親が生きているということは、自分自身の死の準備をしなくてもよいということだ。親は、わたし自身の死の防波堤であった。
しかし、親が亡くなると、親のもろもろのものを捨てるという作業を余儀なくされる。それは親が生きていた証しを消し去るということでもある。わたしの子どもも、孫も、わたしの親の存在を認識している。しかし、その後の世代は、当たり前のことだが、わたしの親については、まったく知らない人となる。親の生きていた証しは、いずれ消えていく。
親にかかわるもろもろのものを処分するなかで、わたし自身の死後に、家人や子どもにその作業をできるだけさせないようにしたいと思うようになっている。親のものを捨てながら、わたし自身のものも一緒に捨てはじめている。
いずれ、わたし自身もこの世を去る。そのことを意識せざるをえなくなっている自分自身を見つめる。
と同時に、わたし自身の人生を振り返るという作業もはじめている。
振り返ろうとするとき、ほぼ同世代の人びと、わたしの脇を駆け足で通り過ぎた人びとのことが気になる。
『週刊金曜日』の書評欄に、『連合赤軍 遺族への手紙』という本が紹介されていた。わたしとほぼ同世代、いや彼らの方がおそらく年上であるだろうが、陰惨な事件のなかでこの世を去って行った人びと、あるいはその事件を起こした当事者=加害者の精神が、この本には書かれているのだろう。なぜそういう生き方をしたのか、わたしは知りたい。
またウーマンリブの田中美津さんが亡くなられた。わたしは彼女を知らないのだが、雑誌などを通して、田中さんの活動はわたしの視野には入っていた。
『世界』、『地平』11月号に田中美津さんのことが書かれていた。『世界』の山根純佳さんの文のほうが、わたしには新鮮だった。「お尻を触られて「あ、セクハラ」と叫ぶのはフェミニズム、お尻を触られたらビシャッと殴る、殴れなかった無念さから出発するのがリブ」という説明は納得的であった。
田中さんの文が紹介されている。
「「平等」とは私らは等しくみな、「世界で一番大事な自分」を生きているということであり、「自由」とは、「自分以外の何者にもなりたくない」という思い」
なるほど、である。田中さんは、「人の言葉で生きるな、自分の言葉で生きろ」と子どもに言っていたようであるが、まさに平等と自由とを、自分のことばで語っている。
視野に入っていた人びとが、この世から去って行きつつあるとき、彼ら、彼女らの生き方やことばを、知りたいと思うようになっている。
自分自身にできなかったことは何なのか、振り返る年令になっている。