浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『週刊金曜日』11月15日号

2024-11-14 16:55:01 | 国際

 特集は、「米大統領選 トランプ復活」である。

 実を言うと、わたしはアメリカ大統領選にあまり関心を持たない。民主党であろうと、共和党であろうと、たいして変わりはないと思うからだ。大統領が変わっても、パレスチナの人々の置かれた状況がよくなることもない。

 日米関係を見れば、日本はアメリカの言うがままに行動するのは、今まで通りであるし、産軍複合体のアメリカは、時々戦争をやって、あるいは他国の戦争に武器を輸出して、とにかく軍需産業を太らせる。共和党が政権を握っても、おそらくアメリカの支配層がやることはあまり変わりはないだろう。いずれにしても、歴史的に見ても、アメリカは常にアメリカファーストであり、それも変わることがない。アメリカが人道主義に基づきよいことをするとか、戦争をしている国に「やめなさい」ということもありえない。トランプであろうとハリスであろうと、である。

 だから、新聞などが騒いでいても、わたしはほとんど読まなかった。

 次の記事は、「アベ政治の終わり・・・」で、山口二郎へのインタビュー、これは読まない。わたしは山口という人物を学者としても、人間としても、まったく信用していないからだ。

 読んだ中で、「長谷川綾の政治時評」が面白かった。わたしが支持するのは、れいわ、共産党、社民党である。いずれの政党にも、全幅の信頼をよせているわけではないが、その他の政党よりずっとマシだと思っている。

 れいわの票が伸びたのは、消費税を廃止するという公約が支持されたのだろう。今のように、五公五民という、江戸時代だったら百姓一揆や打ちこわしが起きるような重税のなか、政治家は裏金をつくったり、銀座や料亭で飲む食いしている、そのことに国民は異を唱えたのだろう。

 減税を訴えると、メディアは財源は・・・?と問うが、岸田政権が軍事費(わたしは防衛費とは言わない)を今後43兆円をつぎ込むといったとき、財源についてメディアはとりあげ批判したか。

 とにかく庶民の生活は、日々の買い物でできるだけ安い物を買い、経済生活に不安をもち(人々と会話すると、最近の食品などの物価上昇は困る、というようなものばかりだ)、将来はどうなるだろうかと心配している。そういう庶民の気持ちを代弁できたのがれいわであり、共産党、社民党はそこまで庶民生活の改善策を訴えてこなかった。国民民主党という政党も、「手取りをあげる」という空疎なキャッチで支持を集めていた。

 「戦争反対、平和は若者に響かない」と憲法学者の清水愛砂さんは言っているが、その通りだと思う。ウクライナへのロシアの侵攻、イスラエルのガザでのジェノサイド、いずれも若者たちの関心領域のはるか外部にしかないのだ。若者はテレビもみないし、新聞も読まない。それに、わたしが高校生の頃、新聞紙上でベトナム戦争の記事がたくさんあったが、今は報じられてはいるが、そんなに大きく取り上げられてはいない。若者の関心領域は、今、きわめて狭くなっている。

 今まで通りの政策宣伝では、若者のこころは掴めない。

 

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よき人が・・・

2024-11-14 07:33:50 | 日記

 静岡市で何らかの催しがあるとき、わたしは東海道本線で静岡に向かう。途中、藤枝駅からもと高校教員のTさんが乗ってくる。何度か一緒になった。Tさんは、それはそれは理不尽なことに素直に怒りをもち、平和を求める活動を積極的に行っていた。

 あるときTさんは、電車の中で、「60代は元気に活動できるけれども、70代になると身体にいろいろ故障がでてくるから、やれることは60代までにしっかりとやっておかないといけない」と語っていた。わたしより一回りも上のTさんのことばは記憶に残っている。

 そのTさんは、自転車に乗っていて顛倒し、自身は脇の用水に落ちた。ケガはほとんどなかったようだが、用水の水を飲んでしまったようで、肺に菌が入って、そのために亡くなった。

 ほんとうに、優しく、知的でよい人であった。わたしは、亡くなられたことをかなり経ってから聞き、なんてことだ、と思った。Tさんのような人間には、もっともっと長く生きてもらいたかった。

 昨日、ひとりのクリスチャンが亡くなられたというメールが届いていた。メールを読みながら、なんでまた、と思わざるを得なかった。北海道で牧場をやっていたNさん、出身は静岡であった。

 召集された父の上官であり、父の死後も、母を励まそうとずっとたよりを寄せていただいた無教会派のクリスチャンであるIさんも静岡にいた。Iさんからの年賀状は、聖書からの引用で、いつも平和に関するものであった。子どもの頃から、Iさんの年賀状を見ていたわたしは、Iさんにいつかお会いしたいと思っていた。溝口正先生のお計らいで一度お会いすることができたが、思っていた以上のよき人であった。Iさんはすでに亡くなられているが、Nさんは、Iさんらが集っていた聖書集会の関係者であった。

 キリスト教にもいろいろな集団がある。わたしも生きてくる中でいろいろなキリスト教のクリスチャンと接する機会があったが、そのなかでクリスチャンも信仰によるのではなく、人それぞれだということを学んだ(なかにはヒドイ人もいた)。しかし、無教会派のクリスチャンは、皆さん、とてもよき人であったし、今もそうであり続けている。

 わたしはNさんを直接知らないが、『みぎわ』に書かれていた文を読むと、溝口先生やIさんと同様に、尊敬すべき人格者であることがわかる。そういう方が亡くなられたということに、わたしのこころは大きな悲しみを感じる。

 よき人がこの世を去っていく報をきく度に、なんでまた・・・・と思う。よき人とは、この世でもっともっと活躍していただきたい方である。そういう方とわかれるということは、悲しいのである。

 

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