『日本経済新聞』の記事だ。
日本人の平均寿命、女性2年ぶり世界一 男性は5位
2012年の日本人の平均寿命は女性が86.41歳、男性が79.94歳で、いずれも11年を上
回ったことが25日、厚生労働省の調査で分かった。女性は香港に次いで2位に後退し
た11年から0.51歳延び、2年ぶりに世界一となった。男性も0.50歳延びて世界8位か
ら5位に上昇した。11年の平均寿命は多数が死亡した東日本大震災の影響で10年を下
回っていた。
男性はだいたい80歳まで生きられるということになる。でもそれはあくまでも平均であり、個人の死は、いつになるかは不明である。この世に生まれてきた者は、必ず死を迎える。生は、まさに死への道のりでもある。
ボクは高校生になった頃、自分自身の生と死について、必死に考えた。何故にボクは生まれてきたのか、果たしてボクに存在意義はあるのか、もしないとするなら死ぬべきではないか・・・・
生とは何か、死とは何か・・・・それを解明するために、ボクはたくさんの本を読んだ。人生論は言うまでもなく、哲学書など、難しくとも、とにかく読んだ。読んでも、読んでもその解は見つからなかった。友人との語らいによっても、その解は与えられなかった。
ボクは、そのために、学校をしばしば休んだ。家族は、そういう状態のボクに干渉しなかった。なぜかはわからないが、学校に行け、などとは言わなかった。
おそらく続けて休んでいたのだろう、クラスの友人が二人、ボクの家にやってきた。村松君と村木君だ。彼らとボクがどういう話しをしたのかは記憶にない。だがその後、ボクは学校にまた行き始めた。
とはいえ、先の問いに解が与えられたわけではなかった。ボクは煩悶しながら学校に通った。クラスには、前川君がいた。彼は驚くべき読書家であった。毎日毎日、ほぼ一冊ずつ、西洋文学の本を読み、それについての感想を語るのを常としていた。ボクは彼に刺激されて、学校からの帰り道必ず本屋に立ち寄るようになり、文庫本を一冊、また一冊と買い、勉強もせずに、ひたすら読書にふけった。
この頃、ボクの寝る時間は、午前2時~3時であった。深夜放送を聴きながらの読書であった。
翌日、ボクは自分が読んだ本について、前川君らと語りあった。文学を読んでいる間、ボクは前記の問いを問わなくなっていた。といっても忘れたわけではない。文学を読むことに必死で、解決のない問いを考える時間がなくなったのだ。
もちろん文学には、人間いかに生きるべきかという問いとその解が、ひそやかに埋めこまれてるから、それらを読みながら考えてはいたのだろう。
『マノン・レスコー』や『椿姫』などの恋愛小説を読み、情熱的な恋愛に焦がれ、ロマンロランの大作『ジャン・クリストフ』はノートをとりながら読み、その生き方に大いに触発され、ツルゲーネフの『初恋』に大人の恋愛を少し垣間見たり、とにかく片っ端から読んでいった。
そのなかで、徐々に、悔いのない死を迎えるためには、悔いのない生き方をしないといけない、では悔いのない生き方とは何だろう・・・などと、少し具体的な方向に向かった。そのなかで、ボクは他者というものを発見したのだ。
意義のある生とは、自分ひとりだけの人生を生きるのではなく、他者とともに、他者のために生きることであること、そうすることによってはじめて自分の人生は意義のあるものとなる、という一応の結論がでてきたのだ。
ボクはよく「世のため、人のため」という。それは、高校1年生の頃に考え抜いてでてきた結論なのである。それ以降、紆余曲折はありながらも、その基本線は維持しながら生きてきたつもりである。
ボクの人生の先には、死が待ち受けている。いや、すべての人間の生きる先に必ず存在するものだ。不在が存在するのである。ボクは、この生がある間、できうる限り自らの生を充実させていきたいと思っている。
生を充実させるためには、他者との共生が必須の要件となる。他者をみつけること、その他者と共生していくこと、それがボクの生きるということだ。
日本人の平均寿命、女性2年ぶり世界一 男性は5位
2012年の日本人の平均寿命は女性が86.41歳、男性が79.94歳で、いずれも11年を上
回ったことが25日、厚生労働省の調査で分かった。女性は香港に次いで2位に後退し
た11年から0.51歳延び、2年ぶりに世界一となった。男性も0.50歳延びて世界8位か
ら5位に上昇した。11年の平均寿命は多数が死亡した東日本大震災の影響で10年を下
回っていた。
男性はだいたい80歳まで生きられるということになる。でもそれはあくまでも平均であり、個人の死は、いつになるかは不明である。この世に生まれてきた者は、必ず死を迎える。生は、まさに死への道のりでもある。
ボクは高校生になった頃、自分自身の生と死について、必死に考えた。何故にボクは生まれてきたのか、果たしてボクに存在意義はあるのか、もしないとするなら死ぬべきではないか・・・・
生とは何か、死とは何か・・・・それを解明するために、ボクはたくさんの本を読んだ。人生論は言うまでもなく、哲学書など、難しくとも、とにかく読んだ。読んでも、読んでもその解は見つからなかった。友人との語らいによっても、その解は与えられなかった。
ボクは、そのために、学校をしばしば休んだ。家族は、そういう状態のボクに干渉しなかった。なぜかはわからないが、学校に行け、などとは言わなかった。
おそらく続けて休んでいたのだろう、クラスの友人が二人、ボクの家にやってきた。村松君と村木君だ。彼らとボクがどういう話しをしたのかは記憶にない。だがその後、ボクは学校にまた行き始めた。
とはいえ、先の問いに解が与えられたわけではなかった。ボクは煩悶しながら学校に通った。クラスには、前川君がいた。彼は驚くべき読書家であった。毎日毎日、ほぼ一冊ずつ、西洋文学の本を読み、それについての感想を語るのを常としていた。ボクは彼に刺激されて、学校からの帰り道必ず本屋に立ち寄るようになり、文庫本を一冊、また一冊と買い、勉強もせずに、ひたすら読書にふけった。
この頃、ボクの寝る時間は、午前2時~3時であった。深夜放送を聴きながらの読書であった。
翌日、ボクは自分が読んだ本について、前川君らと語りあった。文学を読んでいる間、ボクは前記の問いを問わなくなっていた。といっても忘れたわけではない。文学を読むことに必死で、解決のない問いを考える時間がなくなったのだ。
もちろん文学には、人間いかに生きるべきかという問いとその解が、ひそやかに埋めこまれてるから、それらを読みながら考えてはいたのだろう。
『マノン・レスコー』や『椿姫』などの恋愛小説を読み、情熱的な恋愛に焦がれ、ロマンロランの大作『ジャン・クリストフ』はノートをとりながら読み、その生き方に大いに触発され、ツルゲーネフの『初恋』に大人の恋愛を少し垣間見たり、とにかく片っ端から読んでいった。
そのなかで、徐々に、悔いのない死を迎えるためには、悔いのない生き方をしないといけない、では悔いのない生き方とは何だろう・・・などと、少し具体的な方向に向かった。そのなかで、ボクは他者というものを発見したのだ。
意義のある生とは、自分ひとりだけの人生を生きるのではなく、他者とともに、他者のために生きることであること、そうすることによってはじめて自分の人生は意義のあるものとなる、という一応の結論がでてきたのだ。
ボクはよく「世のため、人のため」という。それは、高校1年生の頃に考え抜いてでてきた結論なのである。それ以降、紆余曲折はありながらも、その基本線は維持しながら生きてきたつもりである。
ボクの人生の先には、死が待ち受けている。いや、すべての人間の生きる先に必ず存在するものだ。不在が存在するのである。ボクは、この生がある間、できうる限り自らの生を充実させていきたいと思っている。
生を充実させるためには、他者との共生が必須の要件となる。他者をみつけること、その他者と共生していくこと、それがボクの生きるということだ。