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5月らしい気温、そして風。5月はこうでなくっちゃ、と思うような日であった(写真参照・この二人はまったく見ず知らずの人です)。
一年ぶりに中田島海岸へ行った。どの観光案内を見ても、浜松市の観光地として載せられている中田島海岸。写真では、砂丘の風紋が夕焼けに赤く彩られ、砂丘は無限の彼方まで続くような風景が映し出されている。浜松市では「日本三大砂丘」として、またアカウミガメが上陸・産卵するところとして売り出している。
ところが、アカウミガメが上陸してこなくなった。いや上陸できなくなった。海岸には、河原のような石が敷き詰められ、昔の潮騒は、今や砂利が波に洗われている音に変わっている。アカウミガメが上陸するところは砂地でなければならない。また砂地でなければ、産卵する穴を掘れない。
アカウミガメの上陸を拒む海岸と化した中田島海岸。
この海岸は浸食を受け、どんどん後退を続けている。「大」砂丘とはいえないのだ。浜松市は困惑した。ここは高度経済成長期に不燃ごみを埋め立てたところ。駐車場がある公園もそうだ。そして馬込川西側の海岸部。その不燃ごみが、浸食によって姿を現したのだ。2003年のことだ。このまま浸食が続いたら、あのごみの山が波によって運ばれる。
危機感を抱いた浜松市は、海岸を管理する静岡県と相談し、海岸部に土砂を置き、浸食を食い止めようとした。そして離岸堤(波消しブロック)を設置して海岸を護ろうとした。護岸工事が始まる。
ちょうどよい、国土交通省が天竜川の浚渫を行っている、あるいはJ・パワー(佐久間ダム、秋葉ダムを管理している電力会社)がそれぞれのダム湖の浚渫を行っている。その土砂をつかえばよい!担当者は良いアイデアと思ったことだろう。浚渫された土砂は、その行き先がないのだ。それは静岡県などに販売することができる。利権と化したのである。日本の公共事業は、ほとんどが利権だ。利権の波に乗せることができた。
波消しブロックも置いた。でもなぜか、ごみを埋め立てた地点には置かれなかった。何のための離岸堤?
昨日の海岸も、人がたくさん来ていた。波打ち際の堆積した石の上に腰をおろし、砂利がかき鳴らす「潮騒」(まさに騒々しい音と化している)を聴きながら海を見ていた。
海は昔から変わらずに、波を打ち寄せてくる。だが、陸の人間たちは、波が次々と寄せてくるように、虚構のうえに虚構をつくりだしていく。
虚構は自らが虚構であることを教えてくれない。もちろん、「潮騒」が教えてくれるわけでもない。虚構を虚構としてみつめる努力がなければ、虚構は虚構としての姿を現してこない。
中田島の空は青く、どこまでも広がっていた。ボクは、昔の、砂利がなかった頃の潮騒を想い出そうとしていた。