『芥川龍之介全集』第八巻の最後は、漱石についての文である。芥川はしばしば小宮豊隆らと漱石宅を訪問した。
早稲田南町にあった漱石の書斎はこういう状況であった。
「書斎は畳なしで、板の上に絨毯を敷いた十畳位の室で、先生はその絨毯の上に座布団を敷き机に向かって原稿を書いて」いた。
その部屋で開かれた「木曜会」に芥川は参加していた。その書斎を自慢する漱石がどうも不思議であった。こういう書斎であったからだ。
「天井板に鼠の穴が見え、処々に鼠の小便の跡も見ることが出来」、「一つの高窓があるのですが、その高窓に・・・・頑丈な鉄格子がしてありました」。
ある日、漱石に会いたいという手紙を米国の女性が送ってきた。漱石はもちろん英文の手紙でそれを断った。
芥川はなぜ断ったのかを尋ねた。漱石は、
「夏目漱石ともあろうものが、こんなうすきたない書斎で鼠の小便の下に住んでいる所を、あいつ等に見せられるか、アメリカに帰って日本の文学者なんて実に悲惨なものだなんと吹聴されて見ろ、日本の国辱だ」と答えたそうだ。
漱石の気概やよし、である。しかし日本では、こういう自覚を持つ者は、今や少ない。
世界標準の方法を無視してCOVID-19の流行に際してPCR検査を抑制し、アカデミーの殿堂である日本学術会議の人事に介入して、政権の意向と合わない学者の任命を拒否する、首相となって議会で所信表明もしないで外国訪問を行う・・・・・・これらはすべて「国辱」ものである。
日本人は、アベ政権以降、サクラ、加計、森友と恥ずかしいことばかりしているのに、それが「国辱」ものであることを認識もしない。