浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「蜜柑」

2020-07-10 16:43:05 | 芥川
 短編を書きつづった芥川龍之介。たくさんの短編小説のなかで印象に残るものとそうでないものがある。
 「蜜柑」は、とても印象深い内容である。

 冬の夕暮れ、主人公は横須賀線上りの二等客車に乗っていた。そこへ13,4歳の娘が乗ってきた。

 油気のない髪をひっつめの銀杏返しに結って、横なでの痕のある皹(ひび)だらけの両頬を気持の悪い程赤く火照らせた、如何にも田舎者らしい娘だった。しかも垢じみた萌黄色の毛糸の襟巻がだらりと垂れ下がった膝の上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。私はこの小娘の下品な顔立ちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。最後にその二等と三等との区別さえも弁えない愚鈍な心が腹立たしかった。

 この描写から、この娘が貧しい家庭の子どもであることがよくわかる。

 その娘が発車してしばらくたつと、娘は窓を開けようとしている。もちろん蒸気機関車であるから、開ければ煤を含んだ煙が入ってくる、トンネルがあればなおさらだ。トンネルに入ったそのときに窓は開き、煙が入ってくる、しかしすぐにトンネルは抜け、町外れの踏切にさしかかった。そのあたりには、「見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで」いた。踏切の柵の向こうに背の低い三人の男の子が立っていた。三人が「喊声」を挙げると同時に、娘は蜜柑を「五つ六つ」投げたのだ。

 小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。

 この小説は、1919年に書かれた。だがこの姿は、1950年代まで、日本のふつうの光景であったのだ。このような日本の姿を、私たちは忘れてはならないと思った。貧しさ、だけではない。家族、子どもたちの温かい結びつき、もである。
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