ボクは選挙で選ばれたんだから偉いんだ。偉いんだから、ボクの言うことをみんな聞かなければいけないんだよ。
あーーーーー!!みんなボクの言うこと聞いてくれなくなった。ボクが偉いんだということを、もう一度知らせなければ。
またボクは選挙するんだ。大金をつかって。
『日本経済新聞』の速報の一部。
橋下氏が市長辞職・再出馬を表明 知事選は否定
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は1日午後、大阪維新の会の会合で、市長を辞職し、再出馬する意向を表明した。
「大阪都構想」という訳の分からないものを強引に推進させようとしていたが、なかなかうまくいかないので、辞職して市長選挙をし、もう一度当選して強引にことをすすめようという魂胆。
いったい選挙にいくらかかると思っているのか。まさに駄々っ子。こういうことをする人を、大阪市民は市長に選んでいる。
追記
選挙費用は6億円だという。この金があったら、いろいろなことができる。「大阪都構想」などという不要不急の政治を強行するために、こんな大金が使われるなんて。
もしもう一度、橋下が当選するようなことになったら、大阪市民の知性と品格が疑われるだろう。
「大阪市民は、ボクを選んでくれた!これでまた独裁政治ができるぞ!」なんてことにならないように。駄々っ子に政治的権限を再び与えることがないようにしていただきたいと思う。大阪市民の賢明な判断を!
あーーーーー!!みんなボクの言うこと聞いてくれなくなった。ボクが偉いんだということを、もう一度知らせなければ。
またボクは選挙するんだ。大金をつかって。
『日本経済新聞』の速報の一部。
橋下氏が市長辞職・再出馬を表明 知事選は否定
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は1日午後、大阪維新の会の会合で、市長を辞職し、再出馬する意向を表明した。
「大阪都構想」という訳の分からないものを強引に推進させようとしていたが、なかなかうまくいかないので、辞職して市長選挙をし、もう一度当選して強引にことをすすめようという魂胆。
いったい選挙にいくらかかると思っているのか。まさに駄々っ子。こういうことをする人を、大阪市民は市長に選んでいる。
追記
選挙費用は6億円だという。この金があったら、いろいろなことができる。「大阪都構想」などという不要不急の政治を強行するために、こんな大金が使われるなんて。
もしもう一度、橋下が当選するようなことになったら、大阪市民の知性と品格が疑われるだろう。
「大阪市民は、ボクを選んでくれた!これでまた独裁政治ができるぞ!」なんてことにならないように。駄々っ子に政治的権限を再び与えることがないようにしていただきたいと思う。大阪市民の賢明な判断を!
『中日新聞』の社説。安倍政権は、世界一が好きなようだが、世界で企業がもっとも儲けやすい国にしようと日夜励んでいる。その安倍政権を、昼間ネットに向かうことが出来る人々が支持している。
派遣見直し案 企業の論理でしかない
2014年2月1日
厚生労働省が決めた来年四月からの労働者派遣制度の見直し案は、これまで以上に企業が派遣労働者を使いやすくするものだ。派遣の固定化が進むおそれも強く、働く人にとって明らかに改悪だ。
同省の審議会がまとめた案では、企業が派遣労働者を継続して雇える期間について、一つの業務で「最長三年」という上限をなくし、人を変えれば何年でも派遣労働のまま使い続けられる。これにより企業は派遣労働を一層使いやすくなり、正社員から派遣への置き換えも加速しかねない。
働く側からみると、現在通訳や秘書など専門二十六業務は期間の制限がなく、それ以外は最長三年だが、この業務区分が撤廃される。どんな仕事でも、一人の派遣社員が同一派遣先で働ける期間は最長三年となる。
ただし、人材派遣会社との間で無期契約を結べば、どの業種でも無期限で働き続けられる。とはいえ、人材派遣会社にどれだけ無期契約を結ぶ余裕があるかは分からないのが実態だ。
案ではまた、人材派遣会社に対して計画的な教育訓練や能力開発の相談にのるなど派遣労働者のキャリアアップ支援を求めたが、これも人材派遣会社の体力や能力次第である。大手は栄えるが、中堅以下は負担の増加に耐えられずに淘汰(とうた)が進む可能性がある。
結局、今回の見直し案を貫いている考え方は、企業にとって人件費をいかに抑え、使い勝手の良い派遣労働制度にするかという資本側優先の論理である。「世界で一番企業が活動しやすい国」を目指す安倍政権らしいが、働く人にとっては「世界で一番不幸な国」と感じてしまうような希望を持てない改悪である。
企業の国際競争力とか多様な働き方という美名の下に派遣やパートなど非正規労働は増え続け、働く人の約四割に達する。過去には雇用の調整弁のように非人間的に扱われ、無差別殺傷事件なども起きたのに、そんな不幸な出来事などなかったかのようである。
厚労省の調査で、派遣労働の六割超が「正社員として働きたい」と安定雇用への転換を望んでいる。しかし、今回の案は、その切実な願いを完全に裏切るものだ。派遣労働の固定化を一段と進めることはあっても、正社員化を促す決め手はどこにも見当たらないのである。
働く人の尊厳が守られるよう、今後の国会審議などを通じて「見直し案」の見直しを求めたい。
派遣見直し案 企業の論理でしかない
2014年2月1日
厚生労働省が決めた来年四月からの労働者派遣制度の見直し案は、これまで以上に企業が派遣労働者を使いやすくするものだ。派遣の固定化が進むおそれも強く、働く人にとって明らかに改悪だ。
同省の審議会がまとめた案では、企業が派遣労働者を継続して雇える期間について、一つの業務で「最長三年」という上限をなくし、人を変えれば何年でも派遣労働のまま使い続けられる。これにより企業は派遣労働を一層使いやすくなり、正社員から派遣への置き換えも加速しかねない。
働く側からみると、現在通訳や秘書など専門二十六業務は期間の制限がなく、それ以外は最長三年だが、この業務区分が撤廃される。どんな仕事でも、一人の派遣社員が同一派遣先で働ける期間は最長三年となる。
ただし、人材派遣会社との間で無期契約を結べば、どの業種でも無期限で働き続けられる。とはいえ、人材派遣会社にどれだけ無期契約を結ぶ余裕があるかは分からないのが実態だ。
案ではまた、人材派遣会社に対して計画的な教育訓練や能力開発の相談にのるなど派遣労働者のキャリアアップ支援を求めたが、これも人材派遣会社の体力や能力次第である。大手は栄えるが、中堅以下は負担の増加に耐えられずに淘汰(とうた)が進む可能性がある。
結局、今回の見直し案を貫いている考え方は、企業にとって人件費をいかに抑え、使い勝手の良い派遣労働制度にするかという資本側優先の論理である。「世界で一番企業が活動しやすい国」を目指す安倍政権らしいが、働く人にとっては「世界で一番不幸な国」と感じてしまうような希望を持てない改悪である。
企業の国際競争力とか多様な働き方という美名の下に派遣やパートなど非正規労働は増え続け、働く人の約四割に達する。過去には雇用の調整弁のように非人間的に扱われ、無差別殺傷事件なども起きたのに、そんな不幸な出来事などなかったかのようである。
厚労省の調査で、派遣労働の六割超が「正社員として働きたい」と安定雇用への転換を望んでいる。しかし、今回の案は、その切実な願いを完全に裏切るものだ。派遣労働の固定化を一段と進めることはあっても、正社員化を促す決め手はどこにも見当たらないのである。
働く人の尊厳が守られるよう、今後の国会審議などを通じて「見直し案」の見直しを求めたい。
井上ひさしの戯曲「闇に咲く花」は、神社の戦争責任を問うものになっている。出征して行く者は、ほとんどが地域の神社に参って出て行った。神社は、戦死者を生み出す場として存在していたというわけだ。
その神社の集大成が靖国神社であるが、本来神社というのは死を穢れとみなし、穢れを遠ざけていたはずだ。しかし、近代日本は、招魂社=靖国神社をつくり、戦争での死者を、といってもすべての戦争死者ではなく、天皇制国家が取捨選択した者たちだけを神として祀り始めた。空襲で亡くなった民間人は、同じ戦争死者であるにも拘わらず、祀られもせず、補償もされなかった。軍人などには、その階級に応じ手厚い補償がなされてきたにもかかわらず、である。
台詞に、「過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね」がある。果たして、神社は過去の失敗を記憶しているのか。
さてその神社神道であるが、それがなかなか掴めない。今ボクは、それを考えようとしている。
国語学者の大野晋が『日本語をさかのぼる』(岩波新書)を出している。それによると、カミの古形はカムだったという。そしてカム →カミは、「恐怖、畏怖、畏敬の対象ではあっても、人間的な交渉を持つ対象とは全然思われていない。雷、猛獣から始まって、山や川の通行をおびやかす存在とされており、支配者としてのカミも、恐ろしい存在としてしか把握されていない」(197頁)という。
しかしそのカミは意味を変じていく。なぜか。ホトケが入ってきたからだ。ホトケは、もともとはBuddahaである。それは「浮屠」、「仏」のちには「仏陀」と音写された。日本語には濁音で始まる語はなく、すべて母音終わりであるから、ホトと読まれ、それに「目に見える形」を示す接尾語ケがつけられた(例:「さびしげ」、「かなしげ」のケ)。ホトケである。「ホト+ケ」は、すなわち、「仏の形」=仏像なのであろうと大野は推測する。
そしてそのホトケは、カミと異なり「人々によって親しまれ、頼られ、困ったときには教示を与えてくれるものとしてみられている」(198頁)。
このホトケがはいったことから、「非人間的性格、猛威のみあって人間的な情愛に欠けるカミは、平安時代には粗暴とか、人間以下の妖怪という意味に転落し、人に慈悲をたれるホトケの下に置かれたのである」(201頁)。
大野は、「日本民族は、ホトケが広まる以前には、人間としてのさまざまな苦しみを人間一般の問題として救済してくれる大きな力を持たずに生きていた」、「人間世界に対して最大の力を持っていたカミも、最大の恐怖の対象であったにとどまり、その力が積極的に人間を愛し、あるいは許し、救済するという方向に発展するには、ホトケとの融合を待たなければならなかった」(201頁)と指摘する。
そして幸福にあたるサチを分析するなかで、大野は、古代日本人の感性をこう記す。
古代の日本人は、猟による幸福と農作による幸福とを享受していたのであり、それらの収穫が豊かでありさえすればそれをもって幸福と考え、それ以上の心の苦しみの救済などは考えていなかった
ウーム、これは今の日本人にも通用する感性ではないかと思ってしまった。
その神社の集大成が靖国神社であるが、本来神社というのは死を穢れとみなし、穢れを遠ざけていたはずだ。しかし、近代日本は、招魂社=靖国神社をつくり、戦争での死者を、といってもすべての戦争死者ではなく、天皇制国家が取捨選択した者たちだけを神として祀り始めた。空襲で亡くなった民間人は、同じ戦争死者であるにも拘わらず、祀られもせず、補償もされなかった。軍人などには、その階級に応じ手厚い補償がなされてきたにもかかわらず、である。
台詞に、「過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね」がある。果たして、神社は過去の失敗を記憶しているのか。
さてその神社神道であるが、それがなかなか掴めない。今ボクは、それを考えようとしている。
国語学者の大野晋が『日本語をさかのぼる』(岩波新書)を出している。それによると、カミの古形はカムだったという。そしてカム →カミは、「恐怖、畏怖、畏敬の対象ではあっても、人間的な交渉を持つ対象とは全然思われていない。雷、猛獣から始まって、山や川の通行をおびやかす存在とされており、支配者としてのカミも、恐ろしい存在としてしか把握されていない」(197頁)という。
しかしそのカミは意味を変じていく。なぜか。ホトケが入ってきたからだ。ホトケは、もともとはBuddahaである。それは「浮屠」、「仏」のちには「仏陀」と音写された。日本語には濁音で始まる語はなく、すべて母音終わりであるから、ホトと読まれ、それに「目に見える形」を示す接尾語ケがつけられた(例:「さびしげ」、「かなしげ」のケ)。ホトケである。「ホト+ケ」は、すなわち、「仏の形」=仏像なのであろうと大野は推測する。
そしてそのホトケは、カミと異なり「人々によって親しまれ、頼られ、困ったときには教示を与えてくれるものとしてみられている」(198頁)。
このホトケがはいったことから、「非人間的性格、猛威のみあって人間的な情愛に欠けるカミは、平安時代には粗暴とか、人間以下の妖怪という意味に転落し、人に慈悲をたれるホトケの下に置かれたのである」(201頁)。
大野は、「日本民族は、ホトケが広まる以前には、人間としてのさまざまな苦しみを人間一般の問題として救済してくれる大きな力を持たずに生きていた」、「人間世界に対して最大の力を持っていたカミも、最大の恐怖の対象であったにとどまり、その力が積極的に人間を愛し、あるいは許し、救済するという方向に発展するには、ホトケとの融合を待たなければならなかった」(201頁)と指摘する。
そして幸福にあたるサチを分析するなかで、大野は、古代日本人の感性をこう記す。
古代の日本人は、猟による幸福と農作による幸福とを享受していたのであり、それらの収穫が豊かでありさえすればそれをもって幸福と考え、それ以上の心の苦しみの救済などは考えていなかった
ウーム、これは今の日本人にも通用する感性ではないかと思ってしまった。