浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『週刊金曜日』11月15日号

2024-11-14 16:55:01 | 国際

 特集は、「米大統領選 トランプ復活」である。

 実を言うと、わたしはアメリカ大統領選にあまり関心を持たない。民主党であろうと、共和党であろうと、たいして変わりはないと思うからだ。大統領が変わっても、パレスチナの人々の置かれた状況がよくなることもない。

 日米関係を見れば、日本はアメリカの言うがままに行動するのは、今まで通りであるし、産軍複合体のアメリカは、時々戦争をやって、あるいは他国の戦争に武器を輸出して、とにかく軍需産業を太らせる。共和党が政権を握っても、おそらくアメリカの支配層がやることはあまり変わりはないだろう。いずれにしても、歴史的に見ても、アメリカは常にアメリカファーストであり、それも変わることがない。アメリカが人道主義に基づきよいことをするとか、戦争をしている国に「やめなさい」ということもありえない。トランプであろうとハリスであろうと、である。

 だから、新聞などが騒いでいても、わたしはほとんど読まなかった。

 次の記事は、「アベ政治の終わり・・・」で、山口二郎へのインタビュー、これは読まない。わたしは山口という人物を学者としても、人間としても、まったく信用していないからだ。

 読んだ中で、「長谷川綾の政治時評」が面白かった。わたしが支持するのは、れいわ、共産党、社民党である。いずれの政党にも、全幅の信頼をよせているわけではないが、その他の政党よりずっとマシだと思っている。

 れいわの票が伸びたのは、消費税を廃止するという公約が支持されたのだろう。今のように、五公五民という、江戸時代だったら百姓一揆や打ちこわしが起きるような重税のなか、政治家は裏金をつくったり、銀座や料亭で飲む食いしている、そのことに国民は異を唱えたのだろう。

 減税を訴えると、メディアは財源は・・・?と問うが、岸田政権が軍事費(わたしは防衛費とは言わない)を今後43兆円をつぎ込むといったとき、財源についてメディアはとりあげ批判したか。

 とにかく庶民の生活は、日々の買い物でできるだけ安い物を買い、経済生活に不安をもち(人々と会話すると、最近の食品などの物価上昇は困る、というようなものばかりだ)、将来はどうなるだろうかと心配している。そういう庶民の気持ちを代弁できたのがれいわであり、共産党、社民党はそこまで庶民生活の改善策を訴えてこなかった。国民民主党という政党も、「手取りをあげる」という空疎なキャッチで支持を集めていた。

 「戦争反対、平和は若者に響かない」と憲法学者の清水愛砂さんは言っているが、その通りだと思う。ウクライナへのロシアの侵攻、イスラエルのガザでのジェノサイド、いずれも若者たちの関心領域のはるか外部にしかないのだ。若者はテレビもみないし、新聞も読まない。それに、わたしが高校生の頃、新聞紙上でベトナム戦争の記事がたくさんあったが、今は報じられてはいるが、そんなに大きく取り上げられてはいない。若者の関心領域は、今、きわめて狭くなっている。

 今まで通りの政策宣伝では、若者のこころは掴めない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よき人が・・・

2024-11-14 07:33:50 | 日記

 静岡市で何らかの催しがあるとき、わたしは東海道本線で静岡に向かう。途中、藤枝駅からもと高校教員のTさんが乗ってくる。何度か一緒になった。Tさんは、それはそれは理不尽なことに素直に怒りをもち、平和を求める活動を積極的に行っていた。

 あるときTさんは、電車の中で、「60代は元気に活動できるけれども、70代になると身体にいろいろ故障がでてくるから、やれることは60代までにしっかりとやっておかないといけない」と語っていた。わたしより一回りも上のTさんのことばは記憶に残っている。

 そのTさんは、自転車に乗っていて顛倒し、自身は脇の用水に落ちた。ケガはほとんどなかったようだが、用水の水を飲んでしまったようで、肺に菌が入って、そのために亡くなった。

 ほんとうに、優しく、知的でよい人であった。わたしは、亡くなられたことをかなり経ってから聞き、なんてことだ、と思った。Tさんのような人間には、もっともっと長く生きてもらいたかった。

 昨日、ひとりのクリスチャンが亡くなられたというメールが届いていた。メールを読みながら、なんでまた、と思わざるを得なかった。北海道で牧場をやっていたNさん、出身は静岡であった。

 召集された父の上官であり、父の死後も、母を励まそうとずっとたよりを寄せていただいた無教会派のクリスチャンであるIさんも静岡にいた。Iさんからの年賀状は、聖書からの引用で、いつも平和に関するものであった。子どもの頃から、Iさんの年賀状を見ていたわたしは、Iさんにいつかお会いしたいと思っていた。溝口正先生のお計らいで一度お会いすることができたが、思っていた以上のよき人であった。Iさんはすでに亡くなられているが、Nさんは、Iさんらが集っていた聖書集会の関係者であった。

 キリスト教にもいろいろな集団がある。わたしも生きてくる中でいろいろなキリスト教のクリスチャンと接する機会があったが、そのなかでクリスチャンも信仰によるのではなく、人それぞれだということを学んだ(なかにはヒドイ人もいた)。しかし、無教会派のクリスチャンは、皆さん、とてもよき人であったし、今もそうであり続けている。

 わたしはNさんを直接知らないが、『みぎわ』に書かれていた文を読むと、溝口先生やIさんと同様に、尊敬すべき人格者であることがわかる。そういう方が亡くなられたということに、わたしのこころは大きな悲しみを感じる。

 よき人がこの世を去っていく報をきく度に、なんでまた・・・・と思う。よき人とは、この世でもっともっと活躍していただきたい方である。そういう方とわかれるということは、悲しいのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『みぎわ』64

2024-11-13 19:15:25 | 

 無教会派のクリスチャン、浜松聖書集会の方々が毎年刊行している『みぎわ』が届いた。仕事が立て込んでいたため、しばらく机の傍らに置いておいたのを、やっとざっと読みとおすことができた。

 巻頭は、故溝口正先生の文章が並べられていた。溝口先生が語っていたこと、書いていたこと、生前、何度か先生から同じ話を伺っている。溝口先生は、心から平和を望んでいた、そしてそのために全力を尽くされていた。

 一切の妥協をみずからに許さない、強固な意志を持っていきておられた。

 その、いわば同志の皆さんが、それぞれ文を書いている。わたしはクリスチャンではないので、聖書の解釈についてはよくわからない。しかし多くの方が、主体的に聖書に向かい熟考する姿が、行間から浮かび上がる。

 この世界に生きていると、さまざまな事件が起きる。それらをクリスチャンの立場から何とか解き明かそうと試みる論稿があった。「この世的精神に抗して」である。「こういう現実を前にして、キリストの福音は何を語りうるか」を考えるのだ。

 あのジェノサイドが繰り広げられているガザで、治療に当たる医療従事者、そしてガザで起きていることを報じるジャーナリストの姿に、筆者は「神の支配、神の国を見る」。そして「イエスの復活」に関する文献を紹介しながら、「イエスの復活」を証明する直接的なものはないこと、したがって、「イエスの復活は、それを信じるか信じないかは、単なる頭の中で納得できるか否かの問題ではなく、自分の実存を賭けての生き方の問題」であると論じる。これについては、クリスチャンではないわたしも同感である。イエスは十字架刑により亡くなった、しかしイエスは復活した、と言われる。しかしそれは、常識的にはあり得ない、あり得ないが故に、クリスチャンは、それをおのれの「実存を賭けて」信じるのである。そうでしかあり得ない。

 「プーチンと一体化したロシア正教」を、筆者は「この世的キリスト教」とする。また、「この世での武力や経済力や人々の人気や数の力を用いて、この世での栄光、覇権の追及こそが、人が求めるべきもっとも価値あるものだとの信仰のようなものです。それは裏返せば、真理の権威だとか真実の追求だとか道義の力だとかいったものの尊重は、この世で負け犬の遠吠え、理想主義者の幻想だとして捨てて省みない姿」を「この世的精神」とする。

 そして「イエスの復活」を信じるとは、「この世での敗北を恐れない」ことだとして、文を閉じている。忌むべき現実をどう理解し、その現実が大きな重しとしてのしかかってきても、「敗北を恐れない」という意志、それは溝口先生も持っていたものだ。

 敬虔なクリスチャンは、謙虚に、しかし強い意志をもって生きる。たとえば、山のハム工房ゴーバルとして、あるいはデンマーク牧場で福祉に従事しながら。

 『みぎわ』を通読して、共通する精神は、「~と共に」である。「~」には、神(イエス)、クリスチャン、そして「みんな」が入る。もちろんクリスチャンではない、「わたし」も入る。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い・・・・・

2024-11-13 10:48:59 | 

 「白い・・・」というとき、ぼくは何を思い起こすのだろうか。

 東京に出た最初の冬、浜松ではほとんどみたことのない雪が降り、そして積もった。夜のことだった。冬は、木々はみどりの葉を落とし、人びとは黒っぽい服を着て、寒さに耐えながら生きる。全体として、ダークなイメージである。しかし雪は、それを覆いつくしてしまう。白い世界が現れる。

 ぼくは、とっても美しいと思い、母に電話したことを覚えている。

 ハン・ガンも、「白い・・・」というとき、雪を思い起こすようだ。雪の記述が多い。また雪の記述が多いということは、冬の記述も多い、ということである。

 確かに、「白い・・・」は、冬に似つかわしい。夏は、カラフルだ。

 「白い・・・」というとき、ぼくが思い起こすのは、雲だ。幼い頃、ずっと雲を見続けたことがある。雲は形をいろいろにかえながら、西から東へと去っていく。

 ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んだ。ほとんど、詩だと思った。そしてその詩には、死がくっついている。生まれてまもなく亡くなった「姉」という存在。

 人間は生きていくなかで、まったく「白紙」である人生を、みずからの色や形で埋めていく、あるいは描いていく。だが、生まれて間もない「姉」のそれは「白い」ままだ。「白い」ままの「姉」の存在が、ハン・ガンにさまざまな想念を飛翔させる。「白い」ままの「姉」の生には、やはり「白い・・・」しかあり得ない。ひとりの生に、たとえ妹であろうとも、そこにほかの色や形を描くことはできないからだ。

 さらに、「姉」の死は、他者の死へと開いていく。死は、他者の死へと連なっていくのだ。

 確かに、「生は誰に対しても特段に好意的ではない」(P69)。でも、だからこそ、「しなないで、しなないでおねがい」(P169)とこころのなかで叫ぶのだ。

 この本の原題は、「白い・・・」という形容詞だとのこと。Koreaのことばの「白い」には、複数の語があるという。コリアンは、「白い」に大きな意味を持たせているのだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国文学

2024-11-11 19:23:40 | 歴史

 韓国をはじめ、わたしは朝鮮半島に関わることに関心を持っている。今、わたしがパソコンに向かっている机の右側には、朝鮮史関係の本が並んでいる。仕事の関係で集めた文献である。

 ところが、在日コリアンの文学は読んだことはあるが、コリアンの文学は読んだことがなかった。

 そんな状況の中、ハン・ガンがノーベル文学賞を得たというニュースが流れてきた。ハン・ガンという作家の名も知らなかった。彼女の著作を調べたら、光州事件を題材にした『少年が来る』という作品があるという。光州事件は、『世界』を購読し、T・K生の『韓国からの通信』を読んでいたわたしにとって、あまりにも大きな事件であった。読んではこころを痛めながら見つめていた。

 光州事件が舞台となった映画は必ず観た。韓国ドラマの「砂時計」は、ビデオを借りてすべてを観た。最後、灰となった遺骨を山の中でまくという場面は今も鮮明に覚えている。また「光州 5・18」も観たし、DVDでそれは所持している。

 しかし文学には目が届いていなかった。

 『少年が来る』を図書館から借りようと思っても、今日時点で57人が予約しているという状態である。いつか必ず読もうと決意している。

 今日届いた『世界』一二月号の「言葉と言葉とかくれんぼ」が、『少年が来る』に言及し、翻訳者の斎藤真理子も「光州という火種は未だに消えていない」のではないかと、チョン・スヨンは書いている。

 実は唯一手に入ったのが、『すべての、白いものたちの』(河出文庫)であった。いまそれを読みはじめている。それは、鋭く、深い感受性と詩的なことばで綴られている。その背後には、豊かな想像力が満ちあふれている。

 すごいな、と思う。

 ハン・ガンの文学は、世界中のひとびとのこころに何らかの影響を与えていくことだろう。わたしも、そのなかのひとりになりたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレ朝の終焉

2024-11-09 20:10:38 | メディア

 テレ朝の「政治部官邸キャップ 千々岩森生」という人物が、いかに統一教会党=自民党とベッタリかが、よくわかることを書いている。

 題が、「強行採決できず異例の国会へ」である。「強行採決」こそしてはならないのに、強行採決ができない国会が、「異例」だと、千々岩は言うのだ。

 こんな人が、テレ朝の政治報道を担っているのだから、報道機関としてのテレ朝は、もう終わっている。テレ朝の報道番組は、みない方がよい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの大屋根リングの背後にあるもの

2024-11-08 22:08:16 | 社会

 西谷文和の路上のラジオ、今日聴いたのは、建築家・山本理顕さんの話。とても意義深い話であった。とりわけあの気持の悪い、大阪万博のミャクミャクという代物、あれって内臓なんだって。驚き!

 そしてあの350億円の大屋根リング、裏に安藤忠雄がいるらしい。

 わたしは、このブログで安藤忠雄を批判してきたが、東京オリンピック・パラリンピックに続いて、ここにも安藤の名が出て来たことに驚いた。

西谷文和 路上のラジオ 第207回 山本理顕さん(建築家)「建築家が斬る大阪失敗万博」

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイナ保険証騒動

2024-11-08 21:35:46 | 政治

 ひたすら特定の者や企業に税金をばらまいてきた統一教会党=自民党と創価学会党=公明党による政権は、悪政の限りを行ってきた。

 その一つが、マイナ保険証である。わたしは、マイナ保険証が、あきらかに利権のための政策だと判断し、断固としてつくらないできた。多くの人にも、つくらないという判断をしてほしいと願ったが、何でも二万ポイントをもらえるということから、実に多くの人が役所などに殺到し、マイナ保険証をつくっていった。わたしは、日本人のあさましさに絶望を感じた、ということは、以前にも記した。

 マイナ保険証がなくても、保険証の代わりに発行されることになっている「資格確認書」(実質的には、今までの保険証とかわりがない)があれば十分だと、わたしは思ってきた。

 さて、いよいよ保険証が発行されなくなると言うことで、厚労省やデジタル庁などもマイナ保険証を必死に普及させようとしているが、しかし今、自治体は困惑しているという。皆保険制度を構築している日本では、すべての国民を、自治体は確認して分けていかなければならない。この人はマイナ保険証を持っている人、この人は持っていない人、この人はマイナ保険証の期限が切れている人、マイナ保険証を解除した人・・・・・

 この作業は、デジタルではできないから、役人等がひとりひとり確認作業を行って、それぞれに対応していかなければならない。とにかく膨大な事務作業が求められる。

 ほんとうにばからしい。こんなマイナ保険証を導入したことにより、厖大な税金が無駄遣いとなり、人びとを混乱させた。それを強行した河野太郎という輩、これも統一教会党=自民党の党員だが、大混乱を引き起こした張本人である。あの顔を見ると、わたしは怒りが湧いてくるほどになっている。

 さてその混乱について、きちんと説明している動画がある。ぜひご覧いただきたい。

仰天情報!資格確認書が「ウラ保険証」に?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戦争と画家」について

2024-11-06 19:08:10 | 画家と戦争

 戦争は、多くの画家の卵を殺した。画学生たちである。彼らの絵は、作品として、上田の無言館に展示されている。

 わたしは一度だけ、無言館を訪ねたことがある。「無言館」というだけあって、そこに入ると、人は無言になる。

 そこで抱いた感想は以下の通りである。

 無言館に入るやいなや、私たちはことばを失う。まさに「無言」である。一点一点の作品を、私たちは見つめる。その作品の中に、私たちはひたすら絵を描いていた青年たちの意気を感じる。絵を描くことが好きで、絵を描くことを一生の仕事として東京美術学校に入学した彼らは、しかしみずからの命が長くないことを知っていた。激しい戦争が彼らを吸い込もうとしていたからだ。そして戦地で、もっともっと生きつづけ、絵を描きたいという願望をもちながら、望まない死を迎えた。

 
 私たちは、彼らの作品のなかに「静寂」をみる。それらの作品を残して彼らが夭折したことを知っているからである。同時に私たちは、彼らの作品を、ふつうにみることができない。私たちの眼と作品との間に、戦争での〈死〉が介在している。〈死〉を介在させて作品を見ることは、ある意味で邪道ではある。だが介在させないでみることは不可能だ。
 

 これらの作品は、彼らの生きた証しである。私たちは生きた証しとしての作品を見るが、同時に、生きていればもっともっとよい絵が描けただろうにという、画学生への哀惜の念をもつ。彼らの未来は、戦争によって断ちきられた。戦争がなかったら・・・という気持ちもわいてくる。

 無言館館主も、こう書いている。

「かれらの「死」のあまりの不条理さが、かれらの絵をいまだに成仏させていないといってもいいだろう。絵というものがそれを描く者のもつ人生観や死生観のあらわれであり、その生存の証ともいえる自己表現の産物である以上、どうしても戦没画学生たちの絵は、かれらの生命を他動的に、「自死」させた戦争というものの存在をぬきにしてみることはできないのである。・・・・・・画学生たちのその死はあの戦争という暴力によってムリヤリ強いられた不本意な死、「強いられた死」だったということだ。」

 今、静岡県立美術館で、「無言館と、かつてありし信濃デッサン館ー窪島誠一郎の眼」という展覧会が開催されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとりの死と無数の死

2024-11-04 19:26:42 | 日記

 『ブラッドランド』上巻を読み終えたところで、訃報があった。中学時代の友人が今日未明に亡くなったという報せであった。

 今月、中学校のクラス同窓会をもつことになっている。亡くなった友人は、同窓会には毎回出席していた。ラインで、その友人から「今、入院中なので同窓会には出席できない」旨の連絡がきていた。その報せを受けたライン仲間は、じゃあ退院したら退院祝をしようと声をかけ合っていた。しかしそれはできなくなった。

 万年幹事を仰せつかっているわたしとしては、たいへんショックでことばもない。

 友人の死に、ものすごい喪失感を覚える。

 『ブラッドランド』を読んでいくと、スターリン体制下のソ連、ヒトラー政権下のドイツは、ばく大な数の人びとを死に追いやった。〇○で2万人、▲▲で5万人・・・・・・という虐殺された数が並ぶ。わたしはそれを、あまりに酷い、スターリン、ヒトラー、そしてその命令のもとに人びとを殺害した者たち、何ということだ、なぜそんなに残酷になれるのか・・・・いろいろな気持ちをいだきながら読み進んでいた。

 殺された人びとのばく大な数が、この本に記される。

 しかし、それを数にすることは、ほんとうはできないのだ。2万人であろうと、ひとりひとりの死がそこにあるのだ。

 ひとりの友人の死に、大きな喪失感をもち、友人がラインに書き込んでいた文を読んでいると、涙がでてくる。たしかに、『ブラッドランド』といわれる地域で、たくさんの血が流された。しかしその何倍もの涙が、そこでは流されたはずだ。

 人間の死を、数にしてはならない。ひとりひとりの死として、受けとめなければならない。

 Mさん、安らかに。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史は記憶され続ける

2024-11-03 21:37:31 | 近現代史

 第二次大戦前、スターリンのソビエト連邦とヒトラーのドイツは、ポーランドを分割してみずからの支配下に置いた。そして

 「1939年9月から41年6月にかけて、ドイツとソ連は合わせて推計20万人ものポーランド人を殺害し、およそ100万人を強制追放した。」(247頁)

 ソ連もドイツも、ポーランド人を殺したが、その殺人行為には正当性はまったくなかった。みずからの支配に都合がよくなるように、「意図的にポーランド社会の上層部を抹殺して従順な大衆だけを残そうとした」のである。

 『ブラッドランド』のブラッドとは、bloodである。血、である。無数の血が流された。その血を流させたのは、ソ連でありドイツであった。『ブラッドランド』を読み進めているのだが、ソ連のスターリンが極悪人であることは当然であるが、その命令を受けて積極的にポーランド人その他を殺しまくった輩がいる。

 官僚制は、今の役所でもそうだが、上からの命令を素直に実行することが役人の仕事となる。役人は、すべきではないことであっても、命令があれば実行する。そうした輩によって、官僚組織は運営されている。

 スターリンが処刑する計画数を呈示する、すると官僚はそれを上回る数の人間を処刑する。そうした事例がたくさん記されている。

 中東欧で起きていた事態の詳細を、わたしは知らなかった。中東欧の諸民族の動きは、虐殺の歴史を背負っていたことを知った。それはまた、今後も背負い続けるだろう。ドイツとソ連による虐殺は、20世紀の出来事だから、虐殺された人びととつながる人びとは、決して忘れていない。

 この本『ブラッドランド』上巻を、まもなく読み終える。

 次々に登場する悲惨な現場に読者は立ち会うことになる。悲惨な現場をへて今がある。中東欧の動きは、過去の悲惨な現場抜きには、理解し得ないことがよくわかった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベ政権が壊したこと

2024-11-03 08:46:15 | メディア

 アベ政権が壊したことはあまりに多い。それに抵抗してこなかったメディア。だからテレビ離れがとまらない。TBSも同罪。

「メディアが選挙期間中にもっと報道すれば、投票率も違う」放送時間は20年で半減…選挙報道とテレビの役割を検証【報道特集】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ブラッドランド』を読む

2024-11-02 19:57:16 | 

 今日は雨。畑にも行けず、本を読んだり昼寝などをして過ごした。

 本は、図書館から借りてきた『ブラッドランド』上である。その第1章は、スターリン体制下のウクライナ農民の餓死事件である。スターリンの政治により、約330万人が亡くなった。

 1930年代前半の時期、ウクライナから種蒔き用のものまで、ほとんどの食糧を挑発して、その結果、330万人のウクライナ農民が餓死した。

 この事件について知ってはいたが、その詳細は知らなかった。スターリンとその取り巻き、そしてソ連共産党の組織がそれを行った。読んでいて、あまりのことにただ驚くばかりであった。

 ウクライナは、ソ連邦の傘下にあったが、のち、ソ連の崩壊後に独立した。こんなひどいことをされたウクライナの人びとが、ロシアの影響から離脱したいと考えるのは当然だと思った。現在のロシアのトップは、ソ連共産党のメンバーであったプーチンである。

 過ぎ去った歴史は、時に呼び戻される。ウクライナとロシアとの戦争は、ロシア帝国時代からの歴史を引きずっている。とりわけ、スターリン体制下に起きたこの事件は、ウクライナの人びとの心にかならずしまわれているはずである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨーロッパの暴力性

2024-11-01 21:56:49 | 国際

『中学生から知りたいパレスチナのこと』(ミシマ社)を図書館に返した。同時に、『ブラッドランド』上(筑摩書房)と『暗黒の大陸』(未来社)を借りてきた。いずれも『中学生から知りたいパレスチナのこと』のなかで言及されていた本である。

 今、『ブラッドランド』の「まえがき」を読み、バルト三国、ポーランド、ウクライナ、ポーランドの、黒海からバルト海にかけての地域では、スターリンとヒトラーによって、政治的な殺人が行われ、1400万人が殺されたと書かれている。

 『中学生から知りたいパレスチナのこと』のなかで、なぜ『ブラッドランド』に言及されていたのかというと、その地域からイスラエルに移住してきたユダヤ人が最も多いということで、イスラエルのパレスチナ人に対するジェノサイドの背景にその地域に起きた諸々のことが影響しているのではないかということであった。

 わたしは先に、『ナチズム前夜』(集英社新書)を読みはじめているが、ドイツの帝政が崩壊しワイマール共和国が誕生するそのなかで、ドイツ国内で政治的暴力が頻繁に振るわれていた、ことを知った。

 現在のヨーロッパをみると想像できないが、実はヨーロッパは、暴力が吹き荒れる地帯でもあったのではないかと思う。

 昔図書館で西欧の拷問具の図解本を見たことがあるが、その残酷さは、日本のそれをはるかに凌駕すると思ったことがある。こうまでして人間が他の人間を肉体的に苦しめるということが、なぜできるのか。振り返って見れば、十字軍やヨーロッパでの「魔女狩り」、さらに非ヨーロッパ地域への侵入に際して行われた非白人に対して行われた無数の虐殺。

 ヨーロッパの歴史は、常に、暴力性を帯同しているのではないか。そのヨーロッパ人が移住してつくったアメリカ合州国も、それは同様だろう。

 わたしたちの社会的・歴史的認識には、西欧中心主義的なものが入り込んでいるが、サイードが『オリエンタリズム』で指摘したことを、もう一度考えてみる必要があるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郵便事業のサービス低下

2024-11-01 19:23:04 | 社会

 あの小泉純一郎は、まったく日本の社会を悪化させた張本人である。

 郵便事業のサービス悪化は進むばかりである。今週月曜日に郵便局に投函した郵便物が、今日届いた。浜松から所沢までこんなに時間がかかるようになった。また郵送料が大幅に値上げされ、郵便事業の使い勝手は悪化するばかりである。

 派遣労働を自由化し、働く人の正社員を減らし、働く人の賃金低下を決定的にしたのが、小泉純一郎内閣であった。

 小泉純一郎がやった「郵政選挙」にメディアが協力し、その結果選挙民ものせられて、統一教会党=自民党をたくさん当選させた。

 最近、ネット上で郵便事業のサービス劣化を指摘する声が多いが、あの「郵政選挙」で自由民主党に投票した人は、猛省すべきだ。投票活動が、自分たちの生活環境に多大な影響を及ぼすことを知るべきである。

 しかし、郵政事業をもとに戻すことはできないのだろうか。またJRも国有鉄道に戻すことはできないのだろうか。

 新自由主義政策により、あきらかにわたしたちの生活は悪化している。消費税も新自由主義政策の一環である。

 いずれにしても、このように国民生活を悪化させた自民党・公明党政権は許せない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする