窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

上野隆博さん

2011年11月13日 | 講演メモ
  2011年11月11日、ニューヨークを中心に世界で活躍するダンサー、演出家である上野隆博さんのダンスパフォーマンスとお話を拝聴する機会がありました。

Showtime at the APOLLO TAKAHIRO DANCE


  僕はダンスのことは全く分かりませんが、素人目に見ても観客の度肝を抜く、素晴らしいパフォーマンスでした。胸骨や肩甲骨周りの驚くべき柔軟な動きもさることながら、全身を躍動させつつ、それでいて体軸はまるで宇宙から地球の中心に向かって一本の線が通っているのではないかと思われるほど、真っ直ぐにキープされています。シアトルマリナーズのイチロー選手のバッティングや、中国拳法の一派である太気拳の動きに似たものを感じました。もし、上野さんが空手か剣術をされていたら、恐らく相手は打っても上野さんがいない、あるいは気づかないうちに間合いに入られているというようなことになるでしょう。



  さて、ご講演ではダンサーになったきっかけから、世界の第一線で活躍するようになるまでの経緯、そしてこれからの展望についてお話いただきました。全く知らない分野のことでも、本物のお話は、聴く者の魂を揺さぶります。本当に時間を経つのを忘れるほど、のめり込んでしまいました。以下では、自分なりにまとめたメモを頼りに、ご講演の内容についてご紹介したいと思います。

1.ダンスを始めたきっかけと渡米まで

  上野さんは1981年生まれ。ダンスを始められたのは18歳と意外にも遅く、その動機は学校でも目立たない存在であるというコンプレックスの克服と、自分の力で何かを創造したいという強い思いにあったそうです。その結果、選択したのがたまたま当時「格好いい」と思ったダンスだったとのこと。大学在学中の4年間はダンスにあけくれ、自分なりにオリジナルのスタイルを確立していました。大学卒業を迎え、周囲のダンス仲間が次々と就職を選択していく中、上野さんは打ち込んだダンスを何の結果を残すこともなく手放すことに抵抗を感じ、ダンスの本場であるアメリカへ渡ることを決意されました。

2.アメリカの壁から学んだこと

  2004年、ニューヨークに渡られた上野さんは、マイケル・ジャクソンやジェームス・ブラウンを生んだエンターテイメントの殿堂、アポロシアターのオーディションに挑戦します。1,000人中、合格できるのは300人程度、しかも本場の黒人達に混じり、唯一言葉も文化も違うアジア人としての挑戦でした。自分のオリジナリティにはある程度自信をもたれていた上野さんでしたが、初めて受けたオーディションの結果は惨めなもので、4人いた審査委任のうち3人から「君のダンスはHIPHOPではない」と酷評されたそうです。ただ一人の審査員だけが「HIPHOPではないかもしれないが、彼のダンスは面白い」と評価してくれ、ギリギリの選出であったようです。

  しかし、この結果を「3人の審査員から否定された」ととらず、「少なくとも1人の審査員は分かってくれた」と受け止めたところが、上野さんの常人ならざるところ。本場で壁に突き当たり学んだことは、「自分のダンスは自分の思いを伝えようとするばかりで、相手を見ていなかった」ということでした。そのことを悟った上野さんは、ニューヨークのハーレムに居を移し、彼らのHIPHOPを吸収しようと努力されました。しかし、それでも自分は彼らと同じにはなれないということに気づいたそうです。

3.エンターテイメントは心のやりとり

  黒人ダンサーの真似をしたところで、所詮それは真似に過ぎません。かといって、オリジナルだけでも駄目。上野さんが導き出した結論は、「同じにはなれないかもしれないが、共通項はあるはず。大切なのは、どうすれば相手に想いを伝えられるか、オリジナルを受け入れてもらうことができるか。それには表面的なテクニックだけでなく、相手の心理面も考慮しなければならない」ということでした。

  具体的には、テクニックを見せるだけでなく、相手の心をつかむ仕掛けをパフォーマンスの中に織り込んでいくということです。例えば、冒頭の動画の例でご説明します。まず前提としてあるのは、アポロシアターにおいて上野さんは知名度の低い日本人、要するに「よそ者」であるということです。冒頭、日本人らしく空手のような動きから入ります(かつてシンクロナイズドスイミングでもイントロを平安二段という空手の型から入ったパターンがありました)。しかし、今時オリエンタリズムだけでウケるほど甘くはありません。そこで、最初は観客の好きなHIPHOPの曲を使い、かつムーンウォークなど、観客が慣れ親しんだダンスで一体感を演出します。それでいながら、ムーンウォークも多少アレンジして退屈させないようになっています。そして徐々にオリジナルの要素を増やし、自分らしさ、日本人らしさをアピールしていきます。

  やがて、スーパー・マリオ・ブラザーズの曲になりますが、これにも意味があります。ニンテンドーは彼らにとっても馴染みのあるもの。しかしそれは、日本のオリジナルであり、あくまで日本のイニシアチブによってアメリカ人と共有できるものであるということを示しているのです。

  マリオによって観客を自分のペースに巻き込む。そうした下地を作った上で、最後は自分の好きなように演技し、ラストを一礼で終わります。礼で終えたことの意味は、もうお気づきと思いますが、日本人であるということが第一、それに礼を入れることによって、観客が拍手し盛り上がる余韻の間を入れるという意図がありました。この「間」の呼吸というのも日本人らしいところでありますが…

  以上のように、オリジナリティに磨きをかけつつ、観客に阿ね、同化しようというのではなく、異質であることを受け入れてもらう工夫をすること、相手にいかに喜んでもらうかというエンターテイメントの原点に立ち返ることによって、上野さんは2005年、「Showtime at the APOLLO」で1位を獲得、その後9週連続1位という金字塔を打ち立てました。

4.当たり前を当たり前にはできないほど徹底する

  アポロシアターで実績をつくり、上野さんはプロ・ダンサーとしての道を歩み始めますが、ここでまた壁にぶつかります。それは英語がまだ十分には話せなかったこともありますが、ダンスが我流であったため、個人の枠を超えて活動するようになった時、オリジナルだけでは通用しなかったためです。そこで上野さんは、3年間、バレエやダンスを基礎から学び直しました。日本では能の世界の言葉に「守・破・離」というものがありますが、同じように真にオリジナルを輝かせるには、やはり強固な基礎を持っていなければならないということなのでしょう。

  そうした困難の克服を経て、2009年、上野さんはマドンナのバックダンサーとして世界ツアーに参加します。上野さんがマドンナから学んだことは、「ベスト・パフォーマンス=ベスト・リハーサル」、つまり完璧な結果を残すために、当たり前と思える準備を誰にもできないほど徹底してやり抜くということだそうです。そして、世界に活躍の場が広がれば広がるほど、自分が日本人であることを意識し、周囲とは違う存在であることを意識せざるを得なかったといいます。これはイチロー選手も同じ事をいっていました。しかし、違うことを意識するからこそ、日本人として、また一個人としてのアイデンティティにこだわり、それを受け入れてもらえるように努力ができる。また、違うことを認識するというは、それゆえに相手に対する敬意も払えるということでもあります。

5.これからの夢

  強烈な個性で世界と対峙し、Newsweek誌で「世界が尊敬する日本人」にも選ばれた上野さんですが、30歳を迎えられた今、ダンスを通じてさらに世界を広げて行きたい、そしてやがては後に続く後輩達が自分を超えていけるよう、常に退路を絶って先鞭をつけて行きたいとおっしゃっていました。経済産業省の「Cool Japan Project」にも参加されている上野さんですが、こちらから日本のエンターテイメントやアイデンティティを発信するだけでなく、世界の目をこちらに向けさせたいと夢を語っておられました。

  ご講演が終わり、魂を揺さぶられた聴衆の拍手は感動の波動となって会場を包み込んだように感じました。終了後、皆さんが「会場が暑い」と口々に言っておられましたが、この高揚感がその原因だったのではないかと思います。

  翻って、日々の生活の中で、自分が自分であることにどこまで徹底できているでしょうか?

  「もっとやれるはずである」、そう決意を新たにした次第です。

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仲里一郎さん②

2011年02月27日 | 講演メモ
2.理念の実践

  さて、一度挫折を味わった野菜販売ですが、「死に物狂いの営業経験、そこで培った販売の勘、人脈がその後に生きた」と先生はおっしゃっています。前述の2度の出向経験により幅広い発想ができるようになり、「仕事は枠組みを取り払いチームで行うもの(これを先生は「ビジネスインテグレーション」と呼んでおられます)」、そして「誰もが得をするのが事業本来の姿である」という想いを強くされたそうです。それが株式会社大喜コーポレーションの根幹をなす理念として結実していくこととなりました。しかし、「大喜」の社名に現れているとおり、何よりも先生ご本人が持っておられる人への想い、人への愛情、がそれを可能にしたのだと僕は思います。

  やがて中央卸売市場の横浜丸中青果株式会社さんより業務用野菜拡販のお仕事をいただけるようになった時、「横浜は西洋野菜はじめ、いろいろな物の発祥地であるにも関わらず、その食にまつわるドラマを活かしきれていない」と感じた先生は、またしても「野菜だけでは面白くない、横浜の物を横浜に売ろう」と発想されました。一例を挙げますと、得意先に、株式会社横浜ビールさんがあり、そこに野菜だけでなくシウマイも卸すようになりました。それだけなら普通の商品拡大なのですが、ここからが先生の非凡なところで、ビール工場で大量に発生する絞り粕に目をつけシウマイにビール酵母を加えた「ビールシウマイ」を発案、それが横浜ビールさんの直営レストラン「驛(うまや)の食卓」の人気メニューとなりました。因みに、横浜ビールさんも昨年、「ヨコハマ・グッズ001市長賞」を受賞されており、横浜唯一の地ビール工場としてユニークな経営をされています。お互いの思いがシンクロするのは必然だったのでしょう。

  そして、横浜ビールさんの勧めにより、驛の食卓前で毎週火曜の昼と夕方に野菜を直売する「驛テラス」を開設、好評を博しました。驛テラスは人とのつながり、地域活性化にも一役買い、それが株式会社キーストンテクノロジー、岡崎社長との運命的な出会いに発展します。



  岡崎社長は驛テラスに野菜を買いに来たお客さんで、LED照明による野菜の室内水耕栽培を研究されている方でした。岡崎社長も「みなとみらいのど真ん中で栽培された高品質の野菜を「横浜・馬車道ハイカラ野菜」として広めたい」という夢を持っておられたのですが、それが仲里先生という「触媒」を得たことにより、何と奈良建設さんが2010年7月に設立された子会社、株式会社セットアップ横浜と株式会社キーストンテクノロジーの共同出資による植物工場設備の販売会社「株式会社アグリ王」設立へと発展したのです。今からわずか3ヶ月前、2010年10月のことです。なお、「横浜・馬車道ハイカラ野菜」は驛テラスでも販売しているそうです。

3.つながりの時代

  先生のお話をまとめると、以下のことが言えると思います。

①人のつながりこそが大事、そこから予想もつかないようなエネルギーが生まれる。
②それは論理的思考を超えた因果によって結ばれるので、目先の打算は意味を成さない。
③「人を喜ばせたい」という想い、それを徹底して信じる心、素早い行動。

  仲里先生の今日はいわゆる表面的な「成功法」などでは決して導き出すことができません。強いて挙げるとすれば、先生の人に対する愛情、人に対する感謝、自分への信頼にこそその要因があり、それは時代を超えた不変の真理なのですが、過剰な競争社会に皆が疲れた今日より重要さを増してきているように思います。

  仲里先生、ありがとうございました。

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仲里一郎さん①

2011年02月26日 | 講演メモ


  先日、食品販売業、株式会社大喜コーポレーション代表取締役、仲里一郎さんのお話を拝聴する機会がありました。大変穏やかで楽しい雰囲気が溢れており、人を引き付ける魅力のあることが最初から伝わってくる方でした。大変面白い人生模様でしたので、少し長くなりますが、おさらいしてみたいと思います。

1.二度の転機、そして独立

  今でこそ食品を販売しておられる仲里先生ですが、キャリアのほとんどは建設業でした。昭和50年に大学の土木科をご卒業され、新横浜の奈良建設株式会社に入社。以来およそ15年、一貫して建築現場に携わってこられました。元々建築関係の方がなぜ食品を売るようになったのか、先生によればその転機は2回の出向経験にあったといいます。

  最初の出向は、1989年(平成元年)の横浜博覧会協会でした。そこで現在のみなとみらい21地区で開催された「横浜博覧会YES ’89」(確かそんな名前だったような…)の基盤整備事業に携わり、初めて建築関係以外の様々な業種、行政関係の人たちと関わりを持たれたそうです。そこで、異業種間のビジネス慣習や考え方の違いを目の当たりにされ、視野が大いに開ける一方、「強い理念と信頼」に結ばれたプロジェクトチームの大切さを実感されたとの事でした。

  第2の転機は、今からおよそ3年前。公共事業が激減し、建設業界を取り巻く環境が極めて悪化する中、何か従来の受注営業ではなく社会貢献性の高い事業を自分たちで生み出せないかと考えた仲里先生は、公有地有効活用の一環で都市農業を行うことを思いつきます。それがひいては建設受注にも繋がるであろうということで、この案を社内で提案、建設数社と共同出資でアグリ産業「グランパ」を設立。そこへ出向され、建築業者が野菜を売るということになりました。

  しかし、野菜は文字通り畑違いの事業。ノウハウも経験もない中で、拡販の営業には大変苦労されたそうです。最終的に、仲里先生は奈良建設株式会社の自己退社を決意されました。この時、先生56歳。

  さて、会社を辞め独立しようと考えた仲里先生。ここが並みの人でないと僕が一番感心したところなのですが、先生は56歳で「60歳まであと4年もある、だから独立しよう」と考えられたそうです。普通の人なら「俺はもう60近いし…」と愚痴をこぼしそうなものです。とはいうものの現実は厳しく、定年前の自己退社なので退職金が満額出るわけでもなく、年齢から再就職の口があるでもなく、求職活動をしていないので失業保険も出ないという状況。先生は家族を抱えながら、測量のアルバイトなどで生計を立てられたそうですが、それでも不思議と落ち込まなかったそうです。確かに怖いのだけれども、面白い。さらに、そんな先生をご家族や周囲の方々が決して責めることなく、むしろ励ましてくれたのだそうです。これなど、先生のまさにご人徳によるところでしょうが、その後の先生の事業展開を考えますと、ひとつの象徴的なエピソードのように思います。

  独立するにあたり、先生はある先輩からこんなアドバイスをいただいたそうです。

①大きくなくていい、まず家計を支える固定収入を確保せよ
②(物売りは)物を売ってナンボ
③今この瞬間から未来への種まきをせよ

これを「三分法」というのだそうですが、これをそれぞれではなく3つ同時に行うことが大切なのだそうです。このことは、先日ご紹介した深田稔社長や松浦勝人社長のお話にも通じるところがあります。

  さて、独立した仲里先生は、平成21年に株式会社大喜コーポレーションを設立。社名は、先生の御祖母の口ぐせ「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び集めて喜びに来る」に由来するのだそうです。会社設立にあたり、先生は事業内容を以下のようにデザインされました。

「新会社の主な業務は【優れた食品を消費者に、そして企業と企業を結びつけるビジネス・インテグレーション】をビジネステーマとして、

◇青果・加工品など多様な食品をメーカーからの受託で販路開拓する。【セールス】
◇安心安全で本物の食品を最適な市場に展開する。【マーケティング】
◇食品を軸として、関連する様々な産業を有機的に結びつけて事業成立させる。【インテグレーション】
◇食品ビジネスを通じて発掘した不動産・建設ニーズのプロジェクト化。【プロデュース】

などを行って参ります。」

  この設立当初に描いたデザインを先生は違うことなく、そのまま実践し今日に至っておられます。

<つづく>

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松浦勝人さん

2011年02月13日 | 講演メモ
  先日、エイベックス・グループ・ホールディングス代表取締役社長、松浦勝人さんのご講演を拝聴する機会がありました。

  松浦社長は横浜市港南区出身、僕とは9歳違いですが、お話の端々に港南台や上大岡など馴染みの場所の描写が出てくるので、僕も当時の町の様子を思い出し、「あの頃、そんなことされていたのか」と何だか不思議な感じに襲われました。

  ご講演は大学在学中のアルバイト時代からエイベックス・ディー・ディー株式会社(当時)を設立するまでを淡々とした口調でお話されていました。なお、進行役は東京プリンの伊藤洋介さん、余談ですが、僕は東京プリンの歌を10曲くらい歌えたりします。

  音楽、特に海外のダンスミュージックがお好きだった松浦社長は、大学在学中に港南台の貸レコード店「友&愛」(これも懐かしい響きです)でアルバイトをされていました。オーナーには店を任され、今では一般的になっていますが、ご自分が推薦できる曲に手作りのポップをつけたり、会員制でレンタルであるという業態の特性を活かしたサービスで実績を挙げられました。

  その後、港南台店のオーナーとご尊父による共同出資で新会社を設立、上大岡駅近くに「友&愛」上大岡店を開業。こちらも独自の工夫で会員を増やし、その一方で好きなダンスミュージックの知識を活かし、輸入盤に独自の解説文をつけて他店に卸すというビジネスを考案されました。折りしも、HMVTOWER RECORDSが続々日本に進出してきた時代(確かに横浜にHMVができた時は大変な騒ぎだったと記憶しています。それだけに先月の弊店のニュースも時代の流れとはいえ驚きでした)、このビジネスでも成功を収められます。

  その後、このビジネスの有望性に目をつけた他の貸レコード店を営んでいた方に半ば強引に誘われる形で、卸売業に特化したエイベックス・ディー・ディー株式会社を設立。海外からの直接輸入を行う一方、イタリアの業者からレーベルの権利を購入し、26歳の時にavex traxを設立されます。当時ディスコ、マハラジャで流れていた、けれども名前が分からないという曲を集めた「マハラジャナイト」がヒット、さらに「ジュリアナ・トーキョー」シリーズが大ヒットを収めます。これが小室哲哉氏との出会いと、その後の誰もがご存知の急成長への遠因となったようです。

  多くの成功された方が異口同音におっしゃることですが、松浦社長も「成功には運やまぐれが多分に含まれる。小室哲哉氏との出会いも後になってみれば出会うべくして出会ったと思えるが、結局のところ何かをするから何かが起こる」とおっしゃていました。つまり、人より先に階段を上ればいかにも元から壮大なビジョンを描いていたかのように見えますが、ご本人曰く「目の前にあるやるべきことを徹底してやっていたら、誰もやらないところにいた」ということです。イチロー選手も確か、「今自分にできること、頑張ればできそうなこと、そういうことを積み重ねていかないと遠くの大きな目標は近づいてこない」と述べておられたように思います。

  お話を伺って個人的に思ったのは、分析すれば様々な成功要因が挙げられるでしょうが、先日ご紹介させていただいた深田社長も今回の松浦社長もその要因が初めから揃い、使い方も熟知していたわけではなかったであろうと思います。一番大切な人を動かす原動力、今回のお話の中では社長が若い頃からお好きだったダンスミュージック、にどれだけ徹底して向き合い、誰にも負けないレベルまで高めることができていたかどうか、また過去に囚われるでも未来への妄想に耽るでもなく、今この瞬間にどれだけ集中できているかの違いではないでしょうか。

 僕も関心のあること、好きなことはたくさんあります。しかし、その内のどれか一つでも誰にも負けないレベルまで徹底的に取り組めているのかと問うた場合、「あれも好き、これも好き」という中途半端なレベルに終わっているといわざるを得ません。しかし、今回のご講演によって本当に自分が好きなことにもっと集中してよいのだという確信をいただけた気がしました。ありがとうございました。

マハラジャ・ナイト(1)
クリエーター情報なし
エイベックス・トラックス


ジュリアナ・トーキョー(1)
クリエーター情報なし
エイベックス・トラックス


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深田稔さん

2011年02月11日 | 講演メモ
  お世話になっているIDEC(横浜企業経営支援財団)さん主催の講演で、深中メッキ工業株式会社代表取締役、深田稔先生のお話を拝聴する機会がありました。

  深田先生には、昨年11月のMQ戦略ゲーム(MG)でもお世話になったことがありますが、お話を伺うのは初めてです。家業の鍍金工場を継承され、ご苦労された後、現在では鍍金で世界シェア100%の技術などをもつ会社に育て上げられました。東京都墨田区の次世代経営者塾「フロンティアすみだ塾」の会長を務められているほか、「地域産業起こしに燃える人」理事、早稲田大学社会連携研究所客員研究員などを歴任されておられます。

  そうした経緯から昨日は「魅力ある経営者になるために」と題して2時間ほどのご講演をいただいたわけですが、そんな中から印象に残ったことをいくつか挙げてみたいと思います。

1.意味がある

・人生で身の回りに起きていることにはみな意味があり、意味に気づいた者だけが達成できる。
・人生には自分で解決できることしか起こらない。

2.たらいの法則

・(たらいの水は押すことで返ってくるように)与えたものが戻ってくる

3.ハンディから始まる

・人やもののせいにしていないか?
・最先端のテクノロジーだけが独自技術ではない。自分の持っているものを組み合わせることで誰にもまねのできない技術が出来上がる。ないものねだりをせず、自分の持っているものにどれだけ目をむけ、知恵を絞っているか。
・足りないからこそ、補うべきものが分かる。
・変えられることはかえる、変えられないことは受入れる。

4.考える・工夫する・諦めない

・できることをできるかぎりやる。
・当たり前のことを見逃さない。

5.流れ星の話

・日頃から強く思い続けているからこそ、願いは叶う。

6.砂漠に咲いた花畑の話

・(アリゾナの砂漠が集中豪雨の後、見事な花畑に変貌したことから)雨が降ったから花が咲いたのではない。砂漠の時から種がそこにあったからこそ花が咲いた。同じように苦しい時でも日頃の準備を怠りなくしていて初めてチャンスをものにできる。

  2時間という短い時間ではいかにも惜しいお話ばかりでした。丸一日の集中研修などあると良いと思いました。最後に、今回のお話に関連のありそうな本を2冊後紹介させていただこうと思います。

あなたの経験には意味がある―出来事から人生の答えを見つける必然の法則
礒 一明
ビジネス社


ザ・シークレット
ロンダ・バーン
角川書店


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メーカーズシャツ鎌倉会長 貞末良雄さん

2010年06月17日 | 講演メモ
  こちら横浜は快晴です。しかし、明日から雨がずっと続くようですので、今日の内に太陽の光を浴びて、体を元気にしたいと思います。

  さて、昨日はメーカーズシャツ鎌倉、貞末良雄会長の講演会に参加してきました。メーカーズシャツ鎌倉さんは子供の学校の近くに本店があるため、馴染みがありますし、奥様である貞末社長にも何度がお会いしたことがあります。

  デフレ時代を象徴するかのように、驚くような低価格競争を繰り広げるアパレル業界の中にあって、高品質の男性シャツ(女性物の取り扱いもあります)という分野で創業以来成長を続ける同社の会長のお話に注目が集まったのか、平日の日中にもかかわらず多数の参加者がありました。

  ご講演を通じ印象に残った点として、3つの「こだわり」を挙げたいと思います。まず何といっても正統派の男性シャツに対するこだわりです。「良いものに触れた人は、感性が磨かれる」、「服装はその人となりを表す」、本場英国でも崩れつつあるジェントルマンシップをシャツを通じて訴えているように感じました。日本ではクールビズが花盛りですが、欧米ではCasual Fridayによる身だしなみの乱れに対する反省から、今はDress up Fridayと言うのだそうです。

  第二に、品質に対するこだわりです。詳しくは同社のHPをご覧いただきたいのですが、「メイド・イン・ジャパンは日本の希望である」という言葉が心に響きました。つい最近も日本の技術力の粋を集めた小惑星探査機「はやぶさ」が注目を集めましたが、同社が最近発売した、世界最高品質と謳われる新彊綿のシャツがあるそうです。この綿糸が何と300番手という超極細の糸(10番手を細いと思っている軍手屋には想像もつかないような細さです!)。これで布を作れば絹よりも滑らかという素晴らしい布が出来上がるのですが、あまりに細すぎて肝心の縫製が中国のどの工場でもできなかったのだそうです。これを同社と提携する日本の工場が見事縫製し、新商品としてリリースされました。この仕事に対するこだわりと技術力こそがメイド・イン・ジャパンであり、われわれの希望なのだとおっしゃっていました。「量の満足は消えてしまうが、質の満足は消せない」、けだし箴言だと思います。

  第三は、価格に対するこだわりです。昨今の安値一辺倒のアパレル業界にあって、同社の価格は必ずしも安いとは言えません。しかし、同氏は「安易なセールは(定価で買ってくださった)お客様に対する不誠実である」と言います。会社として取組むべきは、安易な値下げなどではなく、誠実な値段をつけ、それに見合うようなビジネスモデルに知恵を絞ることなのだと。そのためには「社員の一挙手一投足がお客様のためになっていなければならない」、それは総務の仕事であろうと、会議であろうと同様です。

  最後に、これら3つの「こだわり」に立脚した信用によって、余計なコストが省かれるだけでなく、不可能が可能になるということです。信用があることで周りが助けてくれる。当たり前のことのようですが、その信用を構築するために、創業時のいかなる苦しい時期でも支払いは必ず現金で行ったと聞けば、到底当たり前のことと軽々しくいう事などできません。

  いつもそうですが、強い信念に突き動かされた方のお話は、熱く、魂を揺さぶられるものがあります。

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お前んごつ、何の役にも立っとらん奴はクズじゃ

2010年02月25日 | 講演メモ
 福岡の「味処 なか野」でたまたま名刺交換をさせていただいた、三澤卓洋さんという方から、心に残るお話を伺いました。

 三澤さんは昭和23年、大分の農家に7人兄弟の末っ子としてお生まれになりました。子供時代の生活は決して楽とは言えず、次男のお兄さんが親代わりとなり、大家族を支えておられました。

 そのような環境ですから、三澤さんは衣類にしろ生活用品にしろ、およそ新品という物を買ってもらったことがありませんでした。そんなことからある時、お兄さんと「何かを買ってくれ」ということで口論になったそうです。

 言い争いの果てに、三澤さんは思わず「兄貴は俺のことを廃品ぐらいにしか思っていなのか!」(窪田注:方言が難しいので言葉を直しています)と口答えをしてしまいました。するとお兄さんは、

 「廃品は、社会のため、人のために役立ち、その使命を終えたから廃品になれたんだ。お前みたいな何の役にも立っていないような奴はクズだ」と烈火のごとく怒り、三澤さんは大いに殴られたのだそうです。

 三澤さんは成人して警察官となられましたが、「警察官は社会や県民のため...」という言葉を聞くたびに、その時のお兄さんの言葉を思い出されるのだそうです。そういえば三澤さん、「なか野」でもお酒の席でしたが「社会のため、県民のため」と繰り返しおっしゃっていました。

 以前、このブログの「日本語の中の「ぼろ」」の中でも少し書いたことがありましたが、「ぼろ」・「くず」・「廃品」など、私たちが何気なくそれらの言葉を口にするとき、無意識の内に蔑むようなニュアンスを含んでいます。しかし突き詰めてみると、古い物や先人が築き上げてきた社会の上で今日の繁栄を謳歌している者に、果たして三澤さんのお兄さんがおっしゃったように、世のため人の為に役立ってきた廃品を蔑む資格があるのだろうか、と考えさせられてしまいます。

 話は変わりますが、衣類について三澤さんから伺ったもう一つ心に残った話をご紹介したいと思います。

 三澤さんは警察をご退職された後、現在は民間企業にお勤めでいらっしゃいますが、着ている作業服に警察時代の思い出を縫い付け、若い頃のエネルギーを喚起していらっしゃるのだそうです。以前、このブログの「繊維リサイクルに関する消費者の意識調査」でお話させていただいたことにも繋がりますが、やはり衣類というものには、その方の思い出や誇り、時には人生そのものがこもり、それによって時間を越え、人の行動まで変容させてしまう力があるのだ、としみじみ感じました。

 繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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天野敦之さん

2009年12月04日 | 講演メモ
  何か課題に直面していて、そのことについて深く考えている時、ひょんなところから解決の糸口が見つかったり、偶然とは思えないような出会いをすることはないでしょうか?

  僕が経験した限りですと、何年も前に買っては見たものの、当時は興味がわかずそのまま本棚にうっちゃっていた本を何気なく手に取ったところ、その本にちょうど悩んでいた問題の答えが書かれていた、なんていうことが何年か前にありました。

  他にもAという課題に直面している最中、Bという別の課題に関して紹介してもらった本を読んだところ、それが期せずして課題Aの解決に繋がったり。

  そしてここ最近が、ひょっとしたらそうした経験をしている最中なのかもしれません。この数ヶ月お会いした方々は須らくちょうど抱えていた悩みを解決するきっかけを作ってくださるのです。本当に期せずして。

  この偶然とは思えない出会い全てに心から感謝したいと思います。

  昨日ご講演を拝聴した天野敦之先生もそのような方のお一人でした。天野先生は公認会計士であり、外資系コンサルティングファーム、証券会社などでお仕事をされてきました。キャリアだけ並べるといかにも市場主義の申し子みたいに思われるかもしれませんが、先生の説かれる内容はむしろ真逆で、私たちの中に無意識に擦り込まれている機械論的世界観によって見失われがちになっている、「人間にとって本当に大切なもの」にひとりひとりが気づかなければならないというものです。

  僕がお話しするより、先生の御著書『君を幸せにする会社』のあらすじを追えるYou Tubeをご覧いただいた方が分かりやすいのではないかと思います。


君を幸せにする会社 クマ太郎 感動ムービー



  さらに驚いたのは、僕は10年前に前職で天野先生と同じプロジェクトにおり、一緒に仕事をしたことがあったのでした。やはり「偶然」というだけでは片付けられない力が働いているように感じます。

  万有引力の法則の発見のきっかけとなったという、いわゆる「ニュートンのリンゴ」の逸話も、ひょっとしたらニュートンがリンゴの落ちるのをたまたま見たというだけでなく、リンゴの方もニュートンに見られるために落っこちたのかもしれません。

  
君を幸せにする会社
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久米信行さん

2009年11月14日 | 講演メモ


  おはようございます。

  家が高台になるためなおさらなのですが、今朝は大変な強風です。お昼にはラグビー関東大学リーグ戦の法政大vs日本大、東海大vs関東学院大が予定されています。少々の雨や強風、雪でもやるのがラグビーですが、少し心配です。

  さて昨日は「すぐやる技術」と題して、久米繊維工業株式会社社長、久米信行さんのお話を聴く機会がありました。内容の面白さに冒頭から引き込まれ、夢中で聴いてしまいました。

  久米繊維工業株式会社さんはオーガニックコットンを使用した、「日本ならでは」のTシャツを作り続けていらっしゃる会社です。動脈産業と静脈産業の違いはありますが、同じ繊維で会社の創業もほぼ同時期(1年違い)、お話を伺う限り会社にもどられて直面した経営課題も似通ったところがあり、まるでわが事のように感じてしまいました。レセプションでも個人的に少しお話させていただく機会がありましたが、日本の持つ美意識や「ハレとケ」の「ケ」の世界観を大切にしようとする点に非常に共感しました。

  しかし、表題にあるとおり久米社長の面白いと思ったことを「すぐやる」、しかも「あきらめずにやる」バイタリティには足下にも及びません。久し振りに興奮で心拍数が上がり、体が熱くなりました。

  今回学んだことは直ちに僕自身の日常や仕事に反映させていきたいと思います。またぜひお会いして意見交換などできればと思います。


考えすぎて動けない人のための 「すぐやる!」技術
久米 信行
日本実業出版社

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  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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うお時 渡邉清高さん

2009年10月07日 | 講演メモ


 10月6日、横浜市立大学エクステンションセンターのセミナーで偶々ご一緒させていただいた皆さんと、ひょんなことから「意見交換会をしよう」ということになり、当社の会議室を使って活発な意見交換会を行いました。



 テーマは一応「HPおよびブログの活用」という設定で、主にセミナーでご一緒させていただいた、横浜うお時の渡邉清高さん(写真左)、株式会社フューチャーネットワークスの中山いそのさん、同社須藤秀樹さん、そしてジェイ・ライン株式会社大熊雅樹さん(写真右)に講師となっていただきました。

 とはいえ、中身はテクニック的なことよりも渡邉さんのHPやブログの根底にある仕事に対する考え方や思い、そして同じようにブログを活用して面白い活動をしておられる全国の事例を大熊さんに紹介していただくといった内容が中心でした。非常に引き込まれる内容で、活発な意見交換もなされ、設定した3時間半という時間では到底足りないほどでした。



 メイン講師のお一人だった、渡邉清高さん。当社のすぐ近く、横浜市中区若葉町で仕出しお弁当屋さんをされているほか、地域活性化のための活動にも先頭に立って活躍されていらっしゃいます。エクステンションセンターのセミナーでも一際目立つ個性的な存在でしたが、その柔軟な発想と行動力には驚かされるばかりです。



 簡単に言えば、「いかに仕事や地域を面白くするか」に心血を注いでおられ、当ブログでも何度か登場した「経験価値マーケティング」を地で行っておられる感じです。

 例えば、このお弁当箱。お弁当ってどういうわけか、蓋の裏を何気なく見ながら食べますよね。そこで、このお弁当箱は蓋を開けると裏側に横浜の中心地界隈の地図が描かれています。



 それも、ただの地図や良くて観光案内マップであれば「へぇ~」で終わるのですが、何とこれは横浜で撮影されたドラマのロケ地を案内する「ロケ地マップ」なのです。うお時さんはロケ弁なども多く手掛けておられるとのことで、非常に記憶に残る面白い発想だと思います。

 因みに、うお時さんには10月25日に大桟橋ホールで行われる「リサイクルデザインフォーラム2009」にも「地産地消」をテーマにしたお弁当で出店していただく予定です。お楽しみに。

 渡邉さんとは同年代ですし、お話を伺っていて非常に共感できる事が沢山あります。それどころか、その情熱と行動力には本当に脱帽するばかりです。まだ知り合って1ヶ月ほどですが、末永くお付き合いいただいて色々と勉強させていただきたいと思います。

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