NHKテレビの日曜大河ドラマは、幕末の会津を舞台にしたものをやっている。といってもボクはこれを見ているわけではない。テレビは、とにかくほとんど見ないから。
いつだったか、東部からの帰途、車でNHK総合テレビにチャンネルをあわせたら、ちょうど会津戦争の場面だった。といっても画像は見えず、ただ音声を聞いていただけだ。
ボクは、今でも、薩摩長州の田舎侍でありテロリストであった者どもが建設したから、日本の近代国家は悪くなった考えている。だから、それに最後まで戦った会津には親近感を抱いていた。とはいえ、会津戦争に関して何らかの文献を読んだことはなかった。
そんなとき、町田の住人からこの本を教えてもらった。早速読んでみた。なるほど会津は負けるわけだ。高校の教科書にもでてくる松平容保がまずリーダーとして失格であったこと、会津の藩政が住民の支持を得られるようなものではなかったこと、会津藩士に軍事的に有能なリーダーが少なかったこと、そして薩摩長州だけではなく、多数の藩が会津を討つために参集したこと、これらが原因となって敗退した。
幕末の、鳥羽伏見の戦い以後、多くの藩が幕府の形勢不利と見るやすぐに官軍(薩長)に白旗を掲げたことは、かえすがえすも日本人の変わり身の早さを感じざるを得ない。大義や義理を大切にするという「武士道」なるものをかなぐり捨て(だから武士の「武士道」なんて嘘っぱち!)、我が身可愛さを最優先する諸藩。
しかしそれにしても、薩長は悪い奴らだ。この本は、会津戦争の顛末を一応書いてはいるのだが、ボクはやはり薩長・官軍の卑劣さを感じる。
とくに死者の埋葬についてである。
薩長の官軍は、「犯罪者という理由で、会津藩兵の遺体の埋葬を禁じた。このためあちこちに放置された遺体は狐や狸、野犬に食いちぎられ、鳶や烏につつかれ、腐乱が進み、一部は白骨化し、城下とその周辺は、死臭ただよう地獄と化し、人々は鼻をふさいで歩いた」(188)という。
日本の伝統は、敵味方なく、合戦の遺体は埋葬するというものであったが、官軍はそうではなかった。すでに亡くなったのだから、つまりは仏であるのに、亡くなっても敵は敵として扱うという、何という冷酷な者どもよ。靖国神社もその冷酷さの延長線上につくられたものだ。
その冷酷な者どもは、こういうこともしている。
薩長軍の掠奪暴行である。城下町には戦闘中から市場が立ち、江戸から商人が入り、掠奪品を買いあさっていた。このことは天守閣からも遠望され、籠城兵は歯ぎしりして見つめた。また婦女子が捕らわれ、性の対象として扱われ、監禁同様の暮らしを強いられていた。・・・略奪や婦女子への暴行、拉致、監禁は各藩が競って行い、抵抗した婦女子を全裸にして殺し、樹木に吊り上げた例もあった。(182頁)
まさに日本軍の原型が、ここにはある。
近代日本は、侵略と植民地支配を不可欠の要素として出発しているから、この会津戦争を詳しく見ることにより、薩長によって建設された近代日本国家の「悪」を初発から捉えることができるのではないかと思う。
関連文献をさらに読みすすもうと思う。
いつだったか、東部からの帰途、車でNHK総合テレビにチャンネルをあわせたら、ちょうど会津戦争の場面だった。といっても画像は見えず、ただ音声を聞いていただけだ。
ボクは、今でも、薩摩長州の田舎侍でありテロリストであった者どもが建設したから、日本の近代国家は悪くなった考えている。だから、それに最後まで戦った会津には親近感を抱いていた。とはいえ、会津戦争に関して何らかの文献を読んだことはなかった。
そんなとき、町田の住人からこの本を教えてもらった。早速読んでみた。なるほど会津は負けるわけだ。高校の教科書にもでてくる松平容保がまずリーダーとして失格であったこと、会津の藩政が住民の支持を得られるようなものではなかったこと、会津藩士に軍事的に有能なリーダーが少なかったこと、そして薩摩長州だけではなく、多数の藩が会津を討つために参集したこと、これらが原因となって敗退した。
幕末の、鳥羽伏見の戦い以後、多くの藩が幕府の形勢不利と見るやすぐに官軍(薩長)に白旗を掲げたことは、かえすがえすも日本人の変わり身の早さを感じざるを得ない。大義や義理を大切にするという「武士道」なるものをかなぐり捨て(だから武士の「武士道」なんて嘘っぱち!)、我が身可愛さを最優先する諸藩。
しかしそれにしても、薩長は悪い奴らだ。この本は、会津戦争の顛末を一応書いてはいるのだが、ボクはやはり薩長・官軍の卑劣さを感じる。
とくに死者の埋葬についてである。
薩長の官軍は、「犯罪者という理由で、会津藩兵の遺体の埋葬を禁じた。このためあちこちに放置された遺体は狐や狸、野犬に食いちぎられ、鳶や烏につつかれ、腐乱が進み、一部は白骨化し、城下とその周辺は、死臭ただよう地獄と化し、人々は鼻をふさいで歩いた」(188)という。
日本の伝統は、敵味方なく、合戦の遺体は埋葬するというものであったが、官軍はそうではなかった。すでに亡くなったのだから、つまりは仏であるのに、亡くなっても敵は敵として扱うという、何という冷酷な者どもよ。靖国神社もその冷酷さの延長線上につくられたものだ。
その冷酷な者どもは、こういうこともしている。
薩長軍の掠奪暴行である。城下町には戦闘中から市場が立ち、江戸から商人が入り、掠奪品を買いあさっていた。このことは天守閣からも遠望され、籠城兵は歯ぎしりして見つめた。また婦女子が捕らわれ、性の対象として扱われ、監禁同様の暮らしを強いられていた。・・・略奪や婦女子への暴行、拉致、監禁は各藩が競って行い、抵抗した婦女子を全裸にして殺し、樹木に吊り上げた例もあった。(182頁)
まさに日本軍の原型が、ここにはある。
近代日本は、侵略と植民地支配を不可欠の要素として出発しているから、この会津戦争を詳しく見ることにより、薩長によって建設された近代日本国家の「悪」を初発から捉えることができるのではないかと思う。
関連文献をさらに読みすすもうと思う。