岩波新書を創始し、さらに戦後刊行が始まった(現在も発行されている)雑誌『世界』の初代編集長であった吉野源三郎の本である。この本は、以前に読んだ記憶はあるがほとんど覚えていない。出版は1989年である。
その中に「原田文書をめぐって」という 文がある。
岩波書店から『西園寺公と政局』という全八巻の本が出ているが、西園寺公の秘書であった原田熊雄という人が詳細なメモを元にして語ったものである。秘密事項がたくさんあり、したがって刊行は戦後のことである。
戦時下、原田から呼ばれた吉野は その一部を読ませてもらう。吉野はそれを読み大変驚く。なぜか、その部分を引用しよう。
「例えば東郷元帥のような著名な人物が晩年には全く見かけだおしの人間であったこと」
「そもそも日本の国策や重大な諸政策がどのような過程で決定されてきたのか、また現に決定されているのか、現実に日本の政治はどんな人たちによって、どんな手続きで動かされているのか、ということについて、はじめてその真相に触れることができたのが大きかった。 皇室を中心として、元老、枢密院、政府、 陸海軍等の、それぞれの首脳や中枢の人物の間で、国民の全くあずかり知らない交渉や談合を通じて、重大な問題が決定されていく。そして、その結果が国民にとっては運命のような力を持つのである。」
「しかし読み終えた時のあと味は、なんともいえないニガさだった。気持がすっかり暗くなっていた。登場する人物のスケールの小さいこと、その行動の動機の浅いこと、その腹のなさー 中略ーこんな連中によって何千万という国民がひきずられてゆくのか、おれたちの運命が決められるのか、と考えるのは、戦争の最中だっただけに肩がガクリと落ちるような思いだった。」
吉野は、東京裁判の判決が下されるとき、その法廷にいた。その時の感想。
「かつて あれほど 日本を引きずり廻し、われわれにあれほどの重圧を加え、いま敗戦の結果、 国民にこんな不幸やひどい窮乏をなめさせるに至った当の責任者が、 こうして改めて見直すと、ほとんどたわいないといっていいほど小さな人物だった 。そのやりきれなさに、 私は法廷の設けられた元陸軍士官学校の、あの正門に通ずる坂を唾でも吐き出したいような気持で出て来たのである。」
この部分を読み、現在も全く同様であることに驚いた。「登場する人物のスケールの小さいこと、その行動の動機の浅いこと、その腹のなさー 中略ーこんな連中によって何千万という国民がひきずられてゆくのか、おれたちの運命が決められるのか」という個所は、現在の政府や官僚、政治家の姿を見れば、まったく同じなのだ。
この点では、日本は戦前と全くかわっていない。ごろつきのような人間が権力を牛耳っている。しかし現在は「国民主権」の世の中だ。戦前と同じというのは、まったく情けない。そうした事態、つまり戦前と同様に卑小な者どもに権力を行使させているをつくりあげている国民に対して、私は情けないと思うのだ。
『西園寺公と政局』全八巻。書庫の隅にある。読みはじめようと思う。