窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

INTRAMUROS(イントラムロス)とJOSE RIZAL(ホセ・リサール)

2010年09月28日 | 史跡めぐり


  イントラムロスは、フィリピンのスペイン統治時代にマニラの中核をなした城塞都市です。1606年に完成しました。その一部でもある、フィリピンに残る最も古いスペイン要塞の一つであるサンチアゴ要塞(Fort Santiago)に行ってきました。



  サンチアゴ要塞は、フィリピンがアメリカの植民地となった後はアメリカ軍司令部、日本軍政下においては日本の憲兵本部としても使われました。また、後述しますが、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール(José Rizal)が処刑まで投獄されていたところでもあります。



  ゲートをくぐり、すぐ左にある"Baluarte De San Miguel"という稜堡のようなものに上ってみると、かつては堀であったと思われるところがゴルフ場になっていました。





  スペイン兵の兵舎だったところです。



  ホセ・リサール像。ホセ・リサールは医者であり、フィリピン独立運動の闘志です。植民地下で知識階級が育ってくることによって民族意識が形成されてきますが、彼もそうした中の一人であったと思われます。彼自身は、暴力に訴える運動家ではなく、むしろフィリピン人の地位向上を願った思想家でしたが、宗主国のスペインはそんな彼を危険視し、1896年に逮捕、同年12月30日に処刑されました。



  サンチアゴ要塞の中には、彼を祭る廟(Rizal Shrine)があり、彼の遺品などが展示されています。





  リサールが処刑までの間、投獄されていたところです。



  処刑場へとつづく、リサールの足跡。



  なお、リサールは1888年に一ヶ月ほど日本に滞在していたことがあります。その時の恋人と言われている日本女性、「おせいさん」と呼ばれていました。なお、リサールの高祖父の一人は日本人であったとも言われています。



  砦よりパシン川を望む。このすぐ先(左側)はマニラ湾です。



  地下牢跡。元々は火薬を湿気から守るために作られた地下倉庫でしたが、後に捕虜収容所として使われました。



  ラジャ・スレイマン劇場(Dulaang Rajah Soliman)。ラジャ・スレイマンというのはスペイン統治前にこの地を治めていた、イスラム系マレー人の族長の名前です。



  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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