浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「属国」問題を考える

2013-07-11 07:21:56 | 日記
 今、最近発売された『終わらない〈占領〉』(法律文化社)を読んでいる。すべてを読み終えたわけではないが、その中で前田哲男氏の論文は、冴えに冴えている。該博な知識をもとに、今時点で何を主張すればよいのかを踏まえ、明晰な論理で自衛隊と米軍の関係史を論じている。

 まず氏は、「「フクシマ事態」は戦後日米関係の根底にうずくまる利権構造の一端を、思いがけぬ形で暴露する出来事であった」と、原発事故も、安保体制と同様に戦後日米関係の利権構造に由来することを指摘する。

 そして正当にも、氏は、改憲論者が現行憲法を押し付け憲法だとして否定するその論理をもって、では自衛隊はどうなのかを論じる。現行憲法は国会で論議され、そこでの審議を経て全会一致で公布施行された。しかるに自衛隊はどうか。自衛隊の前身である警察予備隊は、朝鮮戦争勃発直後のマッカーサー書簡(1950年7月8日)にもとづき発せられた「ポツダム政令」により急遽設置されたものだ。もちろん国会の承認なぞない。まさに陸上自衛隊は、占領軍によって押し付けられたものだ。

 そのとおり、なぜ安倍首相以下、改憲論者はこれを問題にしないのか。

 そして海上自衛隊も、航空自衛隊も、米軍の求めに応じてつくられたものだ。まさに押し付けられた自衛隊である。

 氏は、警察予備隊の訓練時、「アイズ、ライト」(頭、右)で整列したそうだ。

 まさに米軍によってつくられ、訓練された自衛隊、それを「国防軍」にするというのだ。どこの国を護る「国防軍」になるというのか。

 そして第一線の兵器は、戦車を除いて、すべてアメリカ式。日本の軍需産業は、ライセンス生産企業でしかない。


 米軍再編以降、陸上自衛隊が海兵隊化し(まさに陸上自衛隊はアメリカ海兵隊と軍事訓練を行っている)、すべての自衛隊は、米軍のもとに統合化された。指揮はもちろん米軍がとる。

 オバマは、2011年、キャンベラでこう語った。

 「(アジアが)雇用と機会の創出という私の優先課題の達成にとって、決定的に重要だ」

 だから、ジャパンハンドラーは、日本にTPPに参加しろ、イージス艦をもっとつくれ、無人偵察機を買え・・・・・などと、日本にカネをジャブジャブ出させようとする。米軍がいくところにも、戦闘部隊として出ていけ!なのである。だから改憲して「集団的自衛権」を認めよ、なのである。

 属国日本は、アメリカにひたすら富を明け渡す。

 日本国民は、アメリカ国民をも養うのだ。

 この前田氏の論文は、明快でよい。この論文があるだけで、本書を購入した価値があるというものだ。ただ、校正ミスがいくつかある。すでに4箇所発見。人が書いたものは、発見してしまうのである。





 
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苦行

2013-07-11 00:33:29 | 日記
 昨日、もっとも暑い時間帯、ボクは草取りに精を出した。太陽の光は容赦なく照りつけ、ボクのからだは汗まみれになった。

 まわりには誰もいないから、もしボクが倒れでもしたら、おそらく発見が遅れてしまうことになる。

 夏になると、ほんとうに草は雨が降る毎に生長し、緑が固まりながら大きくなる。春が来て徐々に暖かくなると草が生長を始める。もうボクは一度、庭の草をすべて取り尽くしたはずだ。

 でも、梅雨の時期になると、そんなことに構わず、雑草はボクに挑戦するかのように、どんどん大きくなる。早くとらないと、根がはってもっととりにくくなるぞ、と脅しをかけてくる。

 今日ボクは、友人に頼まれた綿花の苗を畑に植えに行った。ドライフラワーにして飾りたいからつくってといわれたものだ。

 ひと月ほど前に渡された種は綿に覆われていた。栽培方法をネットで調べたら、綿を取れ、とあった。努力したけれどもとれなかった。そこで一晩水に入れておいて、小さなポットに種を蒔いた。しばらくして芽が出てきた。気温が25度にならないと芽を出さないとあったので、その時期を待っていた甲斐があった。

 その苗を植えつけたのだ。数日前に畑の草をとり、畝をつくっておいた。

 今の時期、除草作業や畑仕事は、暑さとの闘いとなる。汗がほとばしり、その汗が眼に入る。痛みをこらえて体を動かす。

 決して楽しい仕事ではない。だが、その仕事をしているとき、ボクは無心である。こうしようと決め、そして体を動かせば必ずその通りになる。仕事の結果が確実に予想できる。

 草をとればそこから草はなくなる。畝をつくろうとすれば、必ず畝はできる。

 しかし問題はこの後だ。蒔いた種や植えつけた苗は、こちらの思い通りにはならない。うまい具合に実をつける野菜もあれば、成長もせずにのたれ死にするものもある。うまくいっているのが大根や枝豆、そしてキュウリ。ゴボウは種を蒔いたが、そのうち二つしか芽を出していない。

 農業は確実にできることと、予想できないこととがある。予想できないことを、予想できるようにいろいろ工夫していくことが、やり甲斐であるのかもしれない。

 だが真夏の労働は、苦行でもある。汗まみれで体を動かしているとき、ボクは苦行であることを自覚する。自らに苦行を課すことによって、何かよいことが起きるかもしれないと思って体を動かす。

 その何かが、何であるのかはわからない。それでも、何らかの努力をすることによって何か報われるかもしれないという期待は必要だと思う。それは生きる原動力になるからでもある。
 
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