今日、劇団俳優座の「北へんろ」をみた。上演中に携帯電話のベルが三箇所で鳴り、近くの老女と老男が携帯電話の画面を時々見ていた。携帯の画面は暗いところではかなり明るく、迷惑この上ない。
岩手県の山田町のどこかに古びた旅館があった。「清和(せいわ)館」という。そこはすでに他界している老夫婦が旅館をしている。旅館の老女は、旅館を経営しながら、ニューギニアで戦死したという息子「清和(きよかず)」の帰還を待っている。その亭主は老女よりも若い。老女よりも早く亡くなっているから若いのだ。
その旅館に、いろいろな人がやってくる。すでに亡くなっている人、心に大きなキズを持っている人。すでに亡くなっている人は、死んでも死にきれない人びと、いわゆる浮かばれない人びとだ。心に大きなキズを持っている人は、生きているのだが、死に近いところにいる。
老女が死にきれない理由は、息子清和である。清和は戦死。非業の死である。戦争がなければ死ぬことはなかった。息子のことが忘れられない。だから死にきれないのだ。
旅館に長逗留しているもと牛飼いの場合は、東日本大震災による福島原発事故で牛を殺し、牛飼いができなくなって自殺した人である。普通に生きていた牛飼いが、原発事故によって人生を狂わされ、生きる意味を奪われたのだ。だからこそ、おめおめと「死にきる」ことができないのだ。
しかし、仙台で農業高校の女子高校生が牛を大事に育てているのを知り、そこに行くことを決意して旅館を去る。
裕子と市夫は夫婦。しかし裕子には隆一という愛人がいてデート中に津波に呑まれた。もう亡くなっている。しかし離ればなれになってしまい、おいそれとは死にきれない。夫の市夫が、次ぎに隆一が、旅館に逗留している裕子を訪ねてくる。隆一と会うことができた裕子は一緒に「死にきる」こととなり旅館から去っていく。市夫もあきらめて去っていく。
彼らの死も、「非業の死」である。突然、死に呑み込まれてしまった人たちである。
ジュンは生きている。民謡教室を開いていた両親が津波に呑まれ亡くなった。旅館に面倒を見てもらいながら、ずっと海を見つめ民謡をうたう。
宮城県名取市の小学校の先生は、多くの教え子が津波に呑まれて亡くなった。果たして自分は生きていてよいのかと煩悶する。煩悶の果てに自死を選ぶが、旅館の人たちに助けられる。
津波に呑み込まれた閖上(ゆりあげ)地区を、私も訪ねたが、ほとんど住宅は失われ、中学校なども津波の被害をはっきりと示していた。ことばがでなかった。
2011年3月11日、津波の映像を見、その後の被害を知るにつけ、私自身でさえ生きていてよいのか、私は楽しい生をおくってはならない、などと考えた。
当事者ならなおさらそうだろう。
もうひとりの男性は神戸出身だ。阪神大震災で妻を亡くし、娘を育てた。その娘が仙台の男性と結婚、名取市に住んでいた。そして娘とその子どもは、津波に呑まれた。彼は仕事を辞め、遍路にでる。そして東日本大震災の被災地をまわる。そしてこの旅館にたどり着くのだ。彼は娘の結婚を許さなかった。だから娘とは音信不通だった。しかし娘は亡くなった。
彼は、すでにガンが全身を蝕み、この旅館で息絶える。
旅館の老女は、戦死した息子が還ってきて、母が自分を待っているから自分も死にきれないままでいることを話す。息子のその気持ちを父親も察していた。
結局、死者はみずからの死を受容する。そして最終的には、ジュンと先生だけが生きる道を歩み始める。
この劇の登場人物は、生ける者も死ぬる者も、生と死の境界をさまよっている。「清和館」は、その境界に立つが故に、死者も生者も訪ねてくるのだ。そして何故に「死にきれないか」、何故に死に向かいたいかを明らかにしていく。
戦争や津波などの災いが個人個人に襲いかかり、無数のいのちを奪い取っていく姿が示される。死者にとっては、なぜ私はここで死ななければならないのか、それがわからない、だから魂は漂流する。
この劇は、漂流する魂の姿を示すことにより、戦争や津波、原発事故を私たちに想起させ、もう一度考えてくれと言っている。それを受けとめることが、観劇した私たちには必要なのだろう。「清和館」は、私たちの心に棲息するようになるのだ。
この台本を書いた堀江安夫の意図は十二分に演じられていた。そしてその意図も正当である。だが、一部、作為的だと思うところがあった。作者の意図を前面に出すが故に、過度に劇的であった箇所がある。だがその劇的なところで、主演の老旅館主を演じた川口敦子の熱演ぶりが目を引いた。またその夫である武正忠明の演劇的に完成した声には感動した。また加藤佳男の落ち着いた語りもよかった。さすが俳優座である。
岩手県の山田町のどこかに古びた旅館があった。「清和(せいわ)館」という。そこはすでに他界している老夫婦が旅館をしている。旅館の老女は、旅館を経営しながら、ニューギニアで戦死したという息子「清和(きよかず)」の帰還を待っている。その亭主は老女よりも若い。老女よりも早く亡くなっているから若いのだ。
その旅館に、いろいろな人がやってくる。すでに亡くなっている人、心に大きなキズを持っている人。すでに亡くなっている人は、死んでも死にきれない人びと、いわゆる浮かばれない人びとだ。心に大きなキズを持っている人は、生きているのだが、死に近いところにいる。
老女が死にきれない理由は、息子清和である。清和は戦死。非業の死である。戦争がなければ死ぬことはなかった。息子のことが忘れられない。だから死にきれないのだ。
旅館に長逗留しているもと牛飼いの場合は、東日本大震災による福島原発事故で牛を殺し、牛飼いができなくなって自殺した人である。普通に生きていた牛飼いが、原発事故によって人生を狂わされ、生きる意味を奪われたのだ。だからこそ、おめおめと「死にきる」ことができないのだ。
しかし、仙台で農業高校の女子高校生が牛を大事に育てているのを知り、そこに行くことを決意して旅館を去る。
裕子と市夫は夫婦。しかし裕子には隆一という愛人がいてデート中に津波に呑まれた。もう亡くなっている。しかし離ればなれになってしまい、おいそれとは死にきれない。夫の市夫が、次ぎに隆一が、旅館に逗留している裕子を訪ねてくる。隆一と会うことができた裕子は一緒に「死にきる」こととなり旅館から去っていく。市夫もあきらめて去っていく。
彼らの死も、「非業の死」である。突然、死に呑み込まれてしまった人たちである。
ジュンは生きている。民謡教室を開いていた両親が津波に呑まれ亡くなった。旅館に面倒を見てもらいながら、ずっと海を見つめ民謡をうたう。
宮城県名取市の小学校の先生は、多くの教え子が津波に呑まれて亡くなった。果たして自分は生きていてよいのかと煩悶する。煩悶の果てに自死を選ぶが、旅館の人たちに助けられる。
津波に呑み込まれた閖上(ゆりあげ)地区を、私も訪ねたが、ほとんど住宅は失われ、中学校なども津波の被害をはっきりと示していた。ことばがでなかった。
2011年3月11日、津波の映像を見、その後の被害を知るにつけ、私自身でさえ生きていてよいのか、私は楽しい生をおくってはならない、などと考えた。
当事者ならなおさらそうだろう。
もうひとりの男性は神戸出身だ。阪神大震災で妻を亡くし、娘を育てた。その娘が仙台の男性と結婚、名取市に住んでいた。そして娘とその子どもは、津波に呑まれた。彼は仕事を辞め、遍路にでる。そして東日本大震災の被災地をまわる。そしてこの旅館にたどり着くのだ。彼は娘の結婚を許さなかった。だから娘とは音信不通だった。しかし娘は亡くなった。
彼は、すでにガンが全身を蝕み、この旅館で息絶える。
旅館の老女は、戦死した息子が還ってきて、母が自分を待っているから自分も死にきれないままでいることを話す。息子のその気持ちを父親も察していた。
結局、死者はみずからの死を受容する。そして最終的には、ジュンと先生だけが生きる道を歩み始める。
この劇の登場人物は、生ける者も死ぬる者も、生と死の境界をさまよっている。「清和館」は、その境界に立つが故に、死者も生者も訪ねてくるのだ。そして何故に「死にきれないか」、何故に死に向かいたいかを明らかにしていく。
戦争や津波などの災いが個人個人に襲いかかり、無数のいのちを奪い取っていく姿が示される。死者にとっては、なぜ私はここで死ななければならないのか、それがわからない、だから魂は漂流する。
この劇は、漂流する魂の姿を示すことにより、戦争や津波、原発事故を私たちに想起させ、もう一度考えてくれと言っている。それを受けとめることが、観劇した私たちには必要なのだろう。「清和館」は、私たちの心に棲息するようになるのだ。
この台本を書いた堀江安夫の意図は十二分に演じられていた。そしてその意図も正当である。だが、一部、作為的だと思うところがあった。作者の意図を前面に出すが故に、過度に劇的であった箇所がある。だがその劇的なところで、主演の老旅館主を演じた川口敦子の熱演ぶりが目を引いた。またその夫である武正忠明の演劇的に完成した声には感動した。また加藤佳男の落ち着いた語りもよかった。さすが俳優座である。