窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

FMラジオでYMS/OMSのお話をさせていただきました

2024年02月28日 | YMS情報


 2月27日、かわさきFM加治工敦さん、金城色さんの生放送「琉球リミテッド〜かりゆし超特急〜」にて、YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)と先週発足したOMS(オキナワ・マネージャーズ・セミナー)のお話を渡邉理事と共にさせていただきました。

 何とある方を介してお話をいただいたのが前日の23時頃、詳細不明のまま当日の朝9時頃にようやくこの番組に出ることが分かったという次第です。実に目まぐるしい展開でしたが、逆に楽しかったです。

 ラジオはこれまで電話収録を2回ほど経験しましたが、スタジオでの生は初めてです。加治工さん、金城さんのおかげで非常にリラックスしたムードで話は進み、YMS発足の経緯と過去161回どんなことをしてきたか、また今回のOMS発足の切っ掛け、横浜と沖縄に対する思いなどをお話しさせていただきました。本業に関することも少しだけ...。詳しくは、スタジオの様子も見られる下の動画をご覧ください(7:40頃から話が始まります)。



 川崎市中原区に密着したFM局と伺っていたのですが、結構すぐに反響があり驚きました。ご縁をいただき、本当にありがとうございます。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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オキナワ・マネージャーズ・セミナー(OMS)、キックオフ-第161回YMS

2024年02月21日 | YMS情報


 2月20日、沖縄県中頭郡北谷町にて、第161回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

【過去2回の沖縄開催】
2016年2月8日:第67回YMS
2019年5月17日:第108回YMS

 YMSの沖縄開催はこれで3回目になりますが、今回は公益財団法人沖縄県産業振興公社様の知的財産包括支援事業の一つであり、また、YMSの沖縄版とも言うべき、オキナワ・マネージャーズ・セミナー(OMS)の第1回開催でもあります。



 さらには、北谷町商工会様のご協力を得て、同会のホールを会場として使わせていただくことができました。この度の開催にあたり、さまざまなご支援を頂いた関係各位の皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。



 ということで、横浜からの参加者は宿泊地那覇よりバスで北谷町へ移動。



 僕はOMSの発起人たちと共に設営のため一足先に会場入りしました。



 中に入ると、地元の甲冑工房さんが制作された琉球の甲冑が展示されていました。本土と違い、沖縄の甲冑を目にすることはほとんどないので、興味深いですね。基本的に琉球の甲冑は本土の室町時代のものと同じだと聞いていますが、これは少し中国風のテイストが入っているようにも見えます。



 準備にあたりひとつ興味深かったのは、寒冷地でもないのに会場の窓が二重になっていたことです。聞いたところによると、沖縄は寒いからではなく、台風があるためこのようになっているのだそうです。



 さて、13時30分、4ヶ月の準備期間を経た第161回YMS(第1回OMS)が定刻通りに始まりました。



 テーマは『自社の知財を見つけるセミナー』、講師はYMSの発足母体となった2009年の「第4期みなとみらい次世代経営者スクール」および2011年1月12日開催の第4回YMSで講師をしていただいた、山本伸之先生です。



 さて、知的財産というと、特許権や商標権などいわゆる「産業財産権」が思い浮かびますが、知財の概念はそれよりはるかに広く、営業秘密やノウハウなども知財に含まれます。さらにそれを超えたところに人的資源や社外のネットワーク、経営理念などといた知的資産が存在ます。知的資産は企業が持つ「強み」と言い換えてもいいかもしれません。

 我々中小企業で特に特許や商標といった法的に保護してもらうような知的財産とは一見無縁と思われる企業でも上記の知的資産(強み)を掘り下げることにより、やがては知財に結び付くものが生まれるかもしれません。また中小企業の経営は経営者の属性と強く結びついていますから、組織だけでなく経営者個人の知的資産を掘り下げることが会社の知的資産、そして知的財産へと発展する可能性があります。



 そこで今回のセミナーでは、インタビューとディスカッションで参加者個人と会社が持つ価値観や強みなどを明らかにしていくワークを行いました。実感として得られたのは、質問されることによって自分の中で漠然としていた価値観や強みなどがより鮮明になったり、自分を他者の言葉で紹介してもらうことにより、自分の認識とは違った角度で価値観や強みを捉え直すことができるということでした。また、参加者の皆さんからは、「そもそもこういう思いや価値観、日ごろ抱いている課題などを誰かと共有できる場がなかった」、「自分で思っていたより深い認識を得ることができた」といった声が聞かれました。

 横浜、沖縄そして大阪から人が集まり、少なくともお互い半数は初対面から始まったセミナーでしたが、4時間という時間をかけて自己開示を行ったことにより、終盤には既に前から親密な間柄であったかのような雰囲気が生まれました。あっという間に時間が過ぎていった気がします。



 最後は、僕と先生との対談形式で、13年、160回続けてきたYMSの紹介をしました。発足したOMS、今後生まれるかもしれないその他の会のヒントになれば嬉しいです。



 そうした雰囲気の中で懇親会に移行。言うまでもなく大いに盛り上がり、その勢いは一部那覇に戻ってからも夜遅くまで続いたのでした。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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ひと口ごとに 大切なひととき-第160回YMS

2024年02月16日 | YMS情報


 2月14日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第160回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

 今回の講師は、石川町で人気のかき氷店「小桃」を営んでいらっしゃる、川井まさ美様。3年前までパート主婦だったという川井さん。「進化し続ける『かき氷』について」と題し、わずか3年の間に人気店を育て、本も出版されるまでに至った経緯、現代のかき氷事情、そしてかき氷に対する思いなどをお話しいただきました。



1.かき氷店を開くまで

 まず意外なことに、川井さんがかき氷店を開いたのは、「かき氷を食べたことがなかったから」なのだそうです。かき氷の好きな友人がおり、彼女がインスタグラムに投稿するかき氷に惹かれて、食べてみたいと思うようになったとのこと。ところが当時は横浜にかき氷店がなく、「横浜にもかき氷店があればいいのに…」から、「だったら作っちゃえ!」へと夢が膨らみました。この話、社労士で5児の母、「保育所がなくて困るから、作ってしまった」第13回YMS講師、菊地加奈子さんと重なるものを感じます。

 そんな時、川井さんは友人が手伝っていた飲食店が昼間は営業しておらず、空いていることを知ります。そこでそのお店にパートとして入り、仕事をしながら信頼関係を築き、半年後オーナーにかき氷店の提案書、企画書を提出。その間、かき氷店開業講座を受講し、ビジネスとの向き合い方、考え方を学びました。その時、川井さんは晴れて初めてかき氷を食べることができました。インスタグラムによる完全予約制の集客でまずプレプレオープン。そして3日間のプレオープンを経てグランドオープン。たちまち人気店となりましたが、諸般の事情がありお店は2ヶ月で閉店することとなりました。

 失意の川井さんでしたが、この2ヶ月の間に来てくれたお客さんからの感謝や励ましのDMに力を得て、自前のお店を開くことを決心します。しかし、物件探しは難航。一方で2ヶ月とはいえ人気店を作り上げた経験と実績から、全くの個人にも拘らず日本政策金融公庫から融資を受けることができ、「かき氷店 小桃」をオープン。とはいえ、記憶に新しいところですが、折からの半導体不足で満足な冷蔵庫もガスコンロも揃わず。家庭用冷蔵庫でその日必要な分だけを用意して回すという苦難の船出でした。しかし、「その時のつらい経験が今の力になっている」と川井さんは言います。

2.現代のかき氷

 かき氷の歴史は、平安時代中期、『枕草子』に「けずりひ(削った氷)」の記述が見られるのが初出と言われています。当然のことながら、当時夏でも氷を保存しておくのは至難の業であり、かき氷は貴族だけが食べられる貴重品だったはずです。以前、韓国で「清道石氷庫」という17世紀末に造られた氷室を見物したことがありますが、氷室を持っているということ自体が権力の象徴であったことでしょう。

 その後時代は下り、明治2年(1869年)、横浜馬車道で町田房造が「氷水店」を開き、「氷水」と「あいすくりん」を発売しました。この「氷水」がかき氷にあたります。明治20年頃になると人工的に製氷できるようになり、かき氷が普及し始めました。一方で、下手をすると健康を害しかねないような粗悪な氷も出回るようになりました。これと似たような話として、日本が開国し、緑茶が主要な輸出品となる中、到底お茶とは呼べないような葉っぱに緑青で色をつけた、聞くだに恐ろしい粗悪品まで登場したという話を以前読んだことがあります。閑話休題、こうした動きに国も取り締まりに乗り出しました。「氷製造人並販売人取締規則」を発令し、国の衛生検査に合格した業者だけに氷の産地などを記した「氷旗」を掲げることを義務付けたのです。この名残が、今でもかき氷屋の軒先にぶら下がっている「氷」と書かれた旗です。さらに昭和に入ると削氷機が全国に普及するようになり、かき氷は日本の夏の風物詩となりました。



 ところで、70年代生まれの僕に限らず、今でもこれがかき氷の一般的なイメージだと思うのですが、上の写真のような粗削りの氷にシロップをかけた、美味しいけれども食べると頭が痛くなる、お祭りの屋台などでみかけるアレです。しかし、1990年以降、雪のようにふわっとした、頭の痛くならないかき氷が登場します。そういえば、先日フィリピンに出張した際、フィリピンのかき氷「ハロハロ」もふわっとしたのが人気なのだと言っていました。今度行ったら食べてみます。

 食べても頭が痛くならないのには秘密があります。かき氷に使う氷は「天然氷」と人工的な「純氷」とに大別されますが、純氷は純度の高い水を天然氷と同じように時間をかけ、ゆっくりと凍らせます。不純物が少なく結晶が整っているため、溶けにくいという特徴があります。この性質により、通常-20℃ある冷凍庫から-5℃程度にしても氷の状態を保つことができます。この温度差により、頭が痛くなりにくいという訳です。ちなみに「小桃」では、この温度を保つため、冷凍庫を二種類使用し、-20℃ある冷凍庫から使用前日に‐5℃の冷凍庫に移しています。この移すタイミングは、お店によってまちまちなのだそうです。

 次に、氷を削る削氷機について。業務用の削氷機は大きく、20kgs~30kgsぐらいあるのだそうです。削る際は刃ではなく氷の方を回転させます。刃はステンレスか鋼が主流。ステンレスは錆びにくく、刃の持ちが良いという特徴があります(交換までに100回くらい使える)。鋼は切れ味が良いものの錆びやすく刃の持ちが悪くなります(交換まで30回ほど)。ただし鋼の刃は研いで使うことができます。それでもステンレスに比べると安定して使用するには扱いが難しいのだそうです。氷の質を保つのは結構デリケートな作業なのだと想像はできます。氷は薄く削るほどふわふわになりますが、その分氷の状態を保つのが難しくなります。

 最後に仕上げ。小桃では、削った後、氷の流れに沿って表面を軽く抑えるようにしています。そうすることで形が整い、溶けにくくなるそうです。そしてシロップをかけますが、シロップの浸透具合によってフワフワ感が異なってくるので、全体に染み渡らせることが大事になります。しかし、シロップの種類によって新党の仕方が異なるので量の調整などを行います。川合さんの経験では、浸透しにくいシロップの場合には間に練乳を挟むと効果的と感じる時があるそうです。

3.進化し続けるかき氷

 小桃のかき氷は、「発掘系」と呼ぶ、氷を掘り進んだら中から何が出てくるか楽しみなかき氷。このように、屋台のかき氷しか知らない僕から見たら、驚くような進化をかき氷は遂げています。前回(第159回)YMS講師の寺澤さんが「かき氷2杯でお腹いっぱいになる」とおっしゃっていたのが最初分かりませんでしたが(何しろ溶けてしまえば水ですから)、その意味が分かりました。

 エスプーマ:「エスプーマ」とはスペイン語で泡のこと。その名の通り、泡立てたムース状のソースをかけたかき氷で、見た目が華やかで、ふわっとした氷が溶けにくいのも特徴です。

 お食事系:いわゆる甘味ではなく、食事として食べられるかき氷。オマール海老がのっているかき氷、ともろこしとウニのかき氷、お茶漬けかき氷、天丼かき氷、お好み焼きかき氷、グリーンカレーかき氷など、無数の種類があるようです。かき氷から入って、その元の料理の方に関心を持つようになる人もいるそうです。

 ケーキ型:文字通り、まるでホールケーキのような見た目のかき氷です。バリエーションとしてリング型などがあります。

 疑似型:他の食べ物をかき氷で再現したもの。

 演出系:メレンゲで固めた氷にアルコールをかけ、火をつける。バーナーであぶる。チーズやトリュフを目の前でかけるなど、演出を凝らしたかき氷です。

 コラボ:人気かき氷店同士、あるいは寿司屋など異業種とコラボレーションするパターン。

 催事・イベント系:かき氷店は集客力があるので、催事での出店が増えているそうです。かき氷のみの催事もあります。奈良県の氷室神社では2014年から毎年「ひむろしらゆき祭」というかき氷の祭典を催しており、奈良はかき氷の聖地と呼ばれているそうです。

 このような進化の背景には、インスタグラムのようなSNSの普及とも無縁ではない気がしますが、いずれにせよ、その多様化によってかき氷は今や夏だけに楽しむものではなくなっているのです。

4.かき氷への想い

 川井さんは48種類ものかき氷のメニューのイラストをご自身で描き続けているそうです。「発掘系」は食べ進めていくにつれて発見があり、変化が楽しめるのが特徴なので、その分イラストは複雑で簡単ではありません。それでも、お客様の反応を見ながら、ご自分の想像も膨らんでいくとおっしゃっていました。

 前述の「かき氷店開業講座」で、「かき氷を売りたいなら、かき氷を売るな」という教えがあったそうです。その心は、お客さんはどうしてかき氷を食べに来るのか、さらにはどうして「小桃」のかき氷を食べに来るのか?ということです。それを川井さんは「幸せな気持ちになりたいから」と考えました。さらに「どんな時に幸せになれるか?」と考えた時、「誰かに大切にしてもらえた時、大切にしたい何かがある時」だというのが川井さんの結論です。

 今日の進化したかき氷は決して安いものではありません。ちょっとした非日常の贅沢です。それでも敢えて幸せを感じるためにかき氷を選ぶのはなぜなのか?お客様が大切にしていることを、川井さんは最初の店舗の時に学んだと言います。それは、氷が持つ儚さ、1秒ごとに形を変えていく瞬間の貴重さ。二度と戻らぬ、その瞬間だけに感じられる喜び。それをお客様とともに大切にしたい…。こうして生まれたお店のコンセプトが「ひと口ごとに 大切なひとときを」です。

 かき氷にはまっているコアなファンはもちろんですが、3年前の自分と同じように、かき氷を食べたことがなく、食べてみたいけれどもどうしたら良いか分からないという方たちのため、小桃は完全予約制をとっていません。また、たくさんの人にお家で気軽に「発掘系かき氷」を楽しんでもらいたいが、小さな店舗と身一つでは限りがあるということで、本も執筆しました。これがわずか3年、しかもコロナ禍の3年の間に起こったことです。



 最後に。奈良の「ひむろしらゆき祭」は、和銅3年(710年)に春日野の氷を氷室に蓄え、平城京に献上するようになった歴史から、今日に至るまで氷室神社で毎年夏に純氷のかき氷の奉納を行っていることを活かした「かき氷の祭典」として、地域活性化に一役買っています。翻って、横浜はというと前述の通り、人口380万人を擁し、現在に連なるかき氷は横浜発祥であるにもかかわらず、3年前までかき氷店が1軒もありませんでした。市民の多くも馬車道がアイスクリーム発祥の地であることは知っていると思いますし、5月9日を「アイスクリームの日」としてアイスクリームを配ったり、イベントを開催したりしていますが。同時にかき氷も発祥であったことはほとんど知られていないと思います。今や季節を問わず親しまれるようになったかき氷は、もっと横浜のためにできることがあるのではないか?そんな小さな想いを大きな力に変えていきたいと川井さんはおっしゃっていました。

かき氷店 小桃

神奈川県横浜市中区石川町2-78-10 ビーカーサ石川町102



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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多彩な中国茶の世界を垣間見るー第159回YMS

2024年01月13日 | YMS情報


 1月10日、新たに貸会議室NATULUCK関内セルテ 801をお借りして、2024年最初の第159回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 今回の講師は、寺澤孝史さん。実は今回講師をしていただくのは2回目で、前回は第106回YMS(2019年4月10日開催)「コーヒーは楽しい!〜まだまだ広がるコーヒーの楽しみ方〜」にて、コーヒーのお話をしていただきました。

 その時もご紹介しましたが、驚いたことに寺澤さんは元歯科医。学生中にコーヒーに目覚め、2003年に本物のエスプレッソを日本に広める会社に入社。10年間、スペシャリティ・コーヒーの普及に努められました。その後、銀座で台中(台湾)のコーヒーショップが期間限定で開いたお店で、コーヒーと中国茶を同時にドリップする手法に出会い、そこから中国茶の道へ。現在は横浜中華街で40年の歴史を持つ「悟空茶荘」にてお仕事をされながら中国茶の勉強に専念されています。

 ということで、今回は「中国茶を楽しむ」、お茶のお話しです。



 さて、後半の試飲に時間を割くため、講義の方は比較的簡単に(その代わり詳しい資料を頂きました)。日本ではお茶と言えば緑茶ですが、中国茶は発酵の度合いに応じて6種類(6大茶)に分類されるそうです。発酵の度合いが低い順に

 ①緑茶:まず発酵させていないのが緑茶です。日本茶は蒸しますが、中国の緑茶は釜炒り茶で炒ることによって発酵を止めます。お茶と言えば長江より南のイメージがありますが、中国全域で広く生産され、日本茶と比べ繊細な香りと甘さが特徴です。僕も先日中国のお客さんから「日照緑茶」というお茶を頂きましたが、それは北方の山東省のお茶でした。中国でも圧倒的に生産量の多いのは緑茶です。代表的なものとして、杭州の龍井茶があります。

 ②白茶:少しだけ発酵させた(微発酵茶)を白茶といいます。昔、缶紅茶で「ピコー」というのが売っていました。これは茶葉の芽の部分を意味する「白亳」に由来する「ペコ―」のことですが、僕は学生の頃、これが白茶なのだと誤解していました。白茶はビタミンが豊富で、現在化粧品に使われるなど美容業界で注目されています。種類として3種類ほどしかなく、非常に高級だそうです。白茶を寝かせて熟成させた「老茶」も人気があるようです。

 ③黄茶:もう少し発酵が進むと黄茶(弱発酵茶)となります。日本ではほとんど知られていませんが、元は皇帝への献上品(黄色は皇帝を表す色でもあります)で、製造が難しく貴重なお茶です。高値がついていますが、美味しいのかというと疑問符がつくとか。

 ④青茶:さらに進んで半発酵茶を青茶と言います。半発酵茶と言えば烏龍茶ですが、烏龍茶はこの青茶に分類されます。しかしながら、現在は青茶自体を指して烏龍茶と呼ばれているようです。烏龍茶は非常に幅が広く、台湾を代表する「凍頂烏龍茶」も色は緑茶に近いですが、青茶です。

 因みに、凍頂烏龍茶の産地である台湾の凍頂山はいかにも寒そうな高山を連想しますが、標高800mほどです。他の有名な産地である阿里山は2,663m、梨山は2,000mあります。これらのお茶は高山茶と呼ばれ、そんな高地でお茶が育つのかと感心してしまいますが、一般に高地ほど香りが良くなるのだそうです。ただし、高山茶を称した偽物も多いので、お土産を買う時にはご注意とのこと。

 烏龍茶の産地として最も有名なのは、何といってもサントリーが広めた「鉄観音」の福建省ではないでしょうか?鉄観音茶は岩場で栽培した「岩茶」の一つです。非常に力強いのが特徴で、栽培した木ごとに名乗れる名前が決まっているのだそうです。

 台湾、福建と並ぶ三大産地の残りの一つは広東省です。有名なのは鳳凰単叢「蜜蘭香」。鳳凰山で栽培され、単叢(たんそう)というのは、一つの木から栽培されたという意味です(ウィスキーでいう、「シングルカスク」のようなものかもしれませんね)。その名の通り、南国果実を思わせるフルーティーな香りと蜜のような甘い香りが特徴だそうです。

 ⑤紅茶:完全な発酵茶が紅茶です。よく紅茶は「ヨーロッパ人が緑茶を運んでいる間に発酵してできた」なんて通説がありますが、18世紀に福建省で青茶の発酵をさらに進めて誕生したものです。お茶を最初にヨーロッパに紹介したのは17世紀のオランダ人ですが、それは紅茶ではなく緑茶でした。因みに、学生の頃講演を聞いた、角山栄先生の『茶の世界史』によれば、当時のオランダ人は肝心のお茶の方を捨て、茶葉をバターで炒めて食べていたなんで書いてあった記憶があります。30年も前の話なので定かではありませんが。



 ⑥黒茶:紅茶までは茶葉に含まれる酸化酵素による発酵ですが、黒茶は麹菌を添加して発酵させます。なので「後発酵茶」と呼ばれます。よく知られているところでは、プアール茶が黒茶に分類されます。意外にも生産量が多く、2021年の中国茶統計によれば、緑茶、紅茶に次いで3位となっています。

 6大茶以外に、ジャスミン茶、菊花茶、薔薇茶、金木犀(佳花茶)のような花の香りを足したり、造形茶として花を足した「花茶」があります。北京ではジャスミン茶がポピュラーだそうですが、水質の良くない土地で匂い消しのためにジャスミンの香りをつけたというようなことがあるようです。また、造形茶の歴史は意外と浅く、1980年代ごろからだそうです。

 また、一般に発酵の度合いが低いものほど身体を冷ます作用があり、発酵が進むほど身体を温める作用があるそうです。寒冷のヨーロッパで紅茶が普及したのは、理に適っていたのかもしれません。



 さて、後半は試飲に移りました。中国茶の多彩さの一端に触れるため、先ほどの烏龍茶三大産地から3種類のお茶を味わってみました。



①四季春(台湾)
②白芽奇蘭(福建省)
③蜜蘭香(広東省)



 四季春。左は比較のための、サントリー烏龍茶(ペットボトル)です。台湾南投県で栽培されており、一年中茶葉が採れることから四季春と名付けられたのだそう。やさしくほのかな甘み。わずかにコーンのような香ばしい香りがします。



 続いて福建省の白芽奇蘭。四季春と色が全然違うのが分かりますね。その名の通り、花のような香りがするそうですが、僕は鼻がおかしいのか、海苔のような香りがしました。軽いタンニンを感じます。茶杯の残り香は、やはりコーン菓子のような香ばしさを感じます。



 そして先ほどお話しした広東省の蜜蘭香。まさに蜜のような甘い香り、色から連想されるイメージとは裏腹に渋みもなく、乾いた喉にすっと入ってくる優しさがありました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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2023年もありがとうございましたー第158回YMS

2023年12月14日 | YMS情報


 12月13日、横浜中華街「菜香新館」にて、第158回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)忘年会を開催しました。菜香新館は過去14回の忘年会で昨年に続き通算5回目となり、定番でお世話になっています。

第41回YMS
第65回YMS
第115回YMS
第145回YMS



 初めに、会長の茂野光将よりご挨拶(何だか嬉しそうですね…)。



 乾杯のご発声は、今回初参加、テレビ神奈川の佐藤浩二様よりいただきました。突然のお願い、ありがとうございました。

 158回の延べ参加者総数は2,850名。今年も以下のようなバラエティに富むセミナーを開催することができました。2年連続の大阪開催、来年は3回目となる沖縄も予定されています。

第146回:コロナ禍で失ったもの、或いは得たもの
第147回:あきらめなければ道は拓ける。朝の来ない夜はない。~負債40億円からの挑戦~
第148回:発達障害と運動発達の関係〜運動発達をさかのぼることで身心を整える〜
第149回:世界中の女性から愛されるベリーダンスとその魅力
第150回:産業スパイと戦う
第151回:『魚ビジネス』魚の教養を身につけて世界でも一目置かれる経営者になろう
第152回:地域の自立・自走を目指す伴走型支援
第153回:酷暑にこそ合わせたい!ワインと料理のマリアージュ
第154回:7つの習慣ⓇBusiness Ownership研修体験会~当事者意識を向上させる3つの要素とは?~
第155回:税務調査セミナー
第156回:不登校生・発達障害・起立性調節障害のための自分の居場所~留学という選択肢~
第157回:武道精神、空手の心構えを通して人を育てること

 現在2025年6月までのセミナーが既に決まっており、たくさんの興味深いテーマをご用意しておりますが、引き続き興味深い方々のご紹介をお待ちしております。来年もどうぞお気軽にご参加ください。今後ともYMSをよろしくお願いいたします。

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菜香新館



神奈川県横浜市中区山下町192

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競技を極めた先にあるもの-第157回YMS

2023年11月09日 | YMS情報


 11月8日、「夢・あいホール」にて第157回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 今回の講師は、空手道世界選手権('82)優勝、全日本空手道選手権大会('83)優勝、空手ワールドカップ('84)優勝など、いわゆる世間では「伝統派」と呼ばれる空手道の世界において輝かしい実績を残された鈴木雄一様。



 実は僕も30年ほど前、空手をやっていた時期がありまして、同じく身体の小さい身として鈴木先生は憧れの存在でした。空手の組手がまだどっしりとした構えが主流だった時代に、フットワークを駆使し現在にまで連なる世界の組手の潮流を変えた風雲児です。



 上の動画の0:33-0:34の場面、右側ゼッケン31番の選手が鈴木先生です(1983年、第11回全日本空手道選手権大会)。



 因みに、上のDVDに収録されている1995年の全日本空手道選手権大会、榎戸哲也選手vs椎名志津男選手の決勝戦は日本武道館に観に行っていました。

 前置きが長くなってしまいましたが、その鈴木先生に「武道精神、空手の心構えを通して人を育てること」と題してお話しいただきました。

1.空手との出会い

 鈴木先生はタイの首都バンコクのお生まれで、そこで育ちました。お父様が船会社関係の仕事をされていて、ある時、騙されて身ぐるみはがされ途方に暮れる日本人たちと出会ったそうです。困った彼らを雇い仕事を与えていましたが、彼らは大学で空手、合気道、柔道など武道の心得のある人たちでした。時が経ち、日泰親善の課外活動の一環として錬武館という道場を設立。すると、ムエタイ(キックボクシングに似たタイの国技)の国であるにもかかわらず、多くの道場性が集まり、やがて空手道のタイ代表を送り出すほどに成長したそうです。そのような環境の中、先生は半ば有無を言わせぬ状況で空手を始めることになります。

 中学生の頃、ご両親の教育方針もあって単身日本へ帰国し、横浜にある全寮制の山手学院に入学。同校の空手部で文字通り空手づけの日々を送られました。当時(まさに僕の生まれた頃ですが)は、ブルース・リーのカンフー映画が社会現象になるほど人気を博していた時代。先生もブルース・リーに憧れ、寝ても覚めても空手に対する工夫をノートに書き留めていたそうです。空手にフットワークを持ち込んだ先生の斬新な組手スタイルは、ここにルーツがあったのかもしれません。いずれにせよ、卓越したスピードとバネで当時の高校選手権(現在のインターハイ)を連覇(第2回、3回)。大学は複数の選択肢があった中で、世界チャンピオンになるために師事したい名コーチが在籍していた東海大学へ進学されました。大学4年時にナショナルチームに選出され、1982年世界選手権初優勝。

2.世界選手権唯一の「フェアプレー賞」受賞

 話が前後しますが、社会人となった先生は仕事の傍ら空手の現役選手としてもプレーを続けました。現在のように企業がスポンサーについてくれるわけでもなく、完全に仕事と両立させたアマチュアです。1987年、先生は日本代表としてハンガリーで行われた空手ワールドカップに65㎏以下級と無差別級にエントリーしました。しかし、先に行われた無差別級の試合で相手選手のラフプレー(審判の「やめ」が入った後の上段蹴り)により意識を失い、病院へ運ばれることに。ドクターストップのため、65㎏以下級も棄権せざるを得なくなってしまいました。

 棄権は不戦敗を意味するのですが、それにもかかわらず先生は試合場のコートに立ち、自らドクターストップにより戦えないことを主審に告げ、不戦敗のコールを受けました。その大会の閉会式直前、先生は思いがけなくも呼ばれ、表彰を受けました。それは先生の堂々と敗戦の宣言を受けた態度を讃える特別賞でした。銀色のトロフィーには「For Fair Play」の文字が刻まれ、鈴木先生は歴戦の中でいくつも獲得してきた輝かしいトロフィーの中でも、このフェアプレーのトロフィーを最も大切にしているそうです。

3.「空手の頂点」その先にあるもの

 時計を戻し、大学を卒業された先生は、日本テレビに就職されました。空手競技の世界で頂点を極めたとしても、その栄光を社会に繰り越せるわけではありません。たとえ選手として一流であっても、それが社会で通用することとイコールではないからです。先生は、「社会人としても一流でありたい」という思いで大手マスコミの道に進まれたそうです。

 連日深夜まで及ぶ仕事。しかも空手の現役選手を続けていたため、深夜2時に帰宅してからのロードワーク。かと言って日中も休むことなく取材や番組の編集に奔走。そのような環境の中でも、トップアスリートとして3回の世界選手権に出場します。もちろんスポンサーがついているわけではないので、遠征も休暇扱いです。しかし、逆にセミプロのような環境でなかったから良い経験ができたということです。

 「仕事とは社会に参加して自分の役割を見つける場」、仕事を通じて空手のみならず格闘技の普及に貢献するため、1993年に第1回の大会が行われたK1(空手、キックボクシング等、立ち技系格闘技のイベント)の立ち上げにかかわりました。K1は人気を集め、やがて他の民放各局にも広がりました。その過程で、各局にいる格闘技経験者に声をかけ、格闘技普及のシンポジウム(という名の交流会)も行いました。

4.人づくりとしての武道精神

 ところで、剣道、柔道、空手道などいわゆる武道と野球やサッカーなどのスポーツとは何が違うのでしょう?どちらも少なくとも近代においては、心身を鍛える手段という意味において同じです。しかし、その中でも特に競技としての勝敗より「心のあり方」に重きを置くという点に、武道の特色があるように思えます。例えば、武道に限らず茶道、華道などいわゆる「道」と呼ばれる世界においては、「練習」とは言わず「稽古」と言います。稽とは「考える」、古とは「昔」という意味で、「昔のことを調べ、今どうしたらよいかを考える」、転じて「書物を通じて学ぶ」というのが元の意味です。ところが日本では、この稽古という言葉が中世以降特に技を磨く修練、それを通じて心を磨く意味で用いられるようになりました。このように、「道」のひとつである武道には日本の中で独自に発展した、「心を磨く」という概念が含まれています。

 鈴木先生は、社会に生かせる武道精神は「守破離」という言葉に集約されるだろうとおっしゃっています。「守破離」も元は能から生まれた言葉だと記憶していますが、武道独特ではなく「道」における概念です。つまり、

守:基本の型を守る段階
破:型を破り応用させる段階
離:型や応用から離れ独自性を発揮する段階

という、修養の段階を表しています。これは仕事においても、個人の人格形成においても同じことです。そして、常に必要な心構えが「残心」です。残心とは「心が途切れない」という意味で、技や動作を終えた後も常に心がそこにある、「今ここ」の状態を言います。今風に言うと、「マインドフルネス」の状態にあると言えるかもしれませんね。こうした心の状態を作り上げるため、またそれを日常生活に生かすために武道は役立ちます。鈴木先生も仕事をしながら、「いかなる時も『三分の余裕』を残さないと、自分を見失ってしまう」と部下を指導されていたそうです。

 日本テレビ関連会社の社長を務めておられた際の社是は「気概と熱意 明るさと前向きさ 人への思いやりと感謝の気持ち」。YMSという「マネージャーズ・セミナー」に向けて、現在の経営者に求められる姿勢を一言で伝えるとするなら、それは人に捧げることに徹する「サーバントシップ(同伴者精神)」だということです。また、「無用の用」を知ること。即ち、無駄な付き合いも必要、普段役に立たないと思われていた人間がいざという時役に立つと知ること。当世流行りの「コスパ」、「タイパ」とは真逆の考え方です。そう言えば僕も中学生の頃父親に「いじめられている子の味方にならないといけない、そういう子たちこそいざという時の味方になってくれる」と教えられた記憶があります。

 我々YMSもまさに「無用の用」を13年、157回も続けてきたのかもしれません。



 かつて空手に携わった経緯から、個人的に今回のセミナーには特別な想いがありました。懇親会ではついお願いして、先生から記念にサインをいただいてしまいました。



 こちらは25年以上前にいただいた、いずれも空手道で一時代を築いた村瀬一三生先生(左)、西村誠司先生(右)のサインです。

 なお、「夢・あいホール」でのYMSは今回が最後になります(次回は忘年会)。10ヶ月にわたり、大変お世話になりました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした


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人生のターニングポイントー第156回YMS

2023年10月12日 | YMS情報


 10月11日、「夢・あいホール」にて第156回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 講師は、株式会社ターニングポイント代表取締役、赤井知一様。「不登校生・発達障害・起立性調節障害のための自分の居場所~留学という選択肢~」と題して、留学を通じて不登校問題と向き合うお話を伺いました。



 赤井さんが現在のお仕事にたどり着くには、実は伏線があります。それは高校時代、大学時代の留学経験です。今のような「不登校」という問題が恐らくなかったわけではなく、表面化していなかった時代。赤井さんもどちらかというと学校に行きたくないと思っていたタイプだったそうです。そんな赤井さんの最初の留学経験は高校1年生の時。心配した親御様のすすめで高校1年生の時2週間アメリカにホームステイに行きました。そこでとても自由を感じたそうです。そしてホームステイ先では身の回りのことは全部自分でやらなければならない。例えば朝食を作るというようなちょっとした成功体験の積み重ねから自信が生まれたそうです。全く分からなかった英語も、帰国する頃には相手の言っていることは何となくわかるようになっていました。一方で、自分の感謝の気持ちを伝えられないもどかしさから悔しい想いもされたそうです。

 二度目の留学経験は大学生の時。卒業を控えやりたいことも定まらなかった時に研究室の教授の勧めでオーストラリアへ2年半の本格的な留学に旅立ちました。その経験で、ご自身の性格も大きく変わったそうです。帰国後は理科系の学部でしたが、留学経験を活かし留学を支援する会社に就職されました。以降、留学を支援する事業に従事すること25年、これまで5,000人以上を留学に送り出してこられたそうです。

 そんな時、留学を希望しカウンセリングに訪れる人たちの中に、社会問題化していた不登校児や発達障害の方の相談が見られるようになりました。普通、そもそも留学がしたいという動機を持つ人は自主性があります。したがって、大抵の場合、留学前のサポートの後は知らない間に留学に行き、自分で帰ってきてしまいます。しかし、不登校の方や発達障害の方は事情が違います。現地で放っておくという訳にはいかないので、担当カウンセラーによる現地での手厚いサポートが必要になる。しかし、当時大手の留学支援ではそこまでの手厚いサポートはできませんでした。しかし、ご自身が学校に行きたくないと思っており、留学で人生が変わった経験をもつ赤井さんは、その様な方たちにこそ、人生を変える転機を掴んでいただくためのサポートが必要なのではないかと考えました。そして一念発起して起業した会社が、「ターニングポイント」。読んで字の如しです。

 現在、小中校で30日以上欠席した児童、いわゆる「不登校児」は30万人にも上り、かつ年々増加傾向にあるそうです。その原因は、先生、校則、身体の不調、生活のリズムの乱れ(ゲーム、スマホの存在も一因)、学業不振、友人関係など様々ですが、いずれにせよストレスから不登校になるケースが多いようです。この問題に文部科学省も支援予防策を打ち出してはいますが、「不登校特例校」が「学びの多様化学校」と呼び名を変えた学校が全国わずか24校といった現状です。

 決して日本の教育が間違っているとか、悪いという意味ではなく、それに適応できないという方たちの選択肢として「海外」というのがあるのではないかというのが、赤井さんのお考えです。自分を取り巻いている生活環境から離れることで、確かに環境が変わることのストレスもありますが、自立できる機会、一人でやり遂げる自信、(不得意の克服ではなく)得意を伸ばす教育が得られる可能性があります。実際、肌感覚ではありますが、日本で不登校だった子が、海外ではほぼ朝ちゃんと起きて学校へ行くそうです。

 「留学」と聞くと敷居が高そうですが、赤井さんの会社では不登校や発達障害の方々が安心して海外に旅立てるよう、様々な留学スタイルを用意しています。例えば、最短3泊4日からでも可能ですし、英語力はもちろん不問、引率付きのグループツアーもあります。勉強よりアクティビティを多く取り入れ、体験を重視したりといった工夫もあります。もちろん、本格的な留学も可能です。留学の結果、価値観の変容、日本の学校への復学、人間関係改善、規則正しい日常生活、やり遂げた自信など様々な成果が得られています。

 さらに、前述の通り、留学に至るまでのサポートも非常に充実させています。不登校や発達障害の方は周囲の大人に対して壁があるので、留学の準備過程でまず彼らとの信頼関係を築かなければなりません。そこで、それぞれの人に合った個別カリキュラムの作成、定期的カウンセリング、マンツーマン英語レッスン(10回)、国内ホームステイ(海外をイメージした研修施設で模擬留学)、1泊2日のテイクオフミーティング、出発空港でのチェックインサポート、帰国後の報告会など、きめ細やかな支援が用意されています。



 不登校や発達障害の方たちは人並み以上に留学というのは敷居の高いものだと思います。しかし、だからこそ人生を変えるパラダイムシフトが起こせる潜在能力が留学にはあるのだという逆転の発想が、留学という経験の意義そのものを大きくしているように感じました。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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脱税はコスパ最悪ー第155回YMS

2023年09月14日 | YMS情報


 冒頭のタイトルは僕が言ったのではなく、今回のセミナーの結言です。

 9月13日、「夢・あいホール」にて第155回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 今回の講師はエンリベル株式会社代表取締役、中尾俊貴様。東京国税局ご出身の中尾様より、「税務調査セミナー」と題して、どんな会社が国税局や税務署から狙われるのか、どうやって不正がバレるのか、税務調査対策はどうすればいいのかなど企業経営者にとってためになるお話をいただきました。

 早速ですが、国税局から狙われる会社とは、どういう会社なのでしょう?大きく分けると3つあり、

① 決算書に異常な数値が見られる(例えば粗利が不自然な変化をしている)場合
② 申告書の計算の誤りや記載されている取引先の内容などに不審な点が見られる場合
③ 退職者や経理担当者からの密告があった場合

だそうです。巷間信じられているような、国税が不正を把握していながらあえて泳がせておくというようなことはないとのこと。

 そして税務調査を受けた法人の内、何割の法人が誤りを指摘されているか?実に80%にも及ぶそうです。指摘するのが役目ですから当然と言えば当然かもしれません。そして査察が告発した場合、ほぼ100%有罪になるそうです。不正が指摘された場合の追徴課税の平均金額は570万円(個人事業主で250万円)。

 税理士に帳簿を作ってもらっているにも拘らず、80%もの確率で指摘が起こるのは、税法の解釈に幅があるためです。そしてよくある節税商品には、中尾さんからみるとかなり危険なものが多いとのこと。

 次に税務調査の基本的な流れです。事前調査→内観調査→日程調整→実地調査→銀行調査→反面調査→交渉→調査まとめ→調査終了という流れで進み、平均2カ月ほどかかります。この内、「実地調査」は2日間で、

・1日目
AM 概況聴取、社内現況確認
PM 帳簿書類調査、宿題
・2日目
AM 前日の宿題聴取、帳簿書類調査
PM 帳簿書類調査、まとめ

という流れで行われます。社長へのヒアリングは主に初日に行われます。

 さて、税務調査における「不正」とは、一言で言えば二重帳簿のような「隠蔽、仮装」行為を指します。帳簿の誤りは、意図的に収入の一部を帳簿に記載していなかったというような場合が「不正」で、管理不足で誤って計上が漏れていたような場合は「申告漏れ」になります。両者の違いは意図的だったか否かで、追徴課税の率に大きな差が出ます(30%と10%)。しかしながら、実際には現金収入の計上が漏れていた場合は、ほぼ確実に不正として認定されるそうです。

 また、税務調査は帳簿の確認だけとは限りません。様々な角度から不正に繋がる有形無形の証拠が調べられます。今回のセミナーでは、そのいくつかの具体的な事例が挙げられ、非常に興味深いものでした。

 こうした財務会計上のリスクは故意でなくとも病気と同じように経時的に進行していくものだそうです。だからこそ早期の対処が重要で、中尾さんの会社では税務リスクを事前診断するサービスを提供しているそうです。

 脱税など不正が疑われる場合は、最大7年までさかのぼって調べられます。その結果多額の追徴課税される代償は大きく、結局のところ割に合いません。つまり、冒頭に述べたように「脱税はコスパ最悪」というのが今回の結びでした。いつもより質疑応答の時間が長く設けられたのですが、次々と挙がる質問のため時間の長さが感じられることはありませんでした。参加された皆さんの関心の高さがうかがわれました。



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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第2回大阪交流会―第154回YMS

2023年09月06日 | YMS情報


 2022年9月5日、昨年8月の第141回YMSヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)以来2度目となる大阪交流会を開催しました。今回も、地域ポータルサイト 「オオサカジン」の「大阪の社長インタビュー」で取り上げられた社長の皆さまとYMSとの合同セミナー&交流会となりました。



 第1部のセミナーですが、主催者であるジェイ・ライン株式会社の本社会議室にて行われました。



 講師は、株式会社FCEトレーニング・カンパニー執行役員の松村聖也様。「7つの習慣ⓇBusiness Ownership研修体験会~当事者意識を向上させる3つの要素とは?~」と題し、1996年に日本でも一世を風靡し、未だに最もよく読まれているビジネス書の一つであるスティーブン・R・コヴィー著、『7つの習慣』のフレームワークを用いた、「内側から変わる」、「主体性を発揮する」組織づくりの2日間研修の概要と、その一端に触れる体験会が行われました。



1.当事者意識意とは?



 そもそも「当事者意識」とは何でしょう?辞書によれば「自分が関わる仕事や物事を『自分の物』と捉えて取り組む姿勢」だそうです。しかし、それは「一人一人が好き勝手に仕事を進める」こととどのように違うのでしょう?独り善がりではない、真の当事者意識を生み出すには、以下の3つの要素が必要になります。

①先に大切なのは、「あり方」
②その上で、「価値観」に共感する
③さらに「体系化」で加速

 つまり、当事者意識とは知識やテクニックではなく、個人の「あり方」の問題ですが、さらに個人が所属する組織が共有する価値観に共感していることが、単なる独善的な行動との違いになります。

当事者意識を持った人材を育成するには、

1.テクニカルスキル…専門分野の仕事を進めるにあたって必要な知識、スキル、テクニック
2.(セルフ)マネジメントスキル…コミュニケーション、PDCA、報連相など分野に関わらず必要なスキル
3.(セルフ)リーダーシップマネジメント…理念、ビジョンの体現者。仕事に対してのあり方。

の3つの層に働きかけることが必要ですが、多くの企業は1.にのみアプローチし、2.にアプローチしているところは少なく、まして3.にまで踏み込んでいるとことはほとんどないそうです。それが構成員一人一人が当事者意識を持った組織がなかなか生まれないことに一因となっているのでしょう。

2.パラダイムとは?



 そして組織の価値観を浸透させ、効率よく人材育成していくためには、組織の価値観を整理してフレームワーク化することが必要です。しかし、この作業には非常に長い時間がかかります。ある企業では、この作業だけで3年を費やしたとか。そこでどんな企業にも適用でき、効果が実証された既存のフレームワークを利用するというのも方法の一つです。そのようなフレームワークとして、『7つの習慣』の「SEE-DO-GETサイクル」があります。SEE-DO-GETサイクルは、人にはぞれぞれ「物の見方、考え方(SEE)」があり、それに基づいて「行動を起こし(DO)」、行動することによって「結果を得る(GET)」と考えます。つまり、良い結果を得るには、その根本にある物の見方、考え方(これをパラダイムと言います)をまず見詰め直す必要があるのです。



 パラダイムには、①人によって違う、②間違ってしまうこともある、③自分の行動を制限してしまう、④変えることができる(パラダイムシフト)といった特徴があり、今回は私たちがいかに先入観や思い込みに囚われているか、そしてそれが自分の行動を制約しているかに気づき、またそれは変えることができるものであることを体験するいくつかのワークを行いました。スティーブン・R・コヴィーは次のように言っています、

「人生において小さな変化を起こしたいのであれば、私たちの態度や行動に対し働きかければよい。しかし、劇的な変化を望むなら、土台となるパラダイムを変えなくてはならない」

3.第1の習慣:「主体性を発揮する」とは?

 今回は7つの習慣の体験セミナーですので、7つある習慣の内の第1の習慣、「主体性を発揮する」にだけ触れました。

 「主体性」とは、「どのような状況に置かれても、価値観に基づき反応を選択する」ことを言います。これと正反対の行動は「状況によって起きた感情や気分で反応すること」で、これを「反応性」と言います。人は外部から刺激を受けると、それに伴って何らかの感情が生起します。しかし、その感情に対してどのように反応するかを選択することもできるのです。主体的な人は、自身の価値観に基づき、どう反応するかを自ら選択します。自分で選択するのですから、その責任も自分にあると考えます。これが7つある習慣の内の第一に位置付けられているということは、それだけ反応的ではなく主体的に生きることが重要だからなのでしょう。

4.やりっ放しで終わらせないために



 最後に、どんなに良いトレーニングを受けたとしても、そこで終わりでは何にもなりません。学んだことが日常業務の中でも浸透し、文化として定着しなければなりません。そのために、研修をデザインするにあたっては、ただ「誰に対してどのような内容を行うのか」を考えるだけでなく、「研修が終わった後どうするか」というフォローアップや定着アプローチを初めから考えておく必要があります。さらには、「何のために研修を実施するのか」その目的を言語化し、対象者に対して事前通知し、合意を得ておく必要があります。



 セミナー終了後は、場所を移して懇親会が行われました。横浜と大阪、初対面とは思えないほど盛り上がり、楽しく有意義な夜を過ごすことができました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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帰ってきた、本来の夏ワインセミナー―第153回YMS

2023年08月12日 | YMS情報


 8月9日、今年恒例のYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー馬車道十番館ワインセミナーを開催することができました。

【過去のワインセミナーの様子】
2022年:真夏にガブ飲みできるスッキリ爽やかワイン
2019年:おうちで楽しめるテーブルワイン
2018年:ワインを飲んでいる時間を無駄な時間だと思うな。その時間にあなたの心は休養しているのだから
2017年:酷暑の中でさっぱり飲めるワイン特集
2016年:世界が認める勝沼甲州ワインを軸にした日本ワインとフレンチのマリアージュ
2015年:夏に合うワインと料理のマリアージュを楽しむ
2014年:注目のジャパニーズ・ワインを楽しむ
2013年:手ごろなワインと料理のマリアージュを楽しむ

 

 コロナ対策としての規制も緩和され、今回は本来の立食型のセミナーが戻ってきました。テーブル式も良い面はあったのですが、やはり「交流」という点では立食形式の方が望ましいのかなと思います。さらに今年はさいたま市より「さいたまを元気にする会」の皆さんがわざわざバスを仕立てて多数ご参加下さり、会場は総勢48名、ほぼいっぱいとなりました。埼玉の皆様には心より御礼申し上げます。



 さて、今年のテーマは「酷暑にこそ合わせたい!ワインと料理のマリアージュ」。ワインだけでなく、馬車道十番館さんによる、ワインに合うお料理とのマリアージュもこの会の特徴です。

 

ワインのラインナップは以下の通り。

シャトーメルシャン 椀子(まりこ) ロゼ 2021
シャトーメルシャン 椀子 ソーヴィニヨン・ブラン 2020
グランポレール 長野 メルロー
グランポレール 長野 シャルドネ
サントリーフロムファーム品種シリーズ 甲州 日本の白 2020
サントリーフロムファーム品種シリーズ マスカット・ベリーA 日本の赤 2019
ニッカ シードル・ドライ
ニッカ シードル・スイート
ジェイコブス・クリーク 江戸切子
ジェイコブス・クリーク スパークリンング・ロゼ



 個人的嗜好になってはしまうのですが、まずこの蒸し暑い夜、爽やかなスパークリングから始めたいです。恐らく、YMSワイン会でほぼ定番(第34回61回86回)ともいえる、「ジェイコブス・クリーク スパークリンング・ロゼ」。穏やかな発泡の爽やかさと、イチゴのような果実味が感じられ、スタートにはもってこい。

 見た目に涼しげだからなのか、何となくロゼに手を伸ばしてしまいます。それも今回の「椀子 ロゼ 2021」は、辛口で程よい酸味。タンニンが抑えられており、すいすいと飲めてしまいます。これも夏向きのお酒と言えるでしょう。



 去年(第140回)に続いての、「ジェイコブス・クリーク 江戸切子」。最初は、オーストラリアの「ジェイコブス・クリーク江戸切子スパークリング」。伝統工芸士根本達也氏とのコラボレーションによる日本限定販売の辛口スパークリングワイン。これもまさに爽快感のある夏のスパークリング。こちらは先ほどより泡が口の中で丸く広がる感じがします。

 さらに泡系ばかり行ってしまうのですが、ニッカの「シードル・ドライ」と「シードル・スイート」。ニッカといえばウィスキーですが、元は「大日本果汁株式会社(略して日果)」で、リンゴジュースを製造販売していた会社。印象的だったのはスイートの方で、僕がシードルというと辛口しか飲んだことがなかったということもあるのですが、本当にリンゴジュースのように甘くて飲みやすく、とても美味しかったです。



 「椀子 ソーヴィニヨン・ブラン 2020」。当ブログでも何度か書いていると思いますが、ソーヴィニヨン・ブランは僕の最も好きなブドウ品種の一つ。グレープフルーツのような柑橘系の爽やかさが好きです。長野県椀子の土壌が粘土質であるためなのか、ミネラル感はあまりなく、素直に飲めてしまいます。欲を言えば、もう少しピーマンや芝草のような青臭さが欲しい、あれが好きなのです。

 「グランポレール 長野 メルロー」と同「シャルドネ」はブドウ品種の「らしさ」が素直に表れている感じです。メルローは、カベルネ・ソーヴィニョンとのブレンドですが、メルローらしい穏やかで丸みのある舌ざわり、ベリー系の果実味が感じられます。シャルドネも柑橘系の香りと酸味、かといってシャルドネ感を主張し過ぎないやや控えめな果実味。

 最後に、日本の固有品種、「甲州 日本の白 2020」、「マスカット・ベリーA 日本の赤 2019」。日本におけるワイン造りの歴史は近代に入ってからだと思いますが、甲州というブドウ品種自体は平安末期には既にあったとされています。ヨーロッパ種と中国種の交配とされ、恐らく遣唐使などの使節によって持ち込まれたのだろうと想像します。正倉院の「瑠璃坏」などを見ると、ひょっとしたら奈良時代にはワインが持ち込まれていたかもしれないなどと思ってしまいます。「」というチーズのような乳製品はありましたしね。

 一方、マスカットベリーAの方ははっきりしており、「日本ワインの父」と呼ばれる川上善兵衛が1927年にアメリカ産のベリー種とヨーロッパ産のマスカット・ハンブルグ種を交配して生み出した品種です。

 いずれの品種も、フィニッシュが短く、酸味があり、果実味が穏やかという印象があります。そのため、ワイン単体で楽しむというより、料理と合わせたいワインです。甲州の方なら白身魚のお寿司、刺身、カルパッチョなど。マスカットベリーAなら赤身の刺身(カツオのたたきなどいいですね)か、照り焼きや味噌煮のような料理。以前から思っていたことですが、その土地のお酒と料理はなぜ合うようにできているのか?本当に不思議です、偉大な自然のなせる業としか言いようがありません。

 最後に、開催に際し、いつも多大なご尽力を頂いている株式会社横濱屋の山本社長、馬車道十番館の本多社長に心より御礼申し上げます。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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