高齢者の事故が増えている。自宅の裏にアパートの駐車場があり、そこの一台分を近所の高齢者が借りていた。高齢者は車とともに、一昨年の11月、わが家に飛び込んできた。ブレーキとアクセルを踏み間違えたという。彼は謝罪にも来ず、道でであったら保険会社に任せていると言われた。昨年の12月、また同じことをした。ただこの時は、わが家にまで達することはなかった。私は彼に、もう一度やったら刑事告訴だ、と話したら、駐車場を変えた。わが家の近くである。その駐車場の隣の家が、今怯えている。▲彼はすでにこうした事故を三度やっている。しかし免許証を返上する気配はまったくない。最近はそうでもないようだが、彼は浜松市の私鉄に就職して、最後は系列のホテルのエラいさんになっていたようだ。そのことを近所の人に誇っていたそうだ。現役で働いていた時の地位について吹聴する男性は多い。男というのは、自分自身を働いていた時の地位で自己評価しているのかもしれない。▲私のように、ずっとヒラで生きてきた者は、そういう社会的地位について誇るものはない。言いたいことを言い、自己の権利はきちんと主張し、おかしいことはおかしいと言い続けてきたし、また「御用組合」ではない労働組合に入っていたから、いわゆる「出世」とは無縁であった。▲退職して社会から離れて家庭に生きる男性は、働いていた時の社会的評価なしに生きていかなければならない。その時、そうした男性は、これは聞いた話しだが、妻に対してきわめて強情に振る舞うのだという。「オレは偉かったのだ、だから言うことを聞け」ということになる。過去のみずからの「栄光」しかすがるものがない、「オレが偉かった」ことを知っているのは妻だけだ、妻に対して強情をはることによって自己確認をするのである。▲退職したら、タダの人なのである。一定の高い地位に就いていた人は、それに耐えられない。だから新しく知り合った人に、「私は・・・・だったんです」などと過去の「栄光」を語る。しかしそれはもはや実体がないから、それだけで終わってしまう。▲男性は、会社人間以外の人間像をつくりだすことが下手である。もちろん退職と同時に新たな生き方をして、それとともに新たなつながりを持つ人々もいる。そうでない男性は、過去の「栄光」に縛られ、昔のままの自尊心を維持し続ける。それが干からびたものであることを認めたくないから、よけいにすがりつくのだ。悲しい人生ではある。そういう人々が、私の近所にいる。
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