浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

元号のこと

2019-05-11 23:59:07 | 社会
 作家の金井美恵子さんが、『朝日新聞』に「蔓延した「平成最後の…」元号そんなに身近?」を寄稿している。これがまた秀逸。

 明治・大正・昭和と続いた個人の死による元号の変化が、近現代史を語る時に使用されはするものの、今日ほとんどの者は、日常的にも歴史を考える時にも元号を使うことはないはずである。

 この原稿が掲載されている紙面の上方を見れば、太ゴチック体の西暦の年数の後のカッコ内に、とりあえず、一応といった目だたなさで元号が記されていることからも、使用頻度がわかるというものだろう。元号を使用した時間的感覚のわかりづらいニュースを伝えるのは、NHKと産経新聞のニュースだけではないだろうか。


 で始まるのだが、NHKと産経新聞を、元号使用で同じ穴のむじなであることを記しているのが小気味よい。

 しかし驚くのは、『文藝春秋』5月号で、現代詩人が前時代的な文で、前皇后を讃える文章(それが引用されている)には、唖然とした。

 「私たち日本国民はなんという優雅で深切(しんせつ)な国母を持ち、皇室を持っていることか、と幸福な思いに満たされ」(高橋睦郎)、もう一人の詩人は、女たちが蚕のそばで暮らしてきた何千年もの歴史をふまえて「蚕の命にまで耳を澄ませ」「万物の立てる響きにお心をお寄せになる皇后陛下の詩心はとても深い」(吉増剛造)と讃美(さんび)する。

 詩人は、こういう語彙を使って「讃美」するのか。私には、「酸鼻」にしかみえないのだが。もちろん金井さんは、私と同意見のようだ。
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スズキの減益

2019-05-11 23:19:59 | メディア
 スズキが三月期決算を発表し、謝罪もしたそうだ。当たり前だ、ブレーキ検査で不合格にすべき車を合格として販売してしまったのだから。

 スズキの不正の背景には「少人」という方針がある。できるだけコストを下げるには、働くひとを減らすことだ。それが徹底される中で今回の不正が行われた。それも30年以上のあいだ。

 「少人」という経営方針による減益であるから、その責任は役員たちが負うべきである。報酬を全て返上するくらいのことをすべきである。まさか働く人びとにしわ寄せするようなことはないだろう。

 これを報じる『中日新聞』記事は、スズキに対して、「国内の品質確保とインドでの成長の両立へ。誤りのないかじ取りを求められる一年になりそうだ。」で終わる。

 これに対して『静岡新聞』記事は、「都内で記者会見した鈴木修会長は検査不正について「お客さまや取引先、全ての皆さんにご迷惑を掛けたことを心からおわび申し上げる。責任を重く受け止めている」と謝罪した。」で終わる。

 『中日新聞』の立ち位置は、スズキに親和的である。

 スズキの労働者、きちんと連休は休めただろうか。
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ニトリという会社

2019-05-11 23:14:08 | 政治
 ニトリという会社って、そういう会社だったのか。

「切り売りされる北海道」鈴木直道・北海道知事に届かなかった夕張市職員の警告
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『世界』

2019-05-11 22:55:02 | 
 昨日『世界』六月号が届いた。いつもまず「メディア批評」を読む。最初の項目が「元号決定狂騒曲」である。元号、元号と「4月1日は、テレビというメディアが思考停止した日だ」とある。もちろんそのテレビでどういうことが報じられたかが記されているのだが、見なくてよかった、と思うような代物だ。

 テレビがないということは、精神を安定的に保つ秘訣となっている。

 NHKの狂騒曲についても記されているが、アベの広報官・岩田明子はもちろん事前に新しい元号を知っていただろう。もちろんNHKもである。

 アベはべったりとくっついてくる者どもに、「褒美」を与える。その「褒美」が欲しくて、様々な輩が動き回る。

 日本人の品性は下劣になった、というしかない。

 批評子がほめていた『信濃毎日新聞』の5月2日の社説。


皇位継承の儀式 憲法に沿っているのか

 天皇陛下がきのう、即位後、初の儀式となる「剣璽(けんじ)等承継の儀」に臨まれた。
 皇室のしるしとされる三種の神器のうち、剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))を引き継ぐ儀式である。

 三種の神器は神話上、皇室の祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)から授かったと伝えられる。皇室の正統性を示す重要な儀式という位置付けだ。

 この儀式を政府が国事行為としていることには批判が根強い。

 政府は三種の神器を「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」とする。宗教的意義を有せず、憲法が定める政教分離の原則に違反しないという見解だ。
 これには無理がある。三種の神器が神話上の世界観である以上、宗教性は否定できない。
 儀式の位置付けからも、国事行為とするのは疑問だ。憲法では、天皇の地位は「主権の存する国民の総意に基づく」と規定されている。皇室の正統性や継承の根拠に三種の神器を持ち出すのは、憲法の規定や精神と合わない。

 出席できる皇族は成年男性に限定された。秋篠宮さまと常陸宮さまの2人だけだ。

 男女平等は憲法で保障される。国事行為とするのなら憲法の趣旨に合わせるのが当然だ。男性皇族しか出席できない儀式では、国際的な理解も得られまい。
 政府の検討段階では、有識者から異論もあった。それなのに政府は前例踏襲として押し切った。
 皇位継承権のない女性皇族の参列を認めると、女性・女系天皇や女性宮家創設などの議論が再燃すると懸念したとみられる。安倍晋三首相はこれらに否定的だ。支持基盤である保守層が反対している影響もあろう。
 皇族減少の対策は喫緊の課題で、男女同権の観点からも検証が必要だ。承継の儀は議論のきっかけになったはずだ。
 皇位継承に関係した国事行為の儀式は今後も続く。10月には即位の礼の中心的儀式となる「即位礼正殿の儀」が行われる。高さ1メートル以上の玉座から陛下が首相らを見下ろす。国民主権の観点から疑問が出ている。

 11月の大嘗祭(だいじょうさい)も懸念がある。国事行為には位置付けないものの、費用を国費で支出するのは政教分離に違反する可能性がある。

 政府はいずれも前回踏襲を決めている。十分に検証せず、国民に意見も聞いていない。これでは問題の先送りにすぎない。

 政府は、皇室が時代に合わなくなれば国民の支持が離れていくことを忘れてはならない。

(5月2日)
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記者たちの姿勢

2019-05-11 07:53:46 | メディア
 最近の記者たちは、権力にはおもねり、そうでない人には居丈高に振る舞う、およそ正義の味方、弱者の立場に立つという姿勢ではない。

 菅官房長官その他政治権力者の記者会見では見ていられないほどへりくだり、大津で交通事故に関する保育園の記者会見では、精神的にきわめて動揺している園長にことさらに質問する。

 私はその記者会見をネットでみたが、園長さんに質問するのではなく、理事長らに質問すべきだと思った。園長さんへの思いやりが、記者にはまったく感じられなかった。

 こういう記者が増えているから、最近のメディアはつまらないのである。社会の公器ではなく、広報宣伝機関という機能しかもてなくなっているのだ。

大津・園児死亡事故でのマスコミ批判。佐々木俊尚さんは「報道側も世間に晒される時代になったと認識を」
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