第2次世界大戦の一環としての独ソ戦争には、ソ連人女性が100万人が「参戦」したという。看護師とか軍医だけではなく、まさに戦闘員として。
アレクシェーヴィチは、参戦した女性を訪ねて、戦争の体験、その頃の感情の動きなどを聞き取る。
まず私が驚いたのは、ナチスドイツの残虐さである。ナチスドイツは、ユダヤ人はじめ多くの人々を惨殺したが、ナチスドイツに占領されたソ連領内でも暴虐の限りを尽くしていた。ドイツ人は見境なくソ連人を、男だけではなく女や子どもも殺していた。ドイツは、ケガをしたソ連兵士を救うことはしなかったが、ソ連人はドイツ兵を救った。戦時下であってもナチスドイツの兵士は、ふつうのドイツ人であったはず。ドイツ人にに対する私の認識は、悪くなった。
戦場に於ける女性兵士が体験したもろもろのことが、ここには記されている。戦場とはいかなるところなのか、がよくわかる。絶対的に経験したくないところ。
日本軍兵士が侵したアジア太平洋地域でも同じような状況があったのだろうが、いずれにしても戦場とは、殺人が平然とおこなわれるところだ。そしてそれを体験してしまうと、戦争が終わっても、体験者の平穏な人生に大きな陰となって襲いかかる。
「戦争はなんでも真っ黒よ。血だけが別の色・・・血だけが赤いの・・・」
「心の痛みはとても辛いの」
「神さまが人間を作ったのは人間が銃を撃つためじゃない。愛するためよ。どう思う?」
「戦争では何でも速い。生きていることも、死ぬことも。あの2,3年で一生を生きてしまった気がする。誰にも分かってもらえないけど、時間の速さが違うの・・・」
私ももと日本軍兵士から話を聞いたことがあるが、戦場に生きた女性の話は、それとは質的に異なる。何を見、何を心に刻むのか、男性と女性とでは異なるようだ。女性は人間を見る、男性は人間から離れたもの、理念とか作戦とか・・・・そういうものを記憶する。
本書は、多くの人に読んでもらいたい。
「でもこれは残るようにしなけりゃいけないよ。いけない。伝えなければ。世界のどこかにあたしたちの悲鳴が残されなければ。あたしたちの泣き叫ぶ声が。」
今も世界のあちらこちらで、「悲鳴」や「泣き叫ぶ声」が発せられている。