特集は「「3・11」から10年」。副題は「問われるメディアの役割と責任」である。なかなかよい文が並んでいる。
最初は岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友の記者による座談会。大震災が起きたときの地元紙の役割は、「被災者の生活を支えること、生きるための情報を伝えること」であるという。実例を挙げてのこの指摘に、相づちを打つ。そして「大災害は全てそうですが、人と人とを分断する、地域のコミュニティーが断絶する、情報が断絶する。この断絶をいかにつなげるかは、やはりそこに根を張った、地べたを這う取材活動をやっている地元紙だろう」という指摘も、その通りだと思う。また「あなたを忘れない」という連載記事により、亡くなられた方々の生を紹介する。それも重要な役割だろう。
あのときに、日本中の人たちが津波や原発事故の記事とか映像とか見て、みんな涙流して、自分たちに何かできないか、雪の残る中で避難所でじっとしている人たちを見て、自分たちの暮らしってこれでいいのかって思ったはずなのに、この10年でガラッと変わったことが一番悔しい。復興五輪とかって言われると、何言ってんだって、思う。
末尾の方での発言が上記である。10年前を想起すること、その意味で、本誌がこうした特集をもつことは重要である。
桜井勝延もと南相馬市長へのインタビューで、櫻井氏が「(東京五輪は)復興という言葉を利用した東京での再開発そのもの」と指摘しているが、その通りだ。オリンピックにかこつければ多額の税金を使っての「再開発」に文句を言う者が少ないだろうということから、しゃにむに五輪開催へと進んできた。
その後にローカル紙の大船渡市にある東海新報の鈴木英里さん、震災後にローカル紙「大槌新聞」をたちあげた菊池由貴子さん、お二人の論考がある。地域に密着したローカル紙というものがいかに貴重な存在であるかを示している。
静岡県の西部では掛川市に郷土新聞があるだけだ。東部にたくさんあったローカル紙もなくなったものもある。ローカル紙を発行することの意味を考えなければならないと思う。
ほかにも貴重な論考がある。黒森神楽を映画化した遠藤協さん、原発作業員を追い続ける東京新聞の片山夏子さん、遠藤薫さんの社会調査による住民意識の分析。いずれも刺激的なものだ。
朝日新聞を購読するつもりは毛頭ないが、この『Journalism』誌は読む価値がある。