戦争は、多くの画家の卵を殺した。画学生たちである。彼らの絵は、作品として、上田の無言館に展示されている。
わたしは一度だけ、無言館を訪ねたことがある。「無言館」というだけあって、そこに入ると、人は無言になる。
そこで抱いた感想は以下の通りである。
無言館に入るやいなや、私たちはことばを失う。まさに「無言」である。一点一点の作品を、私たちは見つめる。その作品の中に、私たちはひたすら絵を描いていた青年たちの意気を感じる。絵を描くことが好きで、絵を描くことを一生の仕事として東京美術学校に入学した彼らは、しかしみずからの命が長くないことを知っていた。激しい戦争が彼らを吸い込もうとしていたからだ。そして戦地で、もっともっと生きつづけ、絵を描きたいという願望をもちながら、望まない死を迎えた。
私たちは、彼らの作品のなかに「静寂」をみる。それらの作品を残して彼らが夭折したことを知っているからである。同時に私たちは、彼らの作品を、ふつうにみることができない。私たちの眼と作品との間に、戦争での〈死〉が介在している。〈死〉を介在させて作品を見ることは、ある意味で邪道ではある。だが介在させないでみることは不可能だ。
これらの作品は、彼らの生きた証しである。私たちは生きた証しとしての作品を見るが、同時に、生きていればもっともっとよい絵が描けただろうにという、画学生への哀惜の念をもつ。彼らの未来は、戦争によって断ちきられた。戦争がなかったら・・・という気持ちもわいてくる。
無言館館主も、こう書いている。
「かれらの「死」のあまりの不条理さが、かれらの絵をいまだに成仏させていないといってもいいだろう。絵というものがそれを描く者のもつ人生観や死生観のあらわれであり、その生存の証ともいえる自己表現の産物である以上、どうしても戦没画学生たちの絵は、かれらの生命を他動的に、「自死」させた戦争というものの存在をぬきにしてみることはできないのである。・・・・・・画学生たちのその死はあの戦争という暴力によってムリヤリ強いられた不本意な死、「強いられた死」だったということだ。」
今、静岡県立美術館で、「無言館と、かつてありし信濃デッサン館ー窪島誠一郎の眼」という展覧会が開催されている。