私の差別論は、ずっと変わっていない。差別的な意識は日々生まれては消え、消えては生まれる。しかしそうした差別意識は、社会的な差別と直接つながっているわけではない。個々の差別的な意識が固定化し、また社会の中に蔓延するという事態は、公的機関(公的権力)の動向にかかっている。公的機関が公然と差別すると、無自覚な人々は、「ああこういう差別はしていいんだな」と思い始めるのだ。つまり、差別は、公的機関がお墨付きを与えることによって社会的差別となる。もちろん、公的機関が差別政策をやめても、そう簡単に差別意識はなくならない。公的機関は、差別をなくすために、差別がなくなるような施策を、展開しなければならない。
さて、現在、日本の公的機関が公然と差別しているのは、在日コリアンに対してである。なぜ日本に多くのコリアンが住んでいるのかといえば、簡単なことだ、日本が朝鮮を植民地として支配したからである。植民地として支配する中で大日本帝国が展開した施策の結果なのである。
私には、在日コリアンの友人、知人がいる。彼らは差別されるべきではない、という強い意志を私は持っている。差別してはならない、それは大切な倫理である、正義である。
アマゾンプライムで、私は「アイたちの学校」をみた。そこには、朝鮮の人々や在日コリアンへの現在につながる差別が具体的に描かれていた。
私も、彼らも、日本に住む人間である。人間同士差別するべきではない、と強く思った。日本の公的機関は、差別政策をやめろ、と私も訴えたい。