hamah Moh
Baby Dolls
DJ: メリケン

★9/11(日) 新宿JAM
18:00オープン/18:30スタート
前売り¥3500/当日¥3800 (+1drink)
*チケットご予約の方全員に缶バッジプレゼント
<共演>
Flashlights
Anisakis
BabyBlue
DJ

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