とにかく本が多すぎる。少しでも減らそうと雑誌に焦点を絞り、どれを捨てるか吟味している。
昨年、『月間労働組合』の5月号をいただいてあった。これを捨てようと見始めたのだが、どうしようかと迷う。そこには労働現場の闘い、たとえば長崎バスの長崎バスユニオンの闘いが紹介されている。会社側の走狗となっている御用組合から離れて結成された組合であるが、ユニオンに対して会社側の不当労働行為が矢継ぎ早に行われ、ユニオンはそれらに果敢に抵抗している。
また「今月の統計資料」として厚労省の「賃金構造基本統計調査」の内容が紹介されている。2020年3月のものだ。
それによると、大企業男性、大企業女性、中企業男性、中企業女性、小企業男性、小企業女性のそれぞれの推定年収は、それぞれ712万円、499万円、559万円、418万円、459万円、354万円と、企業間区差、男女格差が明瞭に読みとれる。
特集は「新型コロナに負けるな!」で、 COVID-19の流行に伴う労働現場の困惑が記されている。貴重な記録でもある。
また「発言席」で、生越義幸さんが基地問題について発言している。南島原市では海水浴場で自衛隊水陸機動団の訓練が、西海市では米軍LCACによる夜間航行訓練がおこなわれていることを記している。生越さんは長崎の方、山口県岩国市を訪問した。巨大な米軍海兵隊基地がある。
岩国市では、基地交付金で建てられた庁舎、全天候型陸上競技場・野球場、ソフトボール場、公園などがすごく「りっぱ」であることに驚き、米軍幹部用の住宅は1戸7000万円、シェルター付きにこれまたびっくり。
税金が、湯水の如く、米軍に注ぎ込まれている。
こういう雑誌でも、知らなければならない事実がたくさん記されている。
2014年8月の『現代思想』臨時増刊、「丸山真男生誕100年」を読んでいる。買ったときにもいくつかの論文を読んではいたが、そのほとんどは記憶の彼方へ。それを読みながら考えたこと。
丸山真男の問題意識の一つは、「戦前日本の統治体制における責任ある政治主体の不在」であった。そこから、日本において「責任ある政治主体」をどうつくりだすかが、課題として浮かび上がる。
それ以降の政治学者は、どうしたら「責任ある政治主体」をつくるためということから、「“政治主導”論」、「“決められる政治”論」など、内閣=行政権を強化する策を練ってきた。小選挙区制の導入もその一環である。
現在、そうした政治学者の主張により、「一強」という政治体制が存在するようになったが、しかし一向に「責任ある政治主体」は出現しない。「責任を痛感する」主体は存在するが、「責任をとる」主体は皆無である。
それは政治家だけではなく、官僚も、である。責任に頬被りして、厚顔無恥を貫き通している。それほど日本の政治風土は、責任と縁がないのである。
政治学者は、内閣=行政権を強化する策を提示するのではなく、なぜ日本の政治において責任をとるという行為が存在しないのかを問うべきなのだ。それは政治家や官僚個々の問題ではない。安倍政権下のモリカケ、森友、そしてスカ政権での総務省の接待問題など、いつも同じような姿が映し出される。
なぜかくも政治が腐りきっているのかを、政治学者には解明してもらいたい。