わが家では、「恵方巻」なるものを食しない。第一の理由。浜松地方には、節分にそういうものを食べる習慣はなかった。したがって、伝統にないものをあえてすることはない。第二の理由。この「恵方巻」なるもの、関西から流されてきたらしい。関西の「もうかりまっか」文化は、好きではない。だから、そういう「もうかりまっか」文化の中から生まれてきたものを食す気持ちには到底なれない。
ルーツが不明なものにのせられるわけにはいかないのだ。
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/hoku-hoku-sei?utm_term=.vh2EOwqmR#.qaXAJkgwp
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この場合、「思想」というのは、「実存主義」とか「ヘーゲル思想」などというレベルの話ではない。人生や社会への向き合い方というレベルでの思想である。
たとえば小田原市の生活保護担当者等が平気で差別的なジャンパーを着用する、という場合、そこにはまったく「思想」がない。またある元大臣のように、年始めに日本に籍がなければ「住民税は払わなくてもよい」と吹聴するのも、「思想」がないといわざるをえない。
「思想」がないひとは、その時々の時流に何のためらいもなくのっていき、そこで何らかの利益を獲得していく。悲惨な事態に遭遇しても、「思想」がないから「胸つぶれる」思いなんか、わいてこない。
「思想」のある人は、沖縄に対する差別が政権によって平然と行われている事態をみて、沖縄の人びとの視点から、どうしたら現実をよくすることができるのかと思いをめぐらす。
長谷川幸洋という肩書きが立派な人は、「思想」はない。ただ残念なことに、「思想」がないひとが多いのだ。
http://lite-ra.com/2017/02/post-2891.html
たとえば小田原市の生活保護担当者等が平気で差別的なジャンパーを着用する、という場合、そこにはまったく「思想」がない。またある元大臣のように、年始めに日本に籍がなければ「住民税は払わなくてもよい」と吹聴するのも、「思想」がないといわざるをえない。
「思想」がないひとは、その時々の時流に何のためらいもなくのっていき、そこで何らかの利益を獲得していく。悲惨な事態に遭遇しても、「思想」がないから「胸つぶれる」思いなんか、わいてこない。
「思想」のある人は、沖縄に対する差別が政権によって平然と行われている事態をみて、沖縄の人びとの視点から、どうしたら現実をよくすることができるのかと思いをめぐらす。
長谷川幸洋という肩書きが立派な人は、「思想」はない。ただ残念なことに、「思想」がないひとが多いのだ。
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