『週刊金曜日』を創刊した本多勝一。創刊時から編集委員として彼の名前がいつも印刷されていた。しかし、今彼の名はない。
本多勝一という名は、わたしにとって重要な人物であった。
母は、ずっと『朝日新聞』を購読していた。だからわたしも、『朝日』を読みつづけた。連載記事が好きだった。本多勝一は、アラビア遊牧民、ニューギニア高地人などを取材、それは『極限の民族』という単行本として出版された。本多のルポルタージュは『朝日』の紙上に何度も掲載され、わたしはそれを読みふけった。そして単行本になれば、それを買い求めた。今もそれらは書庫に並んでいる。
わたしと同世代の人間は、本多勝一の文を読んで育った。大学卒業後に知り合ったメディア関係者は、申し合わせたように、本多勝一を読んでいた(また共同通信の斎藤茂男の本も、わたしは好きだったが)。本多に影響されて新聞記者になった者もいた。だから、彼らとの話には、かならず本多の名がでてきた。
それほど本多勝一は、私たちの世代の精神的な、あるいは知的な成長において、重要な存在である。
わたしの文の書き方も、本多の『日本語の作文技術』に拠る。いろいろな『文章入門』を読んだが、本多のそれがもっとも、他者に理解しやすい文の書き方を教えていると思ったからだ。
さて今日、『地平』11月号が届いた。最初に読んだのが、「朝日はもう人生のパートナーではない」である。何度も書いているが、わたしは小泉の郵政選挙の際の社説を読んで、その日に『朝日』の購読をやめた。ものごころついてから、ずっと『朝日』を読んでいたのだが。
最近辞めた『朝日』の記者二人のことが書かれていた。そのひとり、当時静岡支局にいた阿久沢さんからは、大杉らの墓前祭について取材を受けたことがある。『朝日』の記者、といってももうやめた人も多いが、知り合いが多い。みな能力のある優秀な記者であった。そういう記者がいられないような状態を、『朝日』はつくっている。『朝日』はもったいないことをしていると思う。
凋落する『朝日』の復活は、もうないだろう。『朝日』自体が、全国紙としてのリベラルな言論機関という立場を放棄しているからだ。今後は不動産企業として生きて行くことになるだろう。「朝日不動産」か、いいじゃないか。
ジャーナリズムは、今や『東京新聞』、地方紙、そしてデモクラシー・タイムスなどのネット、さらにTansaなどに集うジャーナリストに支えられている。