浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日に焼けたかな

2017-02-26 22:54:40 | その他
 今日午後畑にいった。じゃがいものメイクイーンを植えた。寒いといっても、少しは寒さが緩和したかのような感じがする。これからは農業の季節である。

 じゃがいもを切って、切ったところに灰をつけ、肥料(有機肥料である。化学肥料はつかわない)をまきながら、土に埋めていく。その作業を2時間くらいおこなった。強い西風が吹いていたが、そんなに寒さを感じなかった。厳寒の頃よりも、服は一枚少ない。春の訪れを感じる。

 芽が出た後に霜にあたるとおしまいになるので、これからは少しずつでも温かくなって欲しいと願う。

 じゃがいもを植え付けるところはすでに用意してあったが、一度耕してから植えようとしたために、いつもより体をつかった。少し体が疲れたようだ。それに太陽がずっと出ていたので、顔が日に焼けたのか火照っている。

 静かな夜、ピアノ曲を聴きながら書いているが、その前は、今日届いたブレイディみかこ『アナキズム・イン・ザ・UK』のはじめの部分を読んでいた。この本の書名は、セックス・ピストルズという、もう中年というか老年に入っているイギリスのロックグループの歌、アナーキー・イン・ザ・U.K.anarchy in the uk  をつかったようだ。

 実は私は、パンクロックのこのグループのCDアルバムをもっていて、それを車載のSDカードにコピーしてあるのでよく聴く。先日もF市からの帰りに、それを聴きながら運転をした。この曲を聴くと、なんだか調子がよくなる。覚醒するのだ、脳のどこかが。

 ロックは、反体制でなければならない。

 しかし、ブレアというイギリス労働党政権の首相となった男はロックが好きで、政権を握ったときにロックミュージシャンを官邸に呼んだそうな。そのために、反体制のパンクロックは終わった。

 「若者はもはやロックというものに何らの信憑性もロマンも感じなくなってしまった。」(22頁)だって。

 だけど私は、セックス・ピストルズを聴き続ける。
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やっぱり「維新」も

2017-02-26 22:29:46 | その他
 森友学園問題に、維新という奇怪な政党も関与しているらしい。

http://lite-ra.com/2017/02/post-2948.html
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森友学園がめざす社会

2017-02-26 21:49:39 | その他
 森友学園の幼稚園の運動会、その宣誓がすごい!こういう姿を見ると、どこかの国と同じようにしたいのだなあ、この人たちは、と思ってしまう。

 https://hbol.jp/130689

 その記事中、すぐにこの画面が出ない人のために、コピペしておきます。

 ”宣誓

 あついあつい夏がすぎて、ぼくたちわたしたちの待ちに待った、平成27年度 秋の大運動会がきました。

 先生と、お友達と、一緒になって、おけいこをした、おゆうぎ、音楽、体育、かけっこなど、今日一日、頑張ります。

 おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさんの前で、褒めていただけるよう、全力をつくします

 大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣列島・竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている、中国、韓国が、心改め、歴史で嘘を教えないよう、お願い致します。

 安倍首相、ガンバレ! 安倍首相、ガンバレ!

 安保法制国会通過よかったです!

 僕たち、私たちも、今日一日、パワーを全開します

 日本ガンバレ!えいえいおー!”


【引用終わり。出典:塚本幼児教育学園「思い出の宝箱」より】
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メディア排除

2017-02-26 11:35:30 | その他
 フェイクニュースをまき散らしているトランプ政権が、政権に批判的な記事を書いているメディアを排除する蛮行を行った。排除されたのは、新聞では、ニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズ、ニューヨーク・デーリー・ニューズ、英デーリー・メール、テレビではCNN、英BBC、その他ネットメディアであるが、日本のメディアは「大丈夫」だったのだろう。

 日本のメディアは、テレビはすべて牙を抜かれているし、新聞は政治部が権力とべったりの関係を築き上げているから、権力から排除されることはないだろう。

 メディアの役割は、権力が好まないことであっても、事実に基づいて厳しく報道し、評論することにある。それにより、権力から煙たがれ、時には排除されるということもあるだろう。しかし、果敢に事実に立ち向かうことが、メディアのあるべき姿である。

 今日の『東京新聞』コラム。

 深い闇の中にある政界不祥事を追い続けていた記者が社主に呼ばれた。取材の方は政治家の情報隠蔽(いんぺい)によって真相が見えてこない。社にも権力側の圧力がかかっていた

▼危険な状態の中でも社主は取材を続けることを認めた。その上でこう尋ねた。「事件の真実はいつ得られそうなの?」。「決して真実は得られないと思います」。こう答えざるを得なかったが、社主は怒ったそうだ。「決してなんて絶対に言わないで!」

▼記者とは米ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード氏。ニクソン大統領を退陣に追い込んだウォーターゲート事件を取材した当時の逸話である。キャサリン・グラハム社主のその言葉が記者を奮い立たせ、「大統領の陰謀」を暴いた

▼そのポスト紙が創刊以来初の公式スローガンを最近制定した。「デモクラシー ダイズ イン ダークネス」

▼直訳すれば「民主主義は暗闇の中で死ぬ」。だから新聞は暗闇を照らす灯であり続けなければならぬ。そういう決意表明である。ウッドワード氏の言葉がヒントだそうで、あきらめを許さなかった、あの社主の言葉にもつながるか

▼残念ながら闇は深い。トランプ政権が今度は記者会見からCNNなど一部のメディアを追い出した。民主主義を危うくする権力側のメディア選別に報道機関はポスト紙を含め抗議の声を上げる。無論あきらめない。決して、である。

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学力テスト

2017-02-26 10:36:43 | その他
 今日の『中日新聞』「ニュースを追う」に、学力テストに関する4回目の連載記事が掲載されていた。見出しは、「学校巻き込む進む商品化」である。

 学力テストが実施されたことにより、教育ビジネスが学校に入り込み、学校をカネもうけの対象としているというものだ。これはまさにアメリカですでにおこっていることで、先日紹介した『崩壊するアメリカの公教育』(鈴木大裕、岩波書店)に記されていることとまったく相似的であることがわかる。

 アメリカでは、1983年レーガン政権が「危機に立つ国家(A nation at Risk)」を公表してから、それを契機に新自由主義的教育改革が推進された。そこで導入されたのは、自己責任にもとづく競争原理(能力主義)である。競争させて学力向上に取り組ませようとしたのである。学力テストの点数という画一的な評価で子どもや学校、そして教員の評価をするというきわめて暴力的な手法であった。
 当然、学力テストの問題作成、採点、そして点数を上げるための教材提供など、教育ビジネスが入り込む。アメリカの場合、もっとも悲劇的なことは、学校が学力テストの点数で評価され、結果が悪い場合は学校がつぶされてしまうということだ。そこにアカウンタビリティ(accountability)が入り込み、公立学校がつぶされた後は民間の教育ビジネスが進出し、学校をカネもうけの手段としていくのである。

 『崩壊するアメリカの公教育』の著者・鈴木氏は、PISAのテストにも警戒感を隠さない。というのも、PISAは、OECDが進めている国際的な学習到達度に関する調査であり、OECDは新自由主義を推進する国際機関であるからだ。鈴木氏はこう書いている。

 PISAを通してOECDが世界中の公教育システムを遠隔評価し、監視、競争させ、政策誘導し、世界教育市場の拡大と活性化を促進している現在の新自由主義的な構図そのものにある。(71頁)

 このPISAの成績についても、鈴木氏はアメリカの実態を報告している。

 貧困が教育格差の最大の原因であることを指摘しつつ、

 貧困のため、無料・割引給食を受ける子どもが全生徒数の10%未満という裕福な地域だけに焦点を当ててみると、実はアメリカはOECD先進国中、全教科で単独トップにランクされる。その割合が10~25%の地域をとってみても、アメリカは韓国、フィンランドに続く三位に入る。逆に、75%以上の割合で生徒が貧困層に入る地域だけにフォーカスすると、アメリカは一気に34カ国中32位まで落ちる。(48頁)

 と記す。

 学力ストを実施して学校や地域、市町村、都道府県を評価するよりも、貧困をなくし格差を縮めていくことこそが、学力を増進する最大の効果的な方策であることを示している。

 日本も、様々な教育改革で、アメリカ型の教育を範として進んでいるように思われる。

 但し、日本とアメリカの大きな相違は、アメリカには、日本の憲法26条に見られるような「教育を受ける権利」がないということだ。

 幸い、家永教科書裁判などの教育裁判を通して、日本では、26条に関する教育権や学習権に関する豊かな学説がそびえ立っている。日本はまだ、アメリカのような悲惨は状況にはないと思う。しかし、自民党反近代的なイデオロギーをもつ政党による時代錯誤的な「改憲」策動が行われているから、楽観的な見通しは禁物であるが・・・・。

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