浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『みぎわ』64

2024-11-13 19:15:25 | 

 無教会派のクリスチャン、浜松聖書集会の方々が毎年刊行している『みぎわ』が届いた。仕事が立て込んでいたため、しばらく机の傍らに置いておいたのを、やっとざっと読みとおすことができた。

 巻頭は、故溝口正先生の文章が並べられていた。溝口先生が語っていたこと、書いていたこと、生前、何度か先生から同じ話を伺っている。溝口先生は、心から平和を望んでいた、そしてそのために全力を尽くされていた。

 一切の妥協をみずからに許さない、強固な意志を持っていきておられた。

 その、いわば同志の皆さんが、それぞれ文を書いている。わたしはクリスチャンではないので、聖書の解釈についてはよくわからない。しかし多くの方が、主体的に聖書に向かい熟考する姿が、行間から浮かび上がる。

 この世界に生きていると、さまざまな事件が起きる。それらをクリスチャンの立場から何とか解き明かそうと試みる論稿があった。「この世的精神に抗して」である。「こういう現実を前にして、キリストの福音は何を語りうるか」を考えるのだ。

 あのジェノサイドが繰り広げられているガザで、治療に当たる医療従事者、そしてガザで起きていることを報じるジャーナリストの姿に、筆者は「神の支配、神の国を見る」。そして「イエスの復活」に関する文献を紹介しながら、「イエスの復活」を証明する直接的なものはないこと、したがって、「イエスの復活は、それを信じるか信じないかは、単なる頭の中で納得できるか否かの問題ではなく、自分の実存を賭けての生き方の問題」であると論じる。これについては、クリスチャンではないわたしも同感である。イエスは十字架刑により亡くなった、しかしイエスは復活した、と言われる。しかしそれは、常識的にはあり得ない、あり得ないが故に、クリスチャンは、それをおのれの「実存を賭けて」信じるのである。そうでしかあり得ない。

 「プーチンと一体化したロシア正教」を、筆者は「この世的キリスト教」とする。また、「この世での武力や経済力や人々の人気や数の力を用いて、この世での栄光、覇権の追及こそが、人が求めるべきもっとも価値あるものだとの信仰のようなものです。それは裏返せば、真理の権威だとか真実の追求だとか道義の力だとかいったものの尊重は、この世で負け犬の遠吠え、理想主義者の幻想だとして捨てて省みない姿」を「この世的精神」とする。

 そして「イエスの復活」を信じるとは、「この世での敗北を恐れない」ことだとして、文を閉じている。忌むべき現実をどう理解し、その現実が大きな重しとしてのしかかってきても、「敗北を恐れない」という意志、それは溝口先生も持っていたものだ。

 敬虔なクリスチャンは、謙虚に、しかし強い意志をもって生きる。たとえば、山のハム工房ゴーバルとして、あるいはデンマーク牧場で福祉に従事しながら。

 『みぎわ』を通読して、共通する精神は、「~と共に」である。「~」には、神(イエス)、クリスチャン、そして「みんな」が入る。もちろんクリスチャンではない、「わたし」も入る。

 

 

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白い・・・・・

2024-11-13 10:48:59 | 

 「白い・・・」というとき、ぼくは何を思い起こすのだろうか。

 東京に出た最初の冬、浜松ではほとんどみたことのない雪が降り、そして積もった。夜のことだった。冬は、木々はみどりの葉を落とし、人びとは黒っぽい服を着て、寒さに耐えながら生きる。全体として、ダークなイメージである。しかし雪は、それを覆いつくしてしまう。白い世界が現れる。

 ぼくは、とっても美しいと思い、母に電話したことを覚えている。

 ハン・ガンも、「白い・・・」というとき、雪を思い起こすようだ。雪の記述が多い。また雪の記述が多いということは、冬の記述も多い、ということである。

 確かに、「白い・・・」は、冬に似つかわしい。夏は、カラフルだ。

 「白い・・・」というとき、ぼくが思い起こすのは、雲だ。幼い頃、ずっと雲を見続けたことがある。雲は形をいろいろにかえながら、西から東へと去っていく。

 ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んだ。ほとんど、詩だと思った。そしてその詩には、死がくっついている。生まれてまもなく亡くなった「姉」という存在。

 人間は生きていくなかで、まったく「白紙」である人生を、みずからの色や形で埋めていく、あるいは描いていく。だが、生まれて間もない「姉」のそれは「白い」ままだ。「白い」ままの「姉」の存在が、ハン・ガンにさまざまな想念を飛翔させる。「白い」ままの「姉」の生には、やはり「白い・・・」しかあり得ない。ひとりの生に、たとえ妹であろうとも、そこにほかの色や形を描くことはできないからだ。

 さらに、「姉」の死は、他者の死へと開いていく。死は、他者の死へと連なっていくのだ。

 確かに、「生は誰に対しても特段に好意的ではない」(P69)。でも、だからこそ、「しなないで、しなないでおねがい」(P169)とこころのなかで叫ぶのだ。

 この本の原題は、「白い・・・」という形容詞だとのこと。Koreaのことばの「白い」には、複数の語があるという。コリアンは、「白い」に大きな意味を持たせているのだろう。

 

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