浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

証し

2013-05-17 20:16:06 | 日記
 旅の中で、ボクは墓を見た。人が生きてきた証しでもある墓は、しかし人から離されたところに置かれていた。その墓の主は、もちろんもうこの世にはいない。だからといって、人の通わぬところにあっていいわけがない。少なくとも、子孫が生活している近くにあったほうがいいし、そうあるべきだ。

 だが、最初に見た墓は、国家によって住んでいた人びとが強制的に追い払われた地にあった。旧谷中村である。今は、広大な遊水池だ。葦が群生し、無数の鳥がさえずり、あたかも自然の宝庫のようだ。
 春、地域の人びとは、枯れた葦を焼く。この地域の風物詩だという。野焼きによって炎に包まれるまでは、おそらく墓は、葦に覆われてその姿は見えない。あたかもずっと昔から、ここが、人が住まない遊水池であったかのように。
 だが、野焼きの炎は、もと谷中村の住人たちの憤怒となって、墓を露わにする。そして葦に隠された墓は、静かに語り始める。谷中村の物語を語り始めるのだ。
 ボクらは、その物語を聞くために、風の音と鳥のさえずりのなかに分け入っていかなければならない。



 旧谷中村に生きた人びとの証しとしての墓は、もちろんこれだけではない。上流から肥沃な土壌が流れ来る谷中村には、たくさんの人びとが住んでいた。その人たちの墓は、「合同慰霊碑」に集められた。だがそこにある墓は、コンクリートに塗り固められていた。



 墓は本来、一人の、あるいは家族のものであるはずだ。それがこうして固められてしまったのだ。墓は、殺された。塗り固められた墓には、もう誰も埋葬されることはない。過去を固定し、未来を峻拒する墓となってしまった。だがこれを、墓と呼べるのだろうか。

 同じような墓を、ボクは足尾・龍蔵寺でも見た。それはピラミッドのように、墓が集められていた。足尾ダムの建設によって水没した地域の墓を集めたのだという。



 これは「無縁塔」と呼ばれている。そう、これも絶対に墓ではない。過去を固定し、未来を峻拒しているからだ。そしてその塔は、煤のようなもので黒っぽくなっていた。

 塔の向こうに見える煙突は、古河鉱業のものだ。あの煙突から、亜硫酸ガスなどが大量に排出された。そのガスが、塔に固められた墓を汚したのだ。すでに閉山になってからかなりの年月が経つのに、煤のようなものは消えない。いやおそらく、塔はその煤を落とさないようにして、古河鉱業の犯罪を今も告発しているのだ。「我々を汚した奴を、我々は永遠に忘れない」と。

 そしてそのガスによって廃村となった松木村にも墓はあった。

 
 墓の後方には、有毒の鉱滓が黒々と山腹を覆う。この鉱滓が垂れ流されて、下流域の人びとを塗炭の苦しみに追いやったのである。それが今も、大量に残されている。

 鉱滓は、遺された墓を呑み込むかのようだ。

 墓は、ここに人びとの生活があったことを示しながら、あの古河鉱業が、亜硫酸ガスと有毒な鉱滓で、人びとを追い払ったのだということを、証言し続けていた。


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