今日届いた本であるが、一日で読んでしまった。大野晋は国語学者、岩波書店の『古語辞典』の編纂者でもある。ボクはこの辞典が発売された時購入し、他の古語辞典は捨てた。大野晋の岩波新書などの本をいろいろ読み、大野学説に親近感を抱いたからだ。他の古語辞典は終止形で語が掲載されているが、大野の辞典は連用形である。
さて本書は、日本のカミに関わる歴史的な変遷を、大野の豊富な古典文学の知識を背景にして追究したものだ。
カミについての歴史的説明で、近世の国学の意義がよく理解できた。国学者の中でも本居宣長がやはり秀逸であったようだ。もちろん時代的制約もあり、「天皇家の統治の正当性を主張しようと整理し編集された『古事記』の内容を、彼はそのまま事実と受け取り、弥陀のの本願に帰依するように、それを信じてそれに従い、それを守ろうとした」(99頁)。
『古事記』の成立に関する歴史研究は、津田左右吉の登場があってなし遂げられたのだが、本居はその認識に到達できなかった。仕方ないことである。
しかしその本居が切り開いた説が、この後政治的な変動と直結するようになる。
ところで、本書で大野はカミという語が指し示すものは何かを調べて明らかにしたのだが、そのカミという語は「輸入語」であるというのだ。上代仮名遣いでは、上のカミや鏡のカガミの「ミ」と、神の「ミ」とは語源が異なり、「カミの語源を日本語の内部に求めることは不可能」(13頁)とし、大野はインド南部のタミール語にそれを求める。このタミール語説はにわかには信じられないが、本書に書かれている内容は、日本の神に関して基本的な知識を与えてくれる。
ボクにとっては、とても参考になった。
さて本書は、日本のカミに関わる歴史的な変遷を、大野の豊富な古典文学の知識を背景にして追究したものだ。
カミについての歴史的説明で、近世の国学の意義がよく理解できた。国学者の中でも本居宣長がやはり秀逸であったようだ。もちろん時代的制約もあり、「天皇家の統治の正当性を主張しようと整理し編集された『古事記』の内容を、彼はそのまま事実と受け取り、弥陀のの本願に帰依するように、それを信じてそれに従い、それを守ろうとした」(99頁)。
『古事記』の成立に関する歴史研究は、津田左右吉の登場があってなし遂げられたのだが、本居はその認識に到達できなかった。仕方ないことである。
しかしその本居が切り開いた説が、この後政治的な変動と直結するようになる。
ところで、本書で大野はカミという語が指し示すものは何かを調べて明らかにしたのだが、そのカミという語は「輸入語」であるというのだ。上代仮名遣いでは、上のカミや鏡のカガミの「ミ」と、神の「ミ」とは語源が異なり、「カミの語源を日本語の内部に求めることは不可能」(13頁)とし、大野はインド南部のタミール語にそれを求める。このタミール語説はにわかには信じられないが、本書に書かれている内容は、日本の神に関して基本的な知識を与えてくれる。
ボクにとっては、とても参考になった。