浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】『Journalism』2月号

2021-02-11 09:30:43 | 

 特集は「「3・11」から10年」。副題は「問われるメディアの役割と責任」である。なかなかよい文が並んでいる。

 最初は岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友の記者による座談会。大震災が起きたときの地元紙の役割は、「被災者の生活を支えること、生きるための情報を伝えること」であるという。実例を挙げてのこの指摘に、相づちを打つ。そして「大災害は全てそうですが、人と人とを分断する、地域のコミュニティーが断絶する、情報が断絶する。この断絶をいかにつなげるかは、やはりそこに根を張った、地べたを這う取材活動をやっている地元紙だろう」という指摘も、その通りだと思う。また「あなたを忘れない」という連載記事により、亡くなられた方々の生を紹介する。それも重要な役割だろう。

 あのときに、日本中の人たちが津波や原発事故の記事とか映像とか見て、みんな涙流して、自分たちに何かできないか、雪の残る中で避難所でじっとしている人たちを見て、自分たちの暮らしってこれでいいのかって思ったはずなのに、この10年でガラッと変わったことが一番悔しい。復興五輪とかって言われると、何言ってんだって、思う。

 末尾の方での発言が上記である。10年前を想起すること、その意味で、本誌がこうした特集をもつことは重要である。

 桜井勝延もと南相馬市長へのインタビューで、櫻井氏が「(東京五輪は)復興という言葉を利用した東京での再開発そのもの」と指摘しているが、その通りだ。オリンピックにかこつければ多額の税金を使っての「再開発」に文句を言う者が少ないだろうということから、しゃにむに五輪開催へと進んできた。

 その後にローカル紙の大船渡市にある東海新報の鈴木英里さん、震災後にローカル紙「大槌新聞」をたちあげた菊池由貴子さん、お二人の論考がある。地域に密着したローカル紙というものがいかに貴重な存在であるかを示している。

 静岡県の西部では掛川市に郷土新聞があるだけだ。東部にたくさんあったローカル紙もなくなったものもある。ローカル紙を発行することの意味を考えなければならないと思う。

 ほかにも貴重な論考がある。黒森神楽を映画化した遠藤協さん、原発作業員を追い続ける東京新聞の片山夏子さん、遠藤薫さんの社会調査による住民意識の分析。いずれも刺激的なものだ。

 朝日新聞を購読するつもりは毛頭ないが、この『Journalism』誌は読む価値がある。

 

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ことばではどうでも言える実例

2021-02-11 07:58:45 | メディア

 政権の広報機関であるNHK。政権に一言でも非難めいたことを言えばやめさせる。だからNHKはじめ、テレビを私は見ない。NHKが五十浦良い番組をつくっても、総体的に、NHKは権力のワンコである。

有馬嘉男キャスター、3月降板へ NHK「ニュースウオッチ9」

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スポーツ界

2021-02-11 07:42:32 | 社会

 森喜朗が平気で女性差別発言をしても、組織委員会内部からの批判は出てこない。逆に慰留する始末。そして批判が内外から寄せられる中で、やっとIOCは「絶対的に不適切」だという。しかしこの「絶対的に不適切」ということばもよくわからないことばだ。

 「絶対的に不適切」な言動を行った者をトップにいただいているJOCに対して、解任を促すことくらいすべきである。

 ことばはことばである。口ではどうにでも言える。

 まあ長年スポーツ界を見てきたが、スポーツ界は「上意下達」であり、また「女性差別」の温床で、またカネに汚い人びとが巣くうところでもある。

 部活動の顧問の姿。部員から集める部費の使途不明、後援会長その他への無心、暴力、不当なカネ集め、・・・・などいろいろあった。部活動で名をあげようという管理職と連携して、学校教育を歪めていたのが部活動であった。

 スポーツマンシップということばは、実態としては存在していないのである。

 スポーツがカネまみれであるために、カネのない者は、部活動もできない。それが現実だ。

 

 

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