今日『人間を信じる』(岩波現代文庫)が到着した。吉野源三郎の本である。今年の5月に出た。
私の考え方の基本は、この吉野源三郎を範としているといってもよいほど、傾倒している。私は高校時代から岩波書店の『世界』を購読していた。吉野はその頃『世界』の編集長であった。吉野は、編集後記を書く傍ら、自らも論文を書いていた。私は彼の文を読みながら、彼のことばと対話しながら自らの精神を形成してきた。
吉野が『世界』に書いた論文を集めた『同時代のこと』(岩波新書)という本がある。その本はいつも私の傍らにある。そのなかの「一粒の麦」こそ、私がもっとも影響を受けた論文である。今回出版された『人間を信じる』のなかにも収載されている。
まだ不定形だった私の精神は、アメリカの侵略によるベトナム戦争との関わりの中で育てられた。ボール爆弾、ダムダム弾、マグネシウム爆弾・・・枯葉剤など、次々と残虐な兵器を開発してベトナム民衆の頭上に投下していくアメリカという大国。
それに不屈に抵抗するベトナム民衆、そしてベトナム民衆と連帯した世界の良識ある人々。かれらの姿は、人間のあるべき姿を映し出していた。人間はいかに生くべきかを考えていたとき、その具体的な回答はベトナム民衆やベトナム戦争に反対する人々の中にあったのだ。
それを象徴する人物がホーチミンである。そのホーチミンとベトナムの民衆を、吉野が「一粒の麦」のなかで哲学的に意義づけた。それが私の原点となった。
吉野源三郎は、直接の面識はまったくないけれども、私の人生の師であると、今も思っている。そして吉野の精神は、今なお『世界』という雑誌に引き継がれている。その基本的な思考は、「人間を信じる」ということである。
私の考え方の基本は、この吉野源三郎を範としているといってもよいほど、傾倒している。私は高校時代から岩波書店の『世界』を購読していた。吉野はその頃『世界』の編集長であった。吉野は、編集後記を書く傍ら、自らも論文を書いていた。私は彼の文を読みながら、彼のことばと対話しながら自らの精神を形成してきた。
吉野が『世界』に書いた論文を集めた『同時代のこと』(岩波新書)という本がある。その本はいつも私の傍らにある。そのなかの「一粒の麦」こそ、私がもっとも影響を受けた論文である。今回出版された『人間を信じる』のなかにも収載されている。
まだ不定形だった私の精神は、アメリカの侵略によるベトナム戦争との関わりの中で育てられた。ボール爆弾、ダムダム弾、マグネシウム爆弾・・・枯葉剤など、次々と残虐な兵器を開発してベトナム民衆の頭上に投下していくアメリカという大国。
それに不屈に抵抗するベトナム民衆、そしてベトナム民衆と連帯した世界の良識ある人々。かれらの姿は、人間のあるべき姿を映し出していた。人間はいかに生くべきかを考えていたとき、その具体的な回答はベトナム民衆やベトナム戦争に反対する人々の中にあったのだ。
それを象徴する人物がホーチミンである。そのホーチミンとベトナムの民衆を、吉野が「一粒の麦」のなかで哲学的に意義づけた。それが私の原点となった。
吉野源三郎は、直接の面識はまったくないけれども、私の人生の師であると、今も思っている。そして吉野の精神は、今なお『世界』という雑誌に引き継がれている。その基本的な思考は、「人間を信じる」ということである。