浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】山田朗『日本は過去とどう向き合ってきたか』(高文研)

2014-02-17 19:00:16 | 読書
 ここには、大日本帝国が周辺の諸国民にいかなる蛮行を行ってきたのかが、最近の歴史修正主義者の発言を事実でもって論破するなかで記されている。

 ボクは土曜日の研究会でも話したが、日本人は想像力が不足していると思う。

 1945年に終わった戦争は、空襲を除き、地上戦は日本以外(但し沖縄はじめ硫黄島などは別)の地で行われたのだ。そこでは、民家が焼かれ、民間人が殺され、強姦され、略奪されたのである。

 そうした行為は、日本軍が入り込む中で行われたのである。就寝中、土足で上がり込んできた兵士に銃剣を突きつけられ、殺され、奪われ、そして焼かれたのである。日本軍兵士だけが行ったとはいわない。軍隊と軍隊が戦火を交えてるときは、双方ともひたすら破壊と殺人を繰り広げる。戦争とは、本質的には、破壊と殺人である。民間人はその渦中に投げ込まれるのである。

 だがしかし、もし日本軍が入ってこなかったら、そういうことは起きなかった。

 中国、韓国、シンガポール・・・アジア諸地域を訪れると、必ず戦争の惨禍の記憶や記録を目にする。他国の軍隊が入り込み、戦争の惨禍に苦しんだ人々は、みずからの体験を忘れない、また子どもたちに伝えていく。加害者は伝えないが、被害者は伝えていく。

 そうした記憶や記録が、うずたかく積まれている。

 だがもし再び、戦争が起きたとき、被害を受けた者の子孫たちは、眠り込んでいる記憶を甦らせるだろう。今度はやられないようにしようと、おそらく戦意を高めて戦場にやってくるだろう。

 そのようなことは、ユーゴスラヴィアで起きている。ユーゴスラヴィアは、第2次大戦後チトー大統領のもとで、宗教や民族が異なる人々によって作り上げられた国家だった。だがチトー亡き後、ユーゴはばらばらになった。分裂しただけではなく、ユーゴスラヴィアという国家の構成員だった者たちが手に手に武器を持って殺し合ったのだ。イスラム教徒、セルビア正教徒、カソリック教徒、それぞれが殺し合ったのだ。その背景に、ナチスドイツの影があった。第2次大戦中、ナチスドイツとつながった地域、ナチスドイツにひどい目に遭った地域があった。1930年代から40年代にかけて敵対関係にあった地域同士が、ユーゴスラヴィアという国家が分裂をはじめたとき、それぞれが戦時下の記憶を甦らせた。そしてより凄惨な殺しあいがおきた。

 ボクたちは、想像力をもたなければならない。日本の周辺には、大日本帝国によって苦しめられた人々の記憶や記録が、うずたかく積まれていることを。

 未来の日本人が、平和で幸せに仲良く生きていけるようにするために、ボクたちがすべきことは何か。それは、ドイツが行っている。それを模範にすべきだ。

 過去の記憶や記録を、過去の歴史的事実として、歴史の中に固定する。そのためには謝罪が、まずなければならぬ。もちろん、軍隊を派遣した大日本帝国の後裔がそうした謝罪を続けなければならないのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安重根

2014-02-17 11:51:55 | メディア
 『中日新聞』の【私説・論説室から】の文。筆者は、ボクの高校大学の後輩である。長くソウル支局にいた。よい言説を書いている。

 日本政府は安重根を「テロリスト」だと切って捨てているが、そう簡単ではない。日本の明治維新を起こした面々も、はっきりテロリストだったではないか。維新政府はテロリストの巣窟であったはずだ。
 
安重根をもっと知ろう
2014年2月17日

 韓国人、安重根(アンジュングン)。約百年前の独立運動家で明治の元老、伊藤博文を暗殺した人物。日本の歴史教科書にも載っているが、事件現場の中国ハルビンに一月、安の記念館が開館し、中韓両国が抗日の英雄としてたたえた。日本政府は反発し、外交問題に発展した。だが、安の生涯はとても興味深い。明治維新を評価し、近代化を進める日本は韓国の独立を認めるはずだと考えた。獄中で書いた論文「東洋平和論」では、韓国と日本、中国が手を携えて欧米列強に対抗しようと訴えた。

 死刑を言い渡され中国・旅順の刑務所に服役したが、看守や医務官、通訳までその人柄に引かれた。助命嘆願の動きもあった。書が達者で、求められるままに漢詩、漢文を書いた。看守らがひそかに日本に持ち帰り、子孫が戦後、ソウルにできた記念館に寄贈したりした。死の直前には「東洋に平和が訪れ韓日の友好がよみがえったなら、生まれ変わってお会いしたいものです」と語ったという。

 安については、中韓両国が歴史問題での「反日共闘」という政治的な目的に使い、日本政府は伊藤暗殺だけに焦点を当てて「テロリストだ」と言い切ったが、史実はもっと複雑だ。伊藤が当時の指導者の中では韓国併合に最も消極的だったことも含め、日韓の歴史にもっと関心を持ってほしい。近くの図書館に行けば、安重根を題材にした本が何冊かあるはずだ。 (山本勇二)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』(ちくま新書)

2014-02-17 11:19:00 | 読書
 日本において、局所的にはありうるが、日本全体ではナチズムのようなものはありえないという気がする。なぜならば、ヒトラーのような予言者然とした人物により、日本国民の多くが精神的に籠絡されるということは想像できないからだ。

 局所的にはあり得るというのは、オウム真理教の例があるからだ。それ以外にも知られていないカルト教団が存在しているかも知れない。ナチズムは、ドイツ一国がカルト教団化してしまったものだと言える。ドイツ国民は、ヒトラーという教祖への「自発的隷従」の徒と化したのである。

 日本人には、そうした「自発」というものが想定できない、それがボクの考えだ。つまり「自発的隷従」というのは、少なくとも自らが考えた後でのまさに「自発的」な「隷従」なのだ。日本人は考えないから「自発的」というのではなく、まさに「隷従」だけだ。そうした「隷従」の場合、ナチズムのように積極的に関わるのではなく、静かに消極的に関わる、つまり「隷従」させられる。

 さてこの本を読んでいくつかのことを知り、また考えた。

 まずドストエフスキーのことだ。ナチスの宣伝相ゲッペルスは文学愛好家だったようだ。彼はドストエフスキーから大きな影響を受けているという。その作品の中でも「悪霊」。

 ボクは学生時代、ひたすらドストエフスキーに耽った。今も、彼の小説や日記は、書庫に鎮座している。ドストエフスキーから、人は多くを学ぶが、その受け取り方はひとりひとり異なるようだ。ボクの場合は、「真実美しい人間」とは、いかなる人間かを学んだ。まさに求道者的アプローチであった。

 ゲッペルスは、「悪霊」のこの箇所に多くを学んだようだ。

 理知と化学は国民生活において、常に創世以来今日にいたるまで第二義的な、御用聞き程度の職務を司っているに過ぎない。それは世界滅亡の日まで、そのままで終わるに相違ない。国民は全く別な力によって生長し、運動している。それは命令したり、主宰したりする力だ。けれど、その発生は誰にも分からない。また説明することもできない。この力こそ最後の果てまで行き着こうとする、渇望の力であって、同時に最後の果てを否定する力だ。

 ゲッペルスは、この「力」を信じ、その「力」を持った人間を発見した。ヒトラーである。その「力」に救済を求めたのである。

 「救済」。強い指導力をもった人物による救済。人は、こういう救済を求めるようだ。ナチスに加わっていった者には、「知的・経済的によりすぐれた者」に対して大きなルサンチマンを持っていたようだ。憎しみ、憎悪、怨恨、そうした否定的な感情の力が、ヒトラーのような「力」を持つと思われた人物に向かって集められ、そして縒りあわされていった。その「力」に合一化する中で、人は救済されていった。

 現在日本にもルサンチマンを抱く者は多く、また増えている。そうした者が、「力」あると思われる人物に靡いていく。ボクたちは、その姿を、都知事選挙でよく見慣れている。石原、田母神・・・・

 ナチズムらしきものは、日々再生産されているのではないか。

 
※ボクは「悪霊」をもう一度読まなければならないようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする