電車に乗る時には、必ず新書か文庫を持参する。しかし、電車の揺れはなぜか眠りを誘う。本を開いても、いつのまにか目が閉じてしまう。しかしこの本の場合、私の眼は、眠気を吹き飛ばしながら活字を追い続けた。後藤の筆録と、深代惇郎という「天声人語」を書いていた人間の魅力、この二つが私を眠らせなかった。
それほどの内容をもつ。
内容は多彩だ。もちろん深代が中心ではあるのだが、その周辺に配された人物も魅力溢れる者たちである。「新聞記者が好きです好きでたまらない」という共通意識がありながら、その現れ方はまったく個性的で、その個性と個性との接触が、この本の面白さでもある。本書に紹介されている記者たちに、今どきの記者に見られるヨコ並びの思考はない。
したがって本書は、新聞記者論でもあり、同時にジャーナリズム論でもある。
そして深代が朝日新聞を代表する文の書き手であるが故に、文章論にもなっている。深代のような文を書くために必要なことは、「人に会うこと、本を読むこと、深く考察すること」であり、またひとり旅も付け加えられる。
この本を読んでいて、いま私が描こうとしている竹久夢二と深代とがつながるような気がしている。それは寂しい人であったということだ。本を読んでいる時、頭の中では、その人のイメージを思い浮かべる。深代の場合は、夜の街をコートを着てひとり歩いている、その背後から冷たい風がついて回る、というものだ。夢二も、同じように、絵かきの道具を持ってひとり静かに歩む姿だ。いろいろな交友関係はあったとしても、心はいつもひとり。そしてふたりとも余分なことをしゃべらない、どちらかというと寡黙な人だったようだ。
昨日昼頃届けられた本であるが、一気に読んだ。約500頁の本である。読まなければならない竹久夢二関連の本は、この本に押しのけられてしまった。
それほどの内容をもつ。
内容は多彩だ。もちろん深代が中心ではあるのだが、その周辺に配された人物も魅力溢れる者たちである。「新聞記者が好きです好きでたまらない」という共通意識がありながら、その現れ方はまったく個性的で、その個性と個性との接触が、この本の面白さでもある。本書に紹介されている記者たちに、今どきの記者に見られるヨコ並びの思考はない。
したがって本書は、新聞記者論でもあり、同時にジャーナリズム論でもある。
そして深代が朝日新聞を代表する文の書き手であるが故に、文章論にもなっている。深代のような文を書くために必要なことは、「人に会うこと、本を読むこと、深く考察すること」であり、またひとり旅も付け加えられる。
この本を読んでいて、いま私が描こうとしている竹久夢二と深代とがつながるような気がしている。それは寂しい人であったということだ。本を読んでいる時、頭の中では、その人のイメージを思い浮かべる。深代の場合は、夜の街をコートを着てひとり歩いている、その背後から冷たい風がついて回る、というものだ。夢二も、同じように、絵かきの道具を持ってひとり静かに歩む姿だ。いろいろな交友関係はあったとしても、心はいつもひとり。そしてふたりとも余分なことをしゃべらない、どちらかというと寡黙な人だったようだ。
昨日昼頃届けられた本であるが、一気に読んだ。約500頁の本である。読まなければならない竹久夢二関連の本は、この本に押しのけられてしまった。