田中正造の足跡を訪ね、古河鉱業足尾銅山の鉱毒を見る旅で撮影した写真と、そこでの感想をまじえて、書いてきた。二日間という短い期間ではあったが、渡良瀬川研究会のAさんの適切な案内によりたいへん実りあるものとなった。ほんとうにAさんにはお世話になり、ただただ感謝する次第である。
さて、今日はそのなかで考えたことを書いていく。
まず「学ばない」ということだ。ボクの脳裏には、3・11の東京電力福島第一原発の事故のことがある。
Aさんから旅の前に『田中正造と足尾鉱毒事件研究』16号(渡良瀬川研究会編・随想舎)を送っていただいた。多くの人の論考が掲載されているが、やはり3・11事件との関わりを論じているものが多い。
それはなぜかというと、足尾銅山鉱毒事件と原発事故の構図が相似形だからだ。小松裕氏の論考から引用させてもらうと、「被害に苦しむ多数の人々を尻目に、「国益」として一企業の経済活動が優先され、保護され」る現実、そして「利益は企業、ツケは国民」という日本政治に貫かれている大原則。
この大原則が陰に陽に、国民の前に示され、国民は何度も何度も騙されているのに、それを国民は「学ばない」。だから逆に、支配層は国民が「学ばない」ことを「学んでいる」から、国民の怒りが少しくらい巻き起こってもまったく動じない。
だから変わらない。
古河鉱業は、銅山を経営して利益を得る、しかしそれによって起きた公害についての責任はとらない。国家にまかせる。枯れ果てて、岩だらけになった足尾の緑化事業に、毎年40億円の税金が投入されているという。
あの黒々とした有毒な鉱滓を、現在は売れないけれども、最近まで船底に貝殻を付着させないためとして、古河は公然と販売していたというのだ。
いつまでも利益は企業に、ツケは税金、こういう構図がずっと続いている。
東電の原発事故も同様だ。除染といって鹿島などのゼネコンを儲けさせる。税金は特定の企業に儲けさせるように費消されていく。本当の被害者には、「雀の涙」ほどのものを与えて黙らせようとする。
ボクは、足尾・龍造寺の墓地に静かに置かれていた石仏を思いだす。銅山からの煤で黒くなっていた石仏。ボクはそのおだやかな顔の後ろに憤怒を見た。その憤怒をボクも共有したいと思う。
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さて、今日はそのなかで考えたことを書いていく。
まず「学ばない」ということだ。ボクの脳裏には、3・11の東京電力福島第一原発の事故のことがある。
Aさんから旅の前に『田中正造と足尾鉱毒事件研究』16号(渡良瀬川研究会編・随想舎)を送っていただいた。多くの人の論考が掲載されているが、やはり3・11事件との関わりを論じているものが多い。
それはなぜかというと、足尾銅山鉱毒事件と原発事故の構図が相似形だからだ。小松裕氏の論考から引用させてもらうと、「被害に苦しむ多数の人々を尻目に、「国益」として一企業の経済活動が優先され、保護され」る現実、そして「利益は企業、ツケは国民」という日本政治に貫かれている大原則。
この大原則が陰に陽に、国民の前に示され、国民は何度も何度も騙されているのに、それを国民は「学ばない」。だから逆に、支配層は国民が「学ばない」ことを「学んでいる」から、国民の怒りが少しくらい巻き起こってもまったく動じない。
だから変わらない。
古河鉱業は、銅山を経営して利益を得る、しかしそれによって起きた公害についての責任はとらない。国家にまかせる。枯れ果てて、岩だらけになった足尾の緑化事業に、毎年40億円の税金が投入されているという。
あの黒々とした有毒な鉱滓を、現在は売れないけれども、最近まで船底に貝殻を付着させないためとして、古河は公然と販売していたというのだ。
いつまでも利益は企業に、ツケは税金、こういう構図がずっと続いている。
東電の原発事故も同様だ。除染といって鹿島などのゼネコンを儲けさせる。税金は特定の企業に儲けさせるように費消されていく。本当の被害者には、「雀の涙」ほどのものを与えて黙らせようとする。
ボクは、足尾・龍造寺の墓地に静かに置かれていた石仏を思いだす。銅山からの煤で黒くなっていた石仏。ボクはそのおだやかな顔の後ろに憤怒を見た。その憤怒をボクも共有したいと思う。
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