ここで記しておこう。精神的疾患をもった天皇はいた。967年に即位した、醍醐天皇の孫、冷泉天皇である。即位の前から精神的疾患があったことは、「皇太子始めて心を悩む。尋常にあらず。」(『日本紀略』)に記されているとおりである。したがって、精神的疾患があると皇位に即けないということはなかった。これに対応して、治癒を求めて様々な祈祷が行われたことは言うまでもない。
ちなみに、清涼殿で殺人事件を起こした天皇もいた。陽成天皇である。
三景について書いていくことにしよう。
荷車を引いた「逆髪」と「蝉丸」が逢う場面である。
「蝉丸」は、自らが目が見えない原因を、「前世の因縁」に求める。それに対して「逆髪」は、「前世の因縁などない。あるのは現世の事情だけだ」と断言する。そして「連中はお前を捨てたい。そのための理由が欲しい。それが皇室典範。御仏の教え。前世の因縁」と断じる。しかし「蝉丸」は、そうした言葉を理解できない。「逆髪」は「蝉丸」を「木偶の坊」という。「望まれたとおりの言葉をしゃべり、動き、食べ、泣き、眠る」、そういう他者に動かされる者は「木偶の坊」だとする。そして「逆髪」は、理解できない「蝉丸」を置いて去ろうとするのだが、そこに清貫が現れる。
清貫は、「蝉丸」を都に連れて行こうというのだ。清貫は醍醐天皇を「捨てて」、「蝉丸」を新しい天皇にたてようとしているのである。「謀反」にほかならない。
「逆髪」は、「さっき捨ててもう拾いに来るのは新しい使い道がみつかった証拠」だと断言する。「蝉丸」と清貫、「逆髪」を交えての会話が続く。「逆髪」の指摘にもかかわらず、「蝉丸」は清貫と都に帰ろうとする。「逆髪」は、都に帰ろうとする「蝉丸」に、都へ行けば父・醍醐と殺しあうことになると告げる。そのような会話をへ、結局「蝉丸」は残ることに決める。清貫は、「なりたくなくてもなるのが天皇家に生まれた者の務め」だと固執するのだが、「蝉丸」「逆髪」ともに、「あんな家に生まれたくなかった」という。
そして「逆髪」は、「あの家にあるのは我慢我慢我慢。自由はとんでもなく悪いものにされて腹の底に押し込められる。ところがうっぷん払いの好き放題は許されて、自由と不自由が逆さま。楽しいと楽しくないが逆さま。うれしいとうれしくないが逆さま。髪の毛は逆立っていないのに心は逆立って澱み、渦を巻いて出口がない。この逆髪のこころに清い水が流れるのとは大違い、鼻をつままないではいられないドブ水が流れを失って澱んでいる。逆さまのあべこべ。あの家にはこの逢坂山にいくらでもある自由がない。」と語る。
すでに「逆髪」は、天皇家にない自由を得ている。その自由がもっとも大切なものであることを知っている。しかし「蝉丸」はその入り口にたどりついたところだ。
天皇家、天皇制にくっついているということは、すなわち自由を持てないということだ。清貫は天皇制にくっつくことにより公卿となった。しかしそこと離れてしまうと、清貫も逢坂山で自由を知ることになる。
「蝉丸」は問う、「その荷車には何を」と。「逆髪」は「逢坂山を乗せておる」と応える。またさらに「京の都もこの上に」という。逢坂山は自由で「無縁」の地である。逢坂山は京の都の近くにある。「逆髪」は、清貫も滑り落ちて逢坂山、自由な地にやってくることになろうと予想する。
「蝉丸」は、京の都に還ることを拒み、自由の場に留まる。
くるみざわは、つまるところ、天皇制とくっついている限り、自由はないのだということ、そのことを、観る者に、声高ではなく、この劇を通して感得してもらいたいと思ったのではないか。わたしは、そう解釈した。
(おわり)