作家の金井美恵子さんが、『朝日新聞』に「蔓延した「平成最後の…」元号そんなに身近?」を寄稿している。これがまた秀逸。
明治・大正・昭和と続いた個人の死による元号の変化が、近現代史を語る時に使用されはするものの、今日ほとんどの者は、日常的にも歴史を考える時にも元号を使うことはないはずである。
この原稿が掲載されている紙面の上方を見れば、太ゴチック体の西暦の年数の後のカッコ内に、とりあえず、一応といった目だたなさで元号が記されていることからも、使用頻度がわかるというものだろう。元号を使用した時間的感覚のわかりづらいニュースを伝えるのは、NHKと産経新聞のニュースだけではないだろうか。
で始まるのだが、NHKと産経新聞を、元号使用で同じ穴のむじなであることを記しているのが小気味よい。
しかし驚くのは、『文藝春秋』5月号で、現代詩人が前時代的な文で、前皇后を讃える文章(それが引用されている)には、唖然とした。
「私たち日本国民はなんという優雅で深切(しんせつ)な国母を持ち、皇室を持っていることか、と幸福な思いに満たされ」(高橋睦郎)、もう一人の詩人は、女たちが蚕のそばで暮らしてきた何千年もの歴史をふまえて「蚕の命にまで耳を澄ませ」「万物の立てる響きにお心をお寄せになる皇后陛下の詩心はとても深い」(吉増剛造)と讃美(さんび)する。
詩人は、こういう語彙を使って「讃美」するのか。私には、「酸鼻」にしかみえないのだが。もちろん金井さんは、私と同意見のようだ。
明治・大正・昭和と続いた個人の死による元号の変化が、近現代史を語る時に使用されはするものの、今日ほとんどの者は、日常的にも歴史を考える時にも元号を使うことはないはずである。
この原稿が掲載されている紙面の上方を見れば、太ゴチック体の西暦の年数の後のカッコ内に、とりあえず、一応といった目だたなさで元号が記されていることからも、使用頻度がわかるというものだろう。元号を使用した時間的感覚のわかりづらいニュースを伝えるのは、NHKと産経新聞のニュースだけではないだろうか。
で始まるのだが、NHKと産経新聞を、元号使用で同じ穴のむじなであることを記しているのが小気味よい。
しかし驚くのは、『文藝春秋』5月号で、現代詩人が前時代的な文で、前皇后を讃える文章(それが引用されている)には、唖然とした。
「私たち日本国民はなんという優雅で深切(しんせつ)な国母を持ち、皇室を持っていることか、と幸福な思いに満たされ」(高橋睦郎)、もう一人の詩人は、女たちが蚕のそばで暮らしてきた何千年もの歴史をふまえて「蚕の命にまで耳を澄ませ」「万物の立てる響きにお心をお寄せになる皇后陛下の詩心はとても深い」(吉増剛造)と讃美(さんび)する。
詩人は、こういう語彙を使って「讃美」するのか。私には、「酸鼻」にしかみえないのだが。もちろん金井さんは、私と同意見のようだ。