浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】新谷尚紀『神社とは何か』(講談社現代新書)

2021-12-25 10:07:33 | 

 新谷は民俗学者である。自治体史で民俗学者と一緒に仕事をしたとき、民俗学者の事実(史実)確定のいい加減さを知って、それ以後民俗学に信をおかなくなった。

 私は、故田村貞雄さんの秋葉信仰研究に伴走する中で、明治初期の神仏分離政策に関心を抱き、その関係の文献を読んできた。出版されたばかりの本書も、その一環から購入したのだが、本書は民俗学の知見だけではなく、文献資料なども援用しながら「神社とは何か」について論じたものである。

 しかし「神社とは何か」という問いに対して明確な定義はできていないように思われた。それは当然であり、日本列島の長い歴史のなかで変遷を重ねてきていて、その変遷をそのまま重層的に記すしか、その答えはでてこないからである。

 「神社」という漢語の初見は、684年だという。それをあえて訓読みすれば、「かみのやしろ」ということになる。かみのいるところ、という意味である。

 日本列島に住む人々が、何故にカミを「かみ」と言うようになったのか。国語学者の大野晋がその語源を調べたがそれは確か判明しなかったということだったように記憶している。大野が編纂した『古語辞典』(岩波書店)には「かみ」は「古形カムの転」とある。「かむ」は複合語にたくさんある。「かむながら」「かむなづき」「かむぬし」・・・読むときは「かむ」ではなく「かん」と言うことが多い。

 アイヌ語の「かみ」は、「カムイ」である。私は勝手に、「かみ」はアイヌ語の「カムイ」を祖語としているのではないかと思っている。アイヌは、つまり縄文時代の日本列島の住人ではないかと思ってもいるからだ。

 さて本書であるが、一挙に読んだ。ということは新たな知見、それも根拠なき知見ではなく、きちんとした根拠をもった(もちろんなかには推測もあるが)知見が、ちりばめられていたからだ。その意味で教えられるところが多かった。

 神社信仰も、宗教のひとつである。宗教の誕生は、以下のように記される。妥当な説明であり、本書でなくとも、同じような記述を読んだこともある。

 ホモ・サピエンスにとって、死の発見は他界観念と霊魂観念の発生であった。つまり、宗教の誕生である。死の恐怖の扉を開けてしまったホモ・サピエンスは、一気に精神世界のビックバンの中に投入されてしまい、あの世とこの世、生きていることの不思議、を考えることから逃れられない種となってしまったのである。だから、世界中のあらゆる社会を訪れてみても、霊魂的な観念を反映させる何らかの装置がない社会はどこにもない、一つもないのである。(20)

 神社信仰は、「神道」と呼ばれ、「日本古来の民族信仰」だとされる。その信仰のうち、神社の変遷をいくつかの視点から叙述したものが本書の内容である。そのためには、実在する神社を、その建築様式、神体、位置などから分析を加える。

 「日本の神社というのは、様々な背景からそれぞれの社殿が造営されてきたのであり、単系的な発展や展開を示すものではない。」(137)とあるように、神社だけではなく神社信仰もそういうものとして存在しているのだろう。

 本書は、「神社とは何か」を考える際の貴重な材料を提示してくれていると思う。

 良い本である。

 

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