■日本盤リリース情報
アーティスト名: Jaakko Eino Kalevi(ヤーコ・エイノ・カレヴィ)
タイトル: Jaakko Eino Kalevi(ヤーコ・エイノ・カレヴィ)
レーベル: Weird World / Hostess
流通品番:HSE-19223
発売日: 2015年7月1日(水)
価格:2,095円 + 税
※日本盤はボーナストラック・ダウンロードステッカー封入(フォーマッ ト:mp3)、歌詞対訳、ライナーノーツ付 予定
<トラックリスト>
1. J.E.K.
2. Double Talk
3. Deeper Shadows
4. Say
5. Mind Like Muscle
6. Night At The Field
7. Don’t Ask Me Why
8. Room
9. Hush Down
10. Ikuinen Purkautumaton Jännite
道のりは長かったがようやく完全なLive in London が聴けるようになりました。既発のこもったような音より、明らかに抜けが良くなり音質が向上しています。個人的には2001年宇宙の旅で有名な「ツァラトゥストラはかく語りき」を導入部に引用するSpace Truckin'がドラマチックでかっこいい。Mark3 Final やLive In Paris1975等でも聴けますが、このCDのBURN アルバムツアーでのアレンジがコンサートのファイナルにふさわしく思います。また今までBootにすら収録されていなかったオープニングMCもノーカットで聴けライブの臨場感が高まります。演奏も第三期前半の安定した内容です。カットされがちなYou Fool No Oneもノーカットで聞けます。
ニューウェイヴ勢にヘヴィメタで対抗し孤軍奮闘した80年代を経て、90年代以降はロック、バラード、アコースティック、ジャズ、インプロ、ポエトリー・リーディングとジャンルに束縛されない音楽活動を続け、極めて自由度の高いスタンスを貫く。2012年の最新作『FROM THE BOTTOM』では、70年代への想いや阿部薫への追想など、タイトル通りアンダーグラウンドの闇から沸き上がる深い感情を歌い上げた。ジャズ系の小さな会場を中心とした最近のライヴでは、フリー系のミュージシャンとの共演が多く、かつてのロックの女王とは異なる魅力を発揮している。
私が初めて「浅川マキ」を観たのは、私が「時には母のない子のように」で歌手デビューする直前の1969年の冬、今は失きあの伝説の「新宿アートシアターギルド(ATG)」の地下「蠍座」だった。あの時の衝撃を私は多分一生忘れないだろう。その少し前に出会った天井桟敷の芝居「青髭」や、その少し後に聴いたジァニスの「チープ・スリル」、ジミ・ヘンドリックスの「Are You Experience?」と同様に、それはその後の私の人生を変えるきっかけとなるものだったと言ってもいい。
だから怖れ多くも「かもめ」を歌うことには当然、随分と勇気が要った。浅川マキファンに申し訳ない、比べられるのではないか、などと悩み、自信もなかった。けれど、そんな私を後押ししてくれたのは意外にもマキさん本人だった。「あの歌を歌えるのはマキしかいないでしょ」大マキ姉さんにそう言われて、私は安堵したと同時に、ただ好きで歌いたかっただけのあの歌が私にとって、もっと大きな意味をもつようになった。(2007年7月31日)
全くと言っていいほど話題になっていないが、ジャズの巨匠オーネット・コールマンの18年ぶりのスタジオ録音アルバム『ニュー・ボキャブラリー(新たな語彙)』が突然ウェブ上でリリースされた。リリース元のSystem Dialing Recordingsのサイトで試聴できる。高齢のためもう演奏できないのではと思ったりもしたが、サワリを聴く限りではトレードマークの明朗な音色でしっかりしたプレイをしている。曲によってはエレクトロ処理されたバックトラックが、今までにないフューチャージャズ的な世界を創造し、新鮮な響きを伝える。CDがまったく売れないというアメリカ市場の動きを反映して、フィジカルリリースはアナログLPのみ、デジタル配信は幾つか違うフィーマットがある。「192/24 STUDIO MASTERS」というフォーマットは聴いたことがないが、どんなクオリティなのか気になる。
(日本)武道館の神通力が如何に強いのかを証明するかのようにメディア露出&SNS投稿が増加中のでんぱ組が、いよいよ実質的に(日本)武道館後最初のリリース日を迎えた、シングル「ちゅるりちゅるりら」と(日本)武道館公演のDVD『ワールドワイド☆でんぱツアー2014 in 日本武道館~夢で終わらんよっ! ~』がリアル&バーチャル店頭を賑わせる中、全国ツアーがスタート。フラゲ日&リリース日に渋谷クラブクアトロで公演。(日本)武道館の十分の一のキャパなので、当然両日とも完全ソールドアウト。手荷物持込禁止という措置は初めての体験だったが、邪魔モノなしで、とても快適に観戦出来た。
ガチのヲタと新規ファンの混在する場内は、例えばBiSの解散ツアーのような切羽詰まった狂乱ではなく、オラがアイドルを応援するほのぼの愛が主導するピースフルな空気の熱気が溢れ出していた。でんぱ組自身がとりわけ楽しみにしていたツアーであり、外の通りを宣伝トラックが走るお祭り感に感染したハイテンションでトレンディーなキレのいいパフォーマンスを堪能。いくらメディア露出が増えようとも、ライヴこそが最もリアルな現場だと再認識した。将来的にリアル現場がどこまで規模を拡大するかは未知数だが、「いま、この国に”でんぱ組.inc”というグループがいるのはおもしろい」(成瀬瑛美/81 JAPAN summer)ことは確か。このおもしろさがいつまでも続くことを願ってやまない。
沖と並ぶ自由ジャズペッター。世界を相手に闘ってきた即興戦士が自然を相手に孤独なペット人生を送ったことは、やはり闘士の心意気が成せるワザだろう。筆者的には法政大学学生会館で長い竹竿を床に叩きつけながらフロアを闊歩する姿が鮮明に思い浮かぶ。新体道で培った壮観な面持ちには、常に闘い常に交歓してきた男=漢の生き様が皺のように刻み込まれている。無伴奏ソロ作『Fuigo From A Different Dimension』(79)に於けるペットの可能性と不可能性を暴露するかのような挑戦は、今となっては忘れかけた過去かもしれないが、世界の中の日本に少しだけ引っ掻き傷を残した功績は後の世に語り継ぐべきだと信じている。
マンションは
ペット禁止だ
ご無体な
●Sun Ra All Stars and the Sun Ra Arkestra with Archie Shepp Berlin 10/291983
ニューヨーク・ハードコアジャズ・シーンの「今ここにあるリアルジャズ(Jazz Right Now)」を視ていると、ブルックリンを中心に様々なミュージシャンがキラ星の如く煌めき、国内外からの訪問者や居留者(レジデンシー)と交歓を繰り返しながら、即興音楽の新章を産む創造の坩堝のリンゴ(Big Apple)の中から、他者との対話から一時離脱して、自分独りで唯我独尊、我が道を追求する流れが目立つことに気がつく。いわゆるソロ作品は、かつては個々の個人が一個人として個別に個性を発揮する作風が多かったが、21世紀以降の機材やPCの進化で多重録音やマルチ演奏が一般的になった現在、孤城のように孤立した孤独な魂がお互いの孤高を維持したままで契りを交わす誓約書の象徴として重要な意義を持ち得るようになった。それは時代の要請であり必然である。則ちソロ演奏・ソロ作品が単なる分裂した『個』ではなく、屹立する『孤』の共同体として機能する時代が到来したのである。かつては忌み嫌われた孤独が、創造性の泉として賞賛されるべきものへと向かいつつある2015年6月9日午前0時20分現在、NYハードコアジャズ・シーンから発信されたソロ作品を吟味することで、孤立とはひとりぼっちではない、という真理が詳らかにされるに違いない。
NYハードコアジャズ界の風雲児、アルトサックス奏者クリス・ピッツイオコス。2012年春ブルックリンの音楽シーンに登場して丸3年、20代半ばの若き獅子は順調に活動の幅を広げ、リリース作も4作を数える。自己のトリオ、クリス・ピッツイオコス・トリオ(マックス・ジョンソン b、ケヴィン・シェイ ds)のデビュー作『Gordiane Twine』のリリースを7月10日に控えたピッツイオコスが、配信のみで発表したソロ・アルバム。『忘却/恍惚』と題した本作は6つのトラックからなる。2014年6月に一発録音された音源を全く編集加工なしで収録。高周波のフリークトーン、気配のみの無音演奏や、息継ぎなしのミニマル音響、ラストはサックスではなく爆音フィードバックノイズ。"サックスを支配するのでは無く、サックス自身が鳴りたがる音を導きだす”と自らの演奏姿勢を表現するピッツイオコスの『孤』性を明らかにする孤高作。6曲のタイトルを並べると「Ecstasy is the thread between order and oblivion. I spin it.(エクスタシーは秩序と忘却の間を結ぶ糸である。私はそれを紡ぐ)」。ピッツイオコスのアルトはエクスタシーへの導きなのだ。